JACKSON BROWNE solo acoustic vol.1
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■ バリケーズ・オブ・ヘヴン
96年の『ルッキング・イースト』から。ジャクソンはソロ・アコースティック・ショウをこの曲で始めることが多い。若き日を回想する自伝的な作品なので、キャリアの総括的な選曲の始まりにふさわしいわけだ。パラドックスは南カリフォルニアのオレンジ・カウンティで歌い始めた10代半ばの彼が出演していた地元のクラブである。

■ 青春の日々
「僕のキャリアと同じくらい古い曲だ」と言うように、ジャクソンが16歳のときに書いた最初期の曲。語りでも触れられているように、ニコの67年の『チェルシー・ガール』で最初に取り上げられた。ここで演奏されている解釈は書かれたときのスタイルに近いもので、73年の『フォー・エヴリマン』で初披露された作者版は、友人のグレッグ・オールマンが73年の『レイドバック』で取り上げたときの解釈を参考にしている。

■ ザ・バーズ・オブ・セント・マークス
本作の目玉曲。96年のヴィデオ『ゴーイング・ホーム』の中で部分的に披露されたことはあるが、公式には未発表だった初期の曲の初登場だ。67年に18歳のジャクソンはNYに行き、アンディ・ウォーホルのファクトリーに出入りし、彼のドム・クラブでニコのギタリストを短期間務めた。ニコとはごく短い恋愛関係にもあり、これはその関係を歌った曲だ。セント・マークスはイースト・ヴィレッジの地名だが、そこにドムがあった。

■ 悲しみの泉
74年の『レイト・フォー・ザ・スカイ』収録の人気曲。引き出しに見つけた古い写真から、うまくいかずに終わった恋愛を振り返る。この曲では「泉」だが、そのアルバムでは全体に「水」に関連するイメージが巧みに使われ、作品の世界に広がりを与えている。

■ ユア・ブライト・ベイビー・ブルース
76年の『プリテンダー』から。「ハイウェイ」は空間的放浪以上に彼の世代の精神的放浪を象徴する。スタジオ録音では、ジャクソンが「僕や友人たちにとっての師だった」と回想するリトル・フィートの故ロウエル・ジョージがスライド・ギターを弾いていたが、ここではジャクソンがスライド演奏を披露。

■ ダンサーに
『レイト・フォー・ザ・スカイ』から。73年10月に亡くなったダンサー、アイス・スケーターだった友人スコット・ルニオンに捧げた曲で、死について思慮深く黙想する。

■ トゥー・メニー・エンジェルズ〉
93年の『アイム・アライヴ』から。そのアルバムは80年代以降、政治治社会的な主題を取り上げた作品が多くなっていたジャクソンにとって久々の私的な作品集で、その背景には長年の恋人との破局があった。

■ フォー・エヴリマン
2枚目のアルバムの表題曲で、彼の代表曲のひとつ。「船でどこかへ行ってしまおうという計画をしていた友だちと一緒にいたときに書いた」という曲紹介について説明しておこう。この曲はクロズビー、スティルズ&ナッシュの〈ウッドン・シップス〉への返答として書かれたとされている。〈ウッドン・シップス〉はジャクソンのデビューに力を貸した友人でもあるデイヴィッド・クロズビーがスティーヴン・スティルズとジェファスン・エアプレインのポール・カントナーと共作したSF調の作品で、核戦争後の世界で船に乗ってユートピアを目指す人びとを歌った曲だが、そこには彼等のある種のエリート意識のようなものが見え隠れする。つまり、その船に乗ることのできない人びとの存在がまったく頭にない。それに対し、ジャクスンは終末の日にも「僕はここで普通の人を待つ」とこの曲を書いたのである。

■ ライヴズ・イン・ザ・バランス
レーガン政権の中米での外交政策を遠慮なく非難した86年の『ライヴズ・イン・ザ・バランス』の表題曲。ブッシュ政権がイラク戦争の準備を始めた頃から、再び必ず歌うようになっているが、中米を中東に置き換えれば、この曲で歌われているアメリカの外交政策の問題は何も変わっていないとわかるだろう。本作の発売に先駆けて、シングルとして全米のラジオ局に配布された。

■ ルッキング・イースト〉
96年の同名アルバムの表題曲。曲紹介で、ブッシュ再選への失望を表明し、暗い時代だからこそ歌うべき曲があると語っているように、この曲の「東を見る」の「東」には、米国東部の権力機構と夜明けの象徴という2つの意味がかけてある。政治や社会問題への告発批判を続けながらも、明日への希望を忘れぬジャクソンらしい曲だ。

■ プリテンダー
76年の同名アルバムの表題曲。ジャクソンにとって最も重要な曲のひとつで、彼のコンサートは必ず〈プリテンダー〉〜〈孤独なランナー〉で締め括られる(そしてアンコールへ)。ジャクソンはデビュー以来、60年代に夢と理想を追い求めて旅に出た彼の世代の歩んだ道を描いてきたが、やがて現実社会のなかで生きていくうちに、かつて輝いていた夢が変質していくさまを見つめるようになった。04年のインタヴューでの発言だ。「30歳を過ぎて数年後に自分の仕事の速度を変え始めた。息子が5歳になって学校に通い始めたので、3年ほどツアーをやめたし、ツアーをしても夏だけにするようにした。僕は変わったんだ。現実の生活を暮らさなくちゃいけなかった。いつも思っていた。人生について曲を書くなら、普通の人たちと同じような生活をする必要があると。人生におこる現実について書くことに興味を持つようになったんだ。孤立した生活を送っていても、アーティストは人びとにとって何が大事かを語れるかもしれない。でも、僕は普通の人びとの毎日の生活ぶりに取り組もうと思った。そこでは子供たちは学校に行き、人びとは仕事に励む。こういったことが素晴らしいんだ。あるいは、珍しい風変わりな生活をしたいかもしれない。誰もしていないことをして、すごく変わった生活をしたいかもね。でも、僕の場合はそういったことへの衝動や欲求が現実的な生活をしたいという欲求に取って代わられたんだ。『プリテンダー』の頃だ。そういった考えを『プリテンダー』で伝えた。みんなが暮らしているのと同じ生活をしたいという考えだ。生活に起こる平凡な経験が重要だと言う考えを神聖なものとして受け入れたんだ」 この曲の自己検証の視線は実に厳しい。自分自身を「偽りの人」とまで呼び、「おめでたい馬鹿になって/一生懸命金を稼ごう」と自嘲的に歌い、「若く、力強く歩みだした男は降伏するしかなかった」と、夢と理想を追い求めた旅の行き先を告白するのだから。 ただし、この曲を現実への妥協を歌った悲観的な作品と受け取ることは簡単だが、ジャクスン自身はそう考えていない。最後の曲が再び最初につながるソング・サイクルの形式で構成されているアルバムでは、〈プリテンダー〉の後には再び肯定的な〈ザ・フューズ〉がくると考えるべきだし、(ここには残念ながら収録されていないが)コンサートでは常に、深刻な現状認識を持ちながらも僕はまだまだ走り続けるぞ、という確固たる意思をする〈孤独なランナー〉が続くのだ。

■ テイク・イット・イージー
本作の締め括りはリクエストに応えて、この曲を。72年に全米第12位のヒットとなったイーグルズのデビュー曲で、ジャクソン版は『フォー・エヴリマン』に収録されているが、近年はイーグルズに近い解釈で歌うことが多い。ジャクソンとイーグルズのグレン・フライが同じアパートに住んでいたときに共作した曲だが、ジャクソンが書き始めた曲にグレンが有名な「アリゾナ州ウィンスロウの街角で立っていたら」で始まる部分の歌詞を加え、「イージー」に「イ〜イ〜ジー」という節回しを付けたのだという。

■ ザ・レベル・ジーザス
日本盤のみのボーナス・トラック。アイルランドの音楽大使とも呼ばれる人気伝統音楽グループ、チーフタンズの91年のクリスマス・アルバム『ザ・ベルズ・オブ・ダブリン』に提供して歌った曲である。



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