Shirley Manson(シャーリー・マンソン) Butch Vig(ブッチ・ヴィグ)

ーー久々にバンド活動を再開してみていかがですか?

そうね、今の時代、アルバムを1枚リリースするってことがどんな大仕事か、私たちったらすっかり忘れてたみたい(笑)。すごくエキサイティングな気分だし、不思議な意味で、すごく懐かしい気分もしたわ。うん、こんなに大きな反響があるとは予期してなかったし、ちょっとびっくりしてる。アルバムをリリースして、世界中の人たちに聴いてもらえるようにするっていうことに必要な作業がどんなに大変か、忘れてしまっていたんだけれど、エキサイトしてるし、たくさんのアーティストを一様に処理するシステムに則るんじゃなくて、自分たちが望む形で送り出せることに興奮してるわ。

ーー7年前の状況を振り返りたいんですが、前作は恐ろしく難産だったアルバムで、解散しかけた末にようやく完成させて、でもツアーを始めてまもなく突如活動を停止しましたよね。原因は何だったんでしょう?

当時の私たちは、何に関しても楽しさをあまり感じられない場所に達していたんだと思う。そして、そういう事態に陥ってしまうってことは、何かが大きく間違っているに違いないって気付いていたわ。だってミュージシャンとして生きるってことは特権であり、ツアーが出来るというのはさらに大きな特権であり、そういうプロセスを楽しめない自分たちが、少し恥ずかしかった。こんなに素晴らしい機会を与えられていながらも、気分が全然ぱっとしなかった。だから、あそこでストップしたのは賢い判断だったと思う。当時起きていたことは、私たち自身のコントロールが及ばないことであり、ツアーをやめて家に帰るしかなかったのよ。家に帰ってそれぞれ、自分たちの心と体の面倒を見ようって。実際、それを実行したの。

ーーじゃあ、普通の生活を送っていたんですね。

ええ。普通に暮らしていたわ。思えばそれまでの10年間、ツアーバスの中で過ごしたようなもので、みんなエネルギーの蓄えが尽きてしまったことを悟ったのよ。改めてエネルギーを回復して、充分たちを再生する必要があった。まさにそういう結果になったわ。私たちは全員、エネルギーを回復させて帰ってきて、新たにアルバムを作ることにすごく興奮していた。そうあるべきでしょう? それは私たちが意義を見出し、私たちをエキサイトさせるものでなければ。バンドとして、以前の私たちにはそこが欠けていたのよ。

ーーあなたはソロ・アルバムを作ってもいましたよね。結局どうなったんですか?

半分くらいは完成させていたの。それでレコード会社に持っていって、聴かせてみたのよ。全曲は聴かせなかった。それはするべきじゃないって分かるくらいの賢明さは備えていたから(笑)。でも当時完成していた音源の半分くらいを聴かせた。私は、すごく静かで商業的じゃないアルバムを作りたかった。ビッグなバンドの一員で、大きな話題を作らなきゃいけないポジションから距離を置きたかった。より控えめなアルバムを作りたかったのよ。でもレーベルは全く興味を持ってくれなかった。私に“インターナショナル・ポップスター”であって欲しいと望んでいたのよ。世界中のラジオでかかるような曲を歌って欲しがっていた。それで、私は彼らの希望を受け入れられないし、彼らは私の希望を受け入れられないんだって悟ったのよ。レーベルの要求を受け入れて妥協したくなかったし、彼らが望むような音楽は作りたくなかったから、そういう状況なら、ソロはやめてほかのことをしようって決めたわ。自分に嘘はつきたくなかったの。

ーーでも何か学べたことはありますよね。かなり面白そうなメンツと曲を作っていましたから。

もちろんよ。色んな人たちと曲作りをして、多くを学ぶ、本当に素晴らしい機会になった。実際、たくさんのことを学んだし……私にとって、ある意味で成長の時期だったわ。

ーー2007年にはベスト盤を発表しました。心機一転し新たな出発を切る助けになったのでは?

確かに今回のアルバムで私たちは新しい出発を切るような気がしている。でもぶっちゃけた話、ベスト盤なんか全然リリースしたくなかったの! 単にレコード会社が枠を埋めるために作った、商業目的のアルバムに過ぎないっていうのが、私たちの捉え方だった。実際、本当にひどい仕上がりで、最初から最後まで最悪の体験だったんだけれど、私たちには成す術がなくて、止めることができなかった。そんなわけで、ベスト盤の一件で私たちは我慢の限界を超えたの。もうこれ以上、大企業的な思想の持ち主とは絶対に仕事はできないって。

ーー最終的に、活動を再開するきっかけを作ったのは誰なんですか?

私だったわ。間違いなく私がプロセスを促したの。ある日、私たちのツアーのエージェントの女性と食事をしていて、彼女は「シャーリー、あなたたち、そろそろライヴをやるべきよ。ガービッジみたいなバンドを世界は必要としているの。家でゴロゴロしてる場合じゃないわ」と私をたしなめて、「どうしたらあなたたちにとってツアーを楽しいものにできるのかしら?」と言ったのよ。そして、LAのハリウッド・ボウルでフル・オーケストラを従えてライヴをやってはどうかって提案してくれた。そのアイデアが私のイマジネーションを刺激して、バンドのみんなに相談してみたの。「こういう企画に興味ある?」って。そうしたら「もちろん! 素晴らしい話じゃないか!」って反応が返ってきた。結局ライヴの企画は、全員のスケジュールの調整がつかなくて断念したんだけれど、それがきっかけで4人で話をするようになって、バンドの将来について前向きに考えるようになって、私たちのキャリアを自分たちでコントロールできるように、物事を再構成する方法を探り始めたのよ。

ーー思えばあなたは15歳くらいの頃からプロとしてバンド活動を続けていますよね。

30年よ!(笑)ほとんど全人生をバンドで過ごしていることになるわ。

ーーそして、ここにきてソロ活動も試したものの、またバンドに帰ってきました。バンドという形態のどこにそんなに惹かれるんでしょう?

私はチームの一員でいる時のほうが、うまく機能するような気がするの。それに、私のパーソナリティにも合っているように思う。私はずっと、バンドというもののロマンスに恋してきたの。ほかの人たちと一緒に、何かひとつの目的に向かって力を合わせることが好きなのよ。そしてメンバーそれぞれが持ち込む要素の差異に、面白さを感じる。みんなが提供するインスピレーションやアイデアに、必ず予想を裏切られるのよ。そういう驚きの要素に惚れ込んでいるの。

ーー4人で曲作りを再開した時、何か以前と違いを感じましたか?

間違いなく以前とは違ったと思う。みんな以前よりも楽しんでいたと思うわ。アルバム制作のプロセスを通じて、全員が全面的に責任を負っていた気がする。誰も気を緩めて怠けたりしなかった。作業にのめりこんで、集中していて、その結果、ストレスが取り除かれたんじゃないかな。それに、ボーイズ(=シャーリーは3人の男性メンバーをいつもこう呼んでいます)は色んな楽器を交換し合って、私も今回は楽器を弾いて、まるで子供みたいなノリでプレイしていたの。積極的に実験したし、そのことがアルバムに表れているはずよ。私たちが感じていたエネルギーが反映されていて、それはかなり力強いと思う。なぜって、私たちはすごく楽しんでいたから。

ーー実際、40?50歳のミュージシャンたちが作ったアルバムとは思えない音ですよね。

そうよね。みんなその点に驚いているみたい!「ワオ! なんだかすごく挑戦的な音じゃない?」って言ってくれる。もっと抑えたトーンのアルバムを想像していたみたい。っていうか、人々が私たちに何を期待していたのか知る由もないんだけれど、誰もが驚いていて、「まるでデビュー作みたいだね」って(笑)。そんな風に言ってもらえるなんて、素晴らしいことよね。

ーーそもそも今の音楽界ってすごく後ろ向きですよね。再結成だの、傑作アルバムをフルに再現するコンサートだのが話題を集めていて。そんな中であなたたちは常に前を見ていて、他と一線を画しているように思います。

そうね。私たちの体には、ノスタルジックな部分が一切ないのよ。私たちにとって“ノスタルジア”とは、自分の未来で待ち構えているものに対する好奇心を失ってしまったことを意味するように感じられる。私はいつも未来を楽しみにしているし、過去の自分というコンセプトにすがりつくのは、あまり健全じゃないんじゃないかしら。リスキーに思えるかもしれないけれど、過去の自分に全てを託すようなことはしたくない。私たちは常に自分たちの将来の在り方を探るにあたって、新しい冒険、新しいアイデアを楽しみにしているのよ。

ーーあなた自身は、アルバムに着手するにあたって、何かやってみたいことがあったんですか?

私は自分なりのやり方で、バンドの実像を可能な限りオーセンティックな形でアルバムに反映させたかった。それが、私にとって最も重要な点だったわ。以前は曲を作りながら、必ずしも全員がハッピーじゃないと分かってしまうこともあったけれど、聴き手のイマジネーションを刺激するアルバムを作るためには、できる限り誠実で、真実に忠実であろうとしなくちゃならないと意識していたの。

ーーサウンド面では、前作で控えめだったエレクトロニックで実験的な側面が再び前面に押し出されていますよね。しかも、ノイズやテクスチュア作りにすごくこだわっていて、従来以上にシネマティックな仕上がりでは?

そうね。昔から多くの人が私たちの音楽を“シネマティック”と表現してきたし、実際そうだと思う。 私たちは映画や映画音楽、映画音楽が包含し得る幅広い世界に、すごくインスパイアされる。昨今のポップ・ミュージックを見ていると、本当に視野が狭くて、ミュージシャンたちはほんの僅かな部分しか掘り下げていないけれど、このバンドでは自分たちが表現したい音楽を前面に押し出す上で、極めて幅広く折衷的な世界観に則って取り組んでいるの。そして究極的に私たちは、空気感ってものが好きなのよ。それが私たちのサウンドの大きな部分を占めているの。

ーーヴォーカルも、ライヴに近い生々しさが特徴だった前作とは違って、かつてなく声を加工したり、歌い方を変えたりしていますね。

ええ、かなり自分の声をいじってみたわ。新しいことに怖がらずにトライしたかったのよ。スタジオではすごく遊び心を持てたし。それって、これまではあまり起きなかったことなの。いつもスタジオという環境に威圧感を感じていたんだけれど、今回はすごく楽しめた。そしてマイクの前に立つ度に、違うアプローチを試したかった。キャリアが長いと、人々は飽きちゃうと思うのよ。私が声で表現できることを一旦知ってしまったら、飽きてしまう。でも自分はまだほかにも表現方法を持っているように感じて、新しいことを試し、これまでとは異なるアングルから取り組んで、自分自身の好奇心と新鮮さを維持したかった。バンドをよく知っている人たちがこのアルバムを気に入ってくれているのは、そのせいでもあると思う。従来とはヴォーカルがちょっと違うのよ。そして今回の私は、子供時代に聴いていたアルバムにインスパイアされたの。「これらのアルバムは私の心にこんなに深く訴えかけるというのに、なぜこれまで、そこから学んだことを自分の音楽に活かしてこなかったんだろう?」って思った。だから、そういうインスピレーションをありったけ活用したのよ。

ーーそれはつまり、ポスト・パンク期のアーティストたちの作品ってことですよね。

その通り。例えばコクトー・ツインズやスージー&ザ・バンシーズやメアリー・マーガレット・オハラといったアーティストたちね。あとはシネイド・オコナーとか、私にとっての、歌というものの捉え方をすっかり変えてしまった人たちが、インスピレーションをくれたの。クリッシー・ハインドもね。長年、私の指針になってくれた女性たちよ。

ーーあなたも今や、多くの若いアーティストにお手本視されていますよね。最近、ガービッジを影響源に挙げるアーティストをよく目にする気がします。

たまに音楽を聴いていて、「あ、それって私たちに学んだのね」とか「そのテクは私たちから盗んだでしょ」って勘づくことがあるわ(笑)。大勢の若いパフォーマーが私たちの音楽から受けた影響の大きさを語ってくれていて、本当に恵まれていると思う。レディー・ガガやケイティ・ペリーから、ジョイ・フォーミダブルみたいな、よりアンダーグラウンドなアーティストに至るまで。みんな素晴らしいアーティストだし、ほかの人たちの人生においてそういう役を担えるなんて、大変な名誉だと思う。なぜって、私にとって憧れの女性アーティストたちがどれほど大切な存在だったか覚えているから。自分が同じような存在になれるなんて、誰かに心に触れて夢を実現できるようにインスパイアするなんて信じられないことだし、本当に素晴らしいわ。

ーー次に作詞に関して伺います。あなたは毎回作詞の作業にすごく手こずって、正確に自分を表現できているのか自信がないと言ってましたよね。それは今も変わっていないんですか? それとも、以前より楽になりましたか?

楽になったと思うわ。間違いなく以前より自信があるし、そこには様々な理由があって、中でも一番大きいのは、自分を疑うのはバカバカしい時間の無駄だと気付いたってこと(笑)。あまりにも時間がもったいないわ! だから私はとにかく全力で取り組んで、自分にできる限りのことをやって、それで充分なんだって決めたの。自分が提供できるもので充分であって、もし聴き手の心に響かなかったらそれはしょうがないし、私はただ、可能な限り自分に正直に書くしかない。あとは運命に任せるしかないのよ。

ーー年をとると歌詞の題材が、愛や死やスピリチャリティといった根源的なテーマに絞られてくるというアーティストも多いですが、あなたの場合は?

私の場合は昔からそういう題材について思いを巡らしてきたから、そのケースには該当しないと思う。以前より世界観が広がっているのも確かなんだけれど、テーマそのものはずっと変わってないわ。ただある意味で、このアルバムではこれまでよりも少し喜びが増しているのかもしれない。というのも私が年をとれば友人たちも一緒に年をとるわけで、私が昔から扱っていたようなヘヴィなトピックにみんなが思いを馳せるようになってきたのよ。だからそういうことについて、みんなと話せるようになったってわけ!(笑)みんなが私の世界観に追いついたってこと。もちろん、物事や人生を捉える際にはバランスのとれた自律心が必要であって、何もかもが常にパーフェクトで楽しくてバラ色であるかのように振る舞うのは正常とは言えないし、同時に、全てをネガティヴな目で捉えるのも正常とは言い難い。とにかく私たちは、残された時間は長くないけれど、人生に意味を見出したいっていうだけなのよ。実は私は2年前に母親を亡くしたの。つまり、このアルバムを作っている最中に。そして友人たちにも夫を亡くしたり子供を亡くした人が多かったものだから、間違いなくそれが自分の世界観に影響を与えたはず。死は人間を全員平等に扱って、差異をなくしてしまうのよ。母の死には途方もなくショックを受けたけれど、同時に私を強く大胆にしてくれた。ある意味で再生の機会になって、目を覚ましてくれた気がするの。

ーーちなみにタイトルも興味深くて、今回のアルバムには表題曲以外でも『Beloved Freak』なんかでアウトサイダーであることについて歌っています。それは、世のアウトサイダーたちの代弁をしているという意識に根差しているんですか?

というよりも、バンドを代表しているの。私たち自身のことを、私たちがアウトサイダーであること、私たちが抱いている孤立感を描いているのよ。バンドとしても、個人のレベルでも。バンドとして、私たちはどこにも属してこなかった。カッコいいシーンの一員だったこともないし、クールな都会である西か東の海岸ではなくてアメリカ中西部の小さな町で誕生したバンドだし、私自身はスコットランドというちっちゃな島からやってきた。だから、いつも奇妙なバンドに思えた。結成の経緯も奇妙だったし、ほかのバンドより年をとっていたし、常にシーンの外側に立っていたわ。ほら、当時はブリット・ポップが大きなムーヴメントだったけれど、そこにも関与していなかった。つまり、自分たちの本質をここにきてようやく受け入れたってことなのよ。それはある意味で、大きな安堵感を与えてくれたわ。バンドとしてこのアルバムで何をするべきなのか、自分たちがやるべきことがすごくクリアに見えた気がする。ありのままの自分たちでいて、相容れないことに手出ししなかった。最新のストリートのサウンドを鳴らしている、トレンディでイケてるバンドであるフリをするつもりもなかった。ただ、「これが私たちで、これが私たちが作る音楽で、気に入ってもらえたらうれしいわ」と宣言しているだけ。「ピンとこなかったらほかを試してみて。あなたが共感できる言葉を話す人たちがほかにたくさんいるはずだから」と。

ーーアートワークは非常にシンプルですよね。どんな意図があったんですか?

過去7年間に色んなバンドを観察しながら、彼らがどんな風に自分たちを見せていて、どんな風に音楽の傾向が変わっていったかを見ていて、全てがーーこういう表現って日本語でうまくニュアンスが伝わるのかどうか分からないだけれどーー私には“ブロードウェイ”っぽくなってしまった気がしたの。“ショウガール”的とも言えるのかしら。たくさんのコスチュームや大勢のダンサーやバッキング・ダンサーで演出していて、自分のバンドはそういう風に描きたくはないと思った。すごく美しくて、すごくシンプルなものにしたかった。かといって、冷たくて機械的ものにもしたくなかった。私たちは冷たくて機械的な人間じゃないから。なぜか、冷たくて、ある意味で計算高いバンドであるかのように思われているんだけど、私と親しい人たちは全くそれとは正反対だってことを知っているわ。私はやかましくて、とり散らかっていて、情熱的な人間だから。そんなわけで、とにかく音楽に全てを語らせたかった。私たちについて語る役割は音楽に任せたかった。そしてデザイン・チームを散々困らせたわ。欲しいヴィジュアルがなかなか見つからなかったから。でも最終的にデザイナーが、私には古い紙みたいに見える背景に、本当に美しくてシンプルな“G”を描いてくれて、「私たちが今いる場所のムードはまさにこれなのよ!」と思ったの。

ーーでも一方であなたは、ヴィジュアル・インパクトの強いフロントウーマンとして知られていましたよね。ヴィジュアル・プレゼンテーションは以前ほど重要ではなくなった?

そんなことはないわ。今も重要だし、そういう面を楽しんではいる。ただ困ったことに、年をとるとフォトジェニックじゃなくなるのよ(笑)。私たちが活動を休止している間にひとつ大きく変わったことがある。以前はロクにカメラの操作もできない人たちに写真を撮られたけれど(笑)ーー日本は例外でいつもいい写真をとってくれたわーー今はメディアの世界で仕事をしている人たちは、みんな美しいイメージを作る技術に長けているわ。そして私にとって、音楽とシンクロするイメージを作ることも、すごくエキサイティングな作業なのよ。このアルバムに私もボーイズもたくさんの労力を注いだわけだから、それにマッチする美しくて、人の心を捉える、面白いイメージを作り上げたかったの。それにイメージを作る時に、素晴らしいアーティストとコラボもできる。今回のアルバムのパッケージに使った写真は全てオータム・デ・ワイルドに撮影をお願いして、ひとりの人間としてもアーティストとしても彼女を尊敬し、愛しているわ。彼女もまたアーティストであり、一緒にいてそのエネルギーを感じていると、すごく刺激になったの。

ーーあのモノクロのポートレイトもそうですか?

ええ。ほかにもたくさん写真を撮ってくれたけれど、モノクロのシリーズは素晴らしいわよね。

ーーなんだかお葬式みたいな雰囲気が漂っていますね。

まさにそういう雰囲気を目指していたのよ。……繰り返し言ってることなんだけれど、このアルバムは私にとって、一種のレクイエムのように感じられるの。そういうフィーリングを写真で表現したかった。途方もなく哀しみに満ちていて、哀調を帯びているものが、同時に途方もなく美しくて、高揚感に溢れている……という感覚を表現したかったの。

ーー以上で時間が来たので、今日は本当にありがとうございました!

こちらこそ! 日本は本当に美しくて素晴らしい国で、これまで訪れる度に、楽しい想いばかりしてきたの。音楽的な意味でもそうだけれど、それ以上にカルチュラルな意味において。だから、わざわざこうして私と話す時間をとってくれたなんて、名誉なことだわ!

ーーじゃあぜひツアーでも来て下さいね。

もちろん。これまでもツアーをやる度に日本に来ていたから、今回も行かないってことはないと思うし、楽しみにしているわ。

(インタビュアー:新谷洋子 日時:06/03/2012)

Shirley Manson(シャーリー・マンソン) Butch Vig(ブッチ・ヴィグ)