彼がレコーディングに時間をかけないのには、「彼は一つの場所に永く居ることがない」ということも起因しているようだ。 フィンランドのテクノ・シーン(一握りのビタミンDが欠乏し、ロングコートを身にまとった寡黙な人達)は思春期と越える時までのジミの興味をひいていられなかった。 彼はそこから逃げ出し、世界中のあらゆる場所を転々とした。 ベルリンではブラウニー(ピーナッツ入りのチョコレート菓子)の配達をやった。 バルセロナにいたころからサングラスの収集を始め、今ではエルトン・ジョンのそれに勝るとも劣らない数に達している。 ニューヨークで彼は小人のボビーや、太っちょのケティや、入れ墨のマイクの写真を撮った。そこはまさに「眠らない街」であり、若かったジミ・テナーが最初にショウマンシップの価値を学んだ場所であった。 エンパイヤー・ステイト・ビルの最上階で記念写真をとっていた彼は、そこで観光客がキング・コングの書き割りの前に立つと、(笑顔を引き出すために)なだめたり、怖がらせたりしなくてはならなかった。 そしてそのための方法の一つが、彼なりの芸を見せることだった。 そうしながら、彼は人前に立つ自分がとても自然であることを感じ、それ以来彼は決して振り返ることをしなかった。