制作スタッフインタビュー
音楽家 和田薫

その後に「放浪時代」があるとのことですが?
それも元々は僕の卒業作品、やっぱりオーケストラ作品ですけれども、それを僕の先輩の広上淳一さんという方が「これ面白いからむこう(ヨーロッパ)でやろうよ」と言ってくれたのがきっかけです。むこうで演奏会が終わったらすぐに帰るつもりだったんですけど、何だかとっても居心地が良いし、見たいものも調べたいものもあるし、自分の音楽がヨーロッパでどう評価されるのか見たかったというのもあって。それで幸運にも演奏された曲がとても好評で「来年もやろう」と言っていただいているうちに帰るきっかけを失ってしまって(笑)。
知り合いのウチを泊まり歩いて貧乏の極みでしたけど、想いだけはあったんですね。日本ではヨーロッパというのは音楽的な理想という感じで教えられたけど、実際来てみるとそんなこともなく「現代音楽はココでも終わっているなあ」とか考えてみたり、向こうの若い連中と話し合ったり活動したりして・・・。夢ばっかりは若いし膨らむじゃないですか。お金は全然なかったけど全然気にはならなかったですよね。いいかげんだったんですかね(笑)。
日本に戻るきっかけは?
ミシガンで僕の曲とかアレンジした曲をやるってことで、何度かアメリカにも行ってたんですね。そこのミシガン・パーカション・アンサンブルが日本公演をすると言うことで、それのお手伝いというかプロデューサーやってくれないかと声をかけられたのがきっかけで帰ってきたんです。それがなかったらまだ怪しげな生活をしていたかもしれないですね(笑)。それ以降はコンサートとかで向こうに行くことはありますけど、基本的には日本の生活です。というか、帰ってきてこういう仕事を始めてようやく社会人としての第一歩を踏み出せたという感じです(笑)。
最初に携わったのがアニメーションの音楽で、当時はシンセサイザーが主流で打ち込みも確かに流行ってたんですけど、昔の手塚アニメでの富田勲さんとかフルオケ(フルオーケストラ)でやってたじゃないですか。『リボンの騎士』とか『ジャングル大帝』とか。その当時のスタッフがプロデューサーになっている頃で「オーケストラで音楽作りたいね」という話をしているところに僕が入っちゃったもんだから、海の者とも山の者ともわからないのにオーケストラを書かせてくれたりしたんですよ。最初がそうだったせいか、それ以来生オケ(打ち込みではなく生楽器演奏によるオーケストラ)を使う仕事が多くて、どうも「和田は金は掛かるが生オケを書くらしい」ということになっているらしく(笑)。
なるほど。今回の『キカイダー01 THE ANIMATION』もフルオケの壮大な楽曲ですね。
では「キカイダー」の話を…。実写版はご覧になっていましたか?
僕は当時小学生ですからバリバリはまってる時期でよくごっこ遊びをしてました。やっぱり「キカイダー」と言えば渡辺宙明先生の音楽のイメージは忘れられないですよね。よく唄ってました。
(2/3)
■1 ■2 ■3