・・・DJ−マグス・・・

中心メンバー“DJ MUGGS”が語る全ヒストリー!!

【デビュー前の苦労時代】
【いきなり"RAP SUPERSTAR!"】
【ツアーの移動も"ミニバン"から"大型バス"、次は?】
【NEW ALBUM"SKULL & BONES"について】

【デビュー前の苦労時代】

Q:クイーンズからロングアイランドに移った時は何歳だった?

DJ-マグス(以下M):13か14、高校くらいの年かな。

Q:どんな高校だった?

M:カルチャーショックだったね。それまで俺はリージーンズにラティグラ(スニーカー)を履いてたけど、引越し先じゃ皆カーキに白いTシャツ着てる馬鹿ばっかなんだ。「まいったぜ」って感じだったな。

Q:孤独な白人の少年ってカルチャーショックって事、それって変な事だったのかい?

M:ああ。そいう事は何処に行ってもあるから別に問題なかったけどね。それなりに対処したさ。そこを出てスペイン系の近所に引っ越したんだ。楽しかったぜ。喧嘩もしたけど、その後全てうまくいったね。それ以来問題なく打ち解け、気づいたら仲間になってたんだ。そんなもんだろ。お互いを立てあうって感じさ。

Q:有名ラップスターの特権のひとつは、服が貰えるって事なんじゃない?

M:そうだな、どっさり送られてくるから最近は買い物にもいかなくていいんだぜ。服は十分間に合ってるよ。毎回ってわけじゃないけど、タイミングがあえばこんな感じで貰えるんだ。

Q:デビュー当時はどうだった?

M:全然だよ。無名の時は皆知らん顔さ。でも一度金を稼ぎだして有名になれば、皆あれこれ送ってくる。業界なんてそんなもんだよ。

Q:デビュー当時の話を聞かせてくれないか? 最初のビデオ撮影はどうだった?

M:初めてのビデオは「HOW I CAN KILL A MAN」で予算は1万ドル。NYのストリートで、俺達3人とカメラマン、監督と助手、たったそれだけのクルーで撮影だった。

Q:監督はデイビッド・トレスだったっけ?

M:ああ。セットには5,6人しかいなくて直ぐに終わったよ。たった1日、1時に始まって9時には終了さ。

Q:衣装もセットも何もなかったのかい?

M:全く何もなかった。腹が空けばピザでも食って、その後ストリートに戻って撮影するって感じさ。そう言えば2日間で2本のビデオ撮りをしたんだよ。初日が「KILL A MAN」で、次の日に「HAND ON THE PUMP」ってカンジでね。

Q:そうだったよね。思い出したよ。

M:そうそう、ブルックリンでやったんだよな。あの時ツアーの合間に2日オフができて、その2日間にビデオ撮りしてまたツアーに戻ったんだ。



【いきなり"RAP SUPERSTAR"】

Q:ファーストアルバムの発売と同時に人気が出た訳だけれど、最初に気づいた変化って何だった? 予算面やプライベートな生活の中の変化や何か。

M:そうだな、金は直ぐに入ってこなかったよ。ちょっとずつってカンジだったんだ。前に比べりゃあるかなって程度かな。だから車を直したり、服を買ったりしたかな。まあ、そんなカンジ。あと、いつでも外食が出来るようになった。最初はそういう単純な変化だよ。そのうち、何枚かのアルバムを出した頃に本当の変化ってやつを実感するようになったんだ。家を買ったり車に金をかけたりってやつさ。

Q:そういう事ができるってどんな感じ?

M:そりゃあ、いい気分さ。契約にこぎ付けるまでのあの苦労した10年がやっと報われたって感じさ。誰も俺達の事を応援してくれなくってさ、時間の無駄だとか言われたし、仕事探した方がいいんじゃないかとも言われたからな。「うるせえんだよ」って思いながら頑張ってきたら、やっと報われたんだ。「ほらな、言っただろ?」って感じだぜ。ちゃんとこうなる事は分ってたけど、それまでの方法、何処で誰に会っていつどうなるっていう事が分らなかっただけなんだ。でも確実にこれが現実のものになると思ってたさ。

Q:「金があれば全てOK」っていうのは本当?

M:うーん、「金があれば責任も増える」って感じだな。金があっても問題は出てくるし、金がなくても問題は出てくる。その問題の種類が違うってだけの事さ。

Q:そうだね。

M:だけど、金があればその分責任も増えてくると思うな。その責任に問題がくっついて来るんだ。

Q:仕事についてはどう? 10時間スタジオにこもってビートを作るのは前より大変?それとも簡単になってきた?

M:大変だよ、長時間スタジオにこもる生活をもう何年も続けてるんだ、もうそろそろ違う事をしたいって感じだよ。「もうスタジオに篭るのはうんざりだぜ」って心境さ。だから、前に比べると今の方が断然大変だよ、今、俺達は音楽を作れないんだよ。ツアーや何やかやと他の事も増えてきたからね。弁護士やマネージャー、写真撮影、インタビュー、ビデオ、やんなきゃならない事が多すぎるんだ。昔なら、ただ曲を作り、アルバムを作ってりゃよかったからひとつの事に集中できたんだ。今じゃ、二足の草鞋どころじゃなく、ひとりで10も15も掛け持ってるからな。でもそんなゴタゴタも卒業して、今は少し楽になったね。もう日課の一部になったからね。



【ツアーの移動も"ミニバン"から"大型バス"、次は?】

Q:最初に初めてのツアーの事を話したよね。ミニバンに乗って、大型バスの後ろからついて行ったって。

M:俺達5人、ミニバンに乗ってたよ。バスの後ろにくっついて、交代で運転してさ。ギャラもなしだぜ。ただ顔を売るのに必死だったんだ。あの当時爆発的に売れてたNAUGHTY BY NATUREの後を追ってた。

Q:「O.P.P.」だろ?

M:ああ。あの時は必死で全公演(前座)をこなしたんだ。前座でも人前でパフォーマンスすれば、人の目につくだろ?とにかく人前に出る事だけを考えてたんだ。ラジオにも出られない、ましてや(プロモ)ビデオすら持ってなかったから、「とにかく人前に出て(NBNの)ファンを捕まえよう、ギャラなしでもいいからできるだけツアーにくっついていくんだ」ってね。500ドルでTHE BEASTY BOYSのツアーに同行したのは最高だったね。あのツアーに同行すれば今までと全く違ったタイプのファンを確保できると思ったんだ、だから彼等と一緒にツアーにでたかったのさ。それにはツアーのライブしかなかったんだ。

Q:ミニバンから大型バスへ昇格した感想は?

M:最高さ。寝台車だからちゃんと眠れるしね。でも結局はあの頃と同じさ。ツアーは大変だよ。笑い事じゃないぜ。俺達はツアーの一部始終を学んだからよかったけど、それでもツアーは大変だよ。

Q:グルーピーとか?

M:それもあるけど、グルーピーは大した問題じゃない。それよりツアーはやる事が多いんだよ。移動に次ぐ移動、到着してホッとしたい時にプレスが待ってるだろ。これって並みの仕事じゃないぜ。ずっと働きっぱなしって感じなんだよ。毎日だぜ。特に俺達はラジオと提携してる訳じゃないからね。別の方法で大衆にアピールしなきゃなんないんだ。

Q:ツアーバスからチャーター機に変更っていうのはどうなの?

M:それはまだだな。まだチャーター機を探してる段階さ。考えてはいるけどね。俺達の計画には入ってるけど、まだ実現はしてないね。

Q:じゃあ、チャーター機を手に入れたら黒に塗装して骸骨のマークを入れる?

M:当ったり前じゃないか! もちろん。LAライダーズみたいにクールな黒の機体にするぜ。黒とシルバーの機体に骸骨のマーク、そのうえでっかく「CYPRESS HILL」って入れるんだ。

Q:そのイメージの件でゲリーと話したって聞いたんだけど。アルバム「ブラック・サンデー」以来、カバーがかなりゴシック系だよね、骸骨とか描かれてるしさ。

M:ビジュアル的にはそれがイメージだな。俺達は常に相手の想像に任せるタイプのイメージを作ろうとしてきたんだ。皆が各自自分で想像して決める。この業界に入った時から、俺達は常にロックっぽさを取り入れてきた。それにずっとRUN DMCやP.E.のファンだったからRUN DMCのロックを取り入れたBボーイのイメージに注目していて「このイメージでいこうぜ」って事でロックとヒップホップの融合に至ったんだ。それにブラックライトポスターやラブランプやビーズなんかが部屋にあったから何かと(ロックの)影響を受けてんだ。俺の叔父さんがヒッピーだったから自然にそういう影響を受けたのさ。だから俺達の音にはそれが顕れているんだ。棚にはエイトトラックがびっしりあって、サバスやツェッペリンのカバーや、クリーム、ディープ・パープルやなんか。



【NEW ALBUM"SKULL & BONES"について】

Q:僕があの当時の君等の音を表現するなら、ウルトラマグネティックとツェッペリンを足して2で割ったって感じかな。

M:その通り。その2グループに最も影響を受けてるからな。それがヒップホップを聞くきっかけになった理由の一つだし、9つか10つの頃に俺が音楽に興味を持ち始めた理由でもあるんだ。一通り何でも聞いたよ、ロックやディスコ、俺のおばさんはディスコクイーンだったんだぜ。それからラップが世に登場し始めて耳にした時は、強烈だったね。やられたって感じでさ、虜になったね。

Q:君等のプロダクションのスタイルの変化について質問があるんだ。昔はピート・ロックがループにトランペットを使ってた一方、君等はいつもギター、それもブルースギターを使ってダークなタイプのすげえループを作ってただろ、自分自身の意見として君等のスタイルは本当に変ったと思う? 今はどんな感じの事をやってるの?

M:今は新たに何かを作り上げる段階かな。まだ誰もやった事のない新しいスタイルを探してるんだ。常に新しく事そして人と違ったスタイルを生み出そうとしているんだ。常に自分を前進させやる気を奮い起こさせたいと思う。もう過去にそれを達成したし、やる気になればそれをもう一度やる事ができるんだけど、とにかく人と同じ事をしたくない、自分独自のものを追求したいんだ。そしてそれは同時に現代(今)を表すことでなきゃならないんだ。それって微妙な線だけど、俺達は活動を再開したし、SPやリアルサンプルや1989年タイプを取りいれてやるぜ。

Q:あの当時、AS-RIOを最初に使ったのは君だったよね。

M:ああ。

Q:今は別のを使おうとしてるとか?

M:今でも持ってるけど、時々MPで曲を作る時もあるし、ASRを使う時もある。それから時にはSP-1200を使ったりして常に新鮮なスタイルを保つ努力をしてるんだ。それぞれ音楽に違った雰囲気がでるからね。同じ事に飽きれば、ドラムマシンを持ち出すんだ。このアルバムにもドラムマシンを入れたのが何曲かあるけど、みんないいカンジに仕上がったよ。全曲の内、サンプルしたのは2曲だと思うんだけど、アルバム全曲ライブなんだ。全員ライブミュージシャンで、アルバム全部ライブなんて、これは俺にとっても初体験なんだ。だからこれはいいかもしれないぞ、やってみる価値あるって思ったのさ。感はバッチリ当たって、1ヶ月でこのアルバムを完成させたよ。

Q:ふーん

M:一日一曲のペースで毎日やったけどね。

Q:自宅スタジオ、それとも何処か別の場所?

M:アメリカン

Q:ノースハリウッドだろ?

M:ああ。

Q:「HOUSE OF PAIN」をレコーディングした場所じゃないの?

M:その通り、レコーディングとミックスした場所だ。この間も彼等は大歓迎で迎えてくれたよ。だからこれからも同じ場所でいく事にしたんだ。

Q:今回久しぶりに集まったのメンバーの感触はどんな感じだった?

M:楽だったね。このアルバムは楽だった、直ぐに出来たんだ。俺達にとって5年ぶりの夏休みで、スタジオに入って1ヶ月で終了したよ。「はい、完成」って感じだったのに発売日が延びて、「せっかく急いでやったのによぉ」ってムカついたんだけど、2週間後には「ロック系の曲をレコーディングしようぜ」って事になって、結局13曲レコーディングしたよ。その後また発売延期になって、「一体どうなってんだよ?」って言いながらスペイン語バージョンを録音したのさ。結果これだけ全部を3ヶ月の間にやったんだ。

Q:凄い!CYPRESS HILL新曲発売、グループ解散の噂に関してコメントは?センドッグは新しいグループを結成したし、君も「PUPPET MASTER」や「DJ MUGGS PRESENTS SOUL ASSASINS」をなどで独自に活躍してるわけだけど、メンバーが再結集するのは大変だった? 君等は本当に解散したのかい?

M:してないよ。それぞれが各自自分達で活動したことはよかったと思ってる。それによって自分達のラップ業界における位置や何かがわかったからね。それにグループではできない創作の場があるってことはいい事さ。

Q:そうだね。

M:俺達がグループとしてやる事、それは常に変らない基本なんだ。CYPRESS HILLが健在な限り、それをステップに何時だって各自がやりたい事をやれる道へ繋げる事ができるんだ。その事はグループの全員が理解している。先ずはこのCYPRESS HILLを優先に考えれば、後は自然についてくる。今俺達はそれぞれが同時にいろんな場面で活動しているからね。

Q:当時、君はオリジナルKDミックスマスターの一人だった?

M:いいや。彼等とツルんだりしてたけどメンバーじゃなかった。やっとメンバーの誘いを受けた頃にはもう興味がなくなってたんだ。あまりにも長い間待たされたから、グレッグ・マックが遂に誘ってきた頃には、もういいやって感じでさ。

Q:じゃあ、別のオリジナルメンバーが戻ったってわけ?

M:ジョー・クーレイ、トニー・G、M-ウォーク、それってジュリオやラルフ・エドモンドやなんかの前だけど。それってボブキャット全盛の最初の旋風って感じだね。俺が憶えてるのは、そうそう、ジャミン・ジャミニだ。

Q:あの当時が懐かしい?ミキサーと1200を2台でやってた頃。

M:そうだな。あれは自分がやりたい事をやってた頃だからな。今も悪くないけど時々、クソッ、あの頃は目が覚めればそこにドラムマシーンとターンテーブルとベッドだけのシンプルな暮しだったよなって思う時もあるさ。希望に満ち溢れてたっていうか、未知を開発する時っていうのはいいものだよな。

Q:現在はどう? どんな暮し? 豪邸に住んでるとか?

M:ああ、いい家だよ、快適だね。やりたい事はなんでも出来る状態さ。

Q:レコード部屋もあるよね?

M:ああ。自宅スタジオとかなりでかいスタジオもある。今は曲作りもやりやすくなった、スタジオへいってあっという間にレコードを作れるんだ。昔は1曲作るのに1ヶ月懸ってたんだ。デビューアルバムなんか3年分の音楽の結集だったんだぜ。俺達の最初のアルバムは3年分の音の結集だったんだ。デモや曲を作るのに明け暮れてたよ。今じゃ、あっという間にアルバムを作るまでになった。経験を積んでプロなれば、後はそれを維持し続けていくって事さ。

Skull and Bones
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