ヨーコ・オノ

 

 ヨーコ・オノ(本名小野洋子、1933年2月18日生)はいうまでもなく20世紀を代表する音楽家の一人、故ジョン・レノン元夫人であると同時に、1950年代後半から現代に至るまでその前衛的表現スタイルを独得の個性とする数々のアート作品の表現者として、また独創的な音楽家として数々の作品を発表し続けてきており、その間世界中の様々なアート・クリエイター達やロック・ミュージシャン達に大きな影響を与えてきた。また、一貫してジョンの「Imagine」に象徴される平和と愛を訴えるメッセージを発信し続け、数々のチャリティイベントへの参加や基金の支援などで今なお世界平和のために活動し続ける世界的アクティビストでもある。

 旧安田財閥直系の母と日本興業銀行元総裁の三男で自らも銀行員だった父の間に東京で生まれたヨーコは幼少の頃、日本を代表する実業家や学者、官僚や外交官、さらには画家や音楽家などそうそうたる親族達に囲まれて育ち、自らも学習院に学ぶいわゆる良家の子女だった。海外勤務だった父の関係で幼い頃からサンフランシスコやニューヨークと日本を行き来していたヨーコが本格的にアメリカに拠点を置いて活動を始めたのは、1953年20歳の時に父の赴任先のニューヨークに移住してマンハッタンのサラ・ローレンス大学に入学して音楽と詩を学び始めた頃。ほどなく現地の前衛芸術家達との交流を深めたヨーコは、1956年当時ジュリアード音楽院在学中の音楽家、一柳慧と知り合い結婚、退学。一柳の師であった前衛音楽家のジョン・ケージらと交流したヨーコは、フルクサスと呼ばれる現地芸術家や音楽家達が展開する前衛芸術活動に参加し、マンハッタンのダウンタウンにフラットを借りてそこで自分の作品の展示や表現活動を展開、1961年にはカーネギー小ホールで前衛音楽とパフォーマンスのショーを行い、現地前衛芸術家達から高い評価を受けていた。

 1962年に一柳と離婚して帰国したヨーコは鬱病治療のため精神病院に入院するが、彼女の支持者だったアメリカ人映像作家のアンソニー・コックスが来日、彼女の退院を実現させる。これがきっかけでコックスと再婚したヨーコは翌年娘のキョーコを出産する一方、1964年にはニューヨークに戻り、コンセプチュアル・アートの傑作といわれるアート書籍『Grapefruit』を発表するなど活動を再開した。1966年にはロンドンで開催された前衛芸術シンポジウムに唯一自分のイベントを主催した女性芸術家として招かれ、活動の場をロンドンに広げる。そしてこれがジョンとの運命の出会いにつながった。

 ジョンは1966年11月にロンドンのギャラリーでのヨーコの個展を訪れ、白塗りのハシゴを登った頂上の天井からぶら下がる拡大鏡を覗くと天井に小さく書かれた「YES」という言葉が見えるという作品『天井の絵』に感動、当時の前衛芸術がことごとく現状否定や体制批判に終始していたことに違和感を感じていたというジョンはこれをきっかけにヨーコに急接近した。1968年当時のジョンの妻シンシアが旅行で不在中に自宅にヨーコを招き入れたジョンは、同年に二人の初の共作アルバムとして発表され、その前衛的内容とショッキングなジャケットデザインで多くの物議を醸した『未完成作品第1番 トゥー・ヴァージンズ』に収録された前衛的な音源を録音した後、ヨーコと男女の関係を結んだという。

 ジョンはシンシアと、ヨーコはコックスと離婚の上、1969年3月に結婚。当時レコーディング進行中だったビートルズの『ホワイト・アルバム』にも「Revolution No. 9」などの楽曲で参加したヨーコの存在感の大きさは、当時既に解散の方向に向かっていたビートルズのメンバー間の関係に大きな影響を与えたと言われた。一方二人は結婚直後アムステルダムで当時のベトナム戦争反対のための「平和のベッドイン」を敢行し、この時レコーディングした「平和を我等に」が二人の共同シングル第1弾となった。同年引き続きジョンと共に『未完成作品第2番 ライフ・ウィズ・ザ・ライオンズ』と『ウェディング・アルバム』の2枚の前衛的音源アルバムをリリースしたヨーコは、ジョンとのバンド作品をプラスティック・オノ・バンド名義で次々に発表。この年9月のビートルズの事実上の解散をよそに、既に1970年代という新しい時代に向かって、シングル「平和を我等に」「コールド・ターキー」、そしてエリック・クラプトンらそうそうたるメンバーを加えたその年のトロント・ロックンロール・フェスティヴァルでのライブ盤『平和の祈りをこめて』などを発表、精力的活動を行っていた。

 1970年、ジョンとヨーコはそれぞれ『ジョンの魂(John Lennon/Plastic Ono Band)』と『ヨーコの心』という酷似したジャケットのソロアルバムをリリース。ジョンのアルバムが内省的で赤裸々な心情を吐露したロック作品であったのに対し、ヨーコの作品はオーネット・コールマンらフリー・ジャズの大物達を配したフリー・ジャズ的ナンバーの他、ヨーコ独得の前衛的ボーカルが全編炸裂するという内容だったが、この作品はB-52’sなど後のオルタナティブ・ロックの女性ボーカリスト達に大きな影響を与えたとされている。1971年ニューヨークに移り済んだ二人はベトナム戦争反戦歌として「ハッピー・クリスマス(戦争は終わった)」をリリースするなど、引き続き政治的・社会的メッセージを発進し続けたが、これが当時のニクソン政権によるジョンの国外退去命令や永住権剥奪などによる度重なる弾圧を呼び、同様の政治的メッセージ満載のジョンとの共作アルバム『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ(Some Time In New York City)』の評価もふるわず、この頃二人にとっては困難な時期が続いていた。

 1973年、ジョンがアルバム『ヌートピア宣言(Mind Games)』制作中、二人は別居を開始。18ヶ月の「失われた週末」期間中、ジョンはヨーコ公認の下、アシスタントのメイ・パンを愛人としてロスとニューヨークで過ごす一方、ヨーコは『無限の大宇宙』『空間の感触』(1973)といったそれまでの前衛的スタイルから離れた通常のロックスタイルによるソロアルバムをリリースするなど、二人は全く別の道を歩み始めたかのように見えた。しかし1974年11月、ジョンにとって初の全米ナンバーワンヒットとなった「真夜中を突っ走れ(Whatever Gets You Thru The Night)」で共演したエルトン・ジョンのNYマジソン・スクエア・ガーデンのライブで二人は再会し「失われた週末」は終わる。翌1975年10月に息子ショーンを授かったジョンは音楽活動を休止し、5年後音楽活動に復帰するまで二人はニューヨークと日本を行き来しながらショーンの育児に専念した。この時期三人が日本の軽井沢で多くの時間を過ごしたことは広く知られている。

 ジョンが音楽活動に復帰して9年ぶりの二人の共作アルバム『ダブル・ファンタジー』をリリースした1980年が二人にとってどういう年となったかは説明の必要もないだろう。ジョンとヨーコが睦まじくキスを交わすジャケットのアルバムとシングル「スターティング・オーヴァー((Just Like) Starting Over)」リリースからわずか数週間後の12月8日、ジョンはマーク・チャップマンの凶弾に倒れて帰らぬ人となった。彼の死後間もなく英米でナンバーワンとなった『ダブル・ファンタジー』にはジョンの楽曲と交互に初期の前衛的スタイルとその後のポップ・ロック・スタイルのハイブリッドなヨーコの楽曲が収録されていた。またジョンが亡くなった日にレコーディングされていたヨーコの「ウォーキング・オン・シン・アイス(ジョンに捧ぐ)」も直後シングルとしてリリース、後のヨーコのダンス・チャートでの活躍を予感させるこのユーロビート風の楽曲は彼女唯一のソロ・ポップ・ヒットとなった。

 ヨーコはジョンの死後、この時ジョンがレコーディングしていた音源をまとめたアルバム『ミルク・アンド・ハニー(Milk And Honey)』(1984)をリリースする一方、ジョンが殺害された時にかけていた血痕付きの眼鏡の写真をジャケットにした『シーズン・オブ・グラス』(1981)や『イッツ・オーライト』(1982)といった自作曲のアルバムを、自らの傷を癒やすプロセスであるかのように発表し続けた。1985年のジョンの45歳の誕生日に、ヨーコは自らの資金を拠出してジョンが狙撃されたニューヨークのダコタ・ハウスからほど近いセントラル・パーク内に「ストロベリー・フィールズ・メモリアル」を建立、ここは今もニューヨーク市民や観光客が多く足を運ぶ場所となっている。

 1985年に時のレーガン政権が打ち出した「スター・ウォーズ計画」を批判するアルバム『スターピース』のリリースを最後にヨーコはしばらく音楽活動や公共の目から遠ざかることになるが、1987年にアンディ・ウォーホルが死去した際、ヨーコは弔辞を述べる主賓の一人としてその葬儀に参加。1990年にはジョンの50歳の誕生日に合わせた世界中での「イマジン」の一斉放送イベントをサポートしたり、1994年には自作曲をベースにしたオフ・ブロードウェイ・ミュージカル『ニューヨーク・ロック』をプロデュースするなど、マイペースでの音楽と平和活動は継続していた。そんなヨーコが再び音楽活動を再開したのは1995年、息子のショーンと共演した10年ぶりのソロアルバム『ライジング』のリリースだった。続いてNY同時多発テロのわずか一ヶ月後に『ブループリント・フォー・ア・サンライズ』(2001)をリリースしたヨーコは、NYラジオ・シティ・ミュージック・ホールで俳優のケヴィン・スペイシーの司会による、ルー・リードやシンディ・ローパーら有名ミュージシャン達が参加したチャリティーコンサート『Come Together: A Night For John Lennon’s Words And Music』を企画、9/11被害者救済基金に多額の寄付を行うなど、改めて平和と愛を願う行動でその存在感をシーンに再認識させた。

 2000年代のヨーコは思わぬ形で音楽シーンの最前線での注目を集めることになった。欧米でDJ・レイヴシーンが活発になったこの時期、一部のDJがヨーコの楽曲をリミックスしたバージョンが次第に人気を呼び始め、ペット・ショップ・ボーイズや有名DJのピーター・ラウホーファーらがリミックスしたヨーコの「ウォーキング・オン・シン・アイス」(ONO名義)がついに2003年全米ダンスチャートの1位を記録。ここから2016年の「Hell In Paradise 2016 (Remix)」まで、13年間で13曲を全米ダンスチャートの1位に送り込むという偉業を成し遂げ、ヨーコは「21世紀のダンス・アイコン、ONO」としてレイヴ・シーンで大きなリスペクトと存在感を確立、2016年にはビルボード誌から史上11番目に成功したダンス・クラブ・アーティストの栄誉を与えられた。

 一方ダンスチャートだけでなく、2009年には息子ショーンや元チボ・マットの本田ゆか、小山田圭吾(コーネリアス)らをメンバーに加えた新生プラスティック・オノ・バンドを35年ぶりに再編成、『ビトウィーン・マイ・ヘッド・アンド・ザ・スカイ』をリリース。更には2013年、レニー・クラヴィッツやザ・ルーツのクエストラヴ、ビースティー・ボーイズのメンバーなどのヨーコをリスペクトするアーティスト達を迎えた『地獄の果てまで連れてって』をリリースして健在なバンド活動ぶりを示した。また彼女を敬愛して止まないソニック・ユースのキム・ゴードンとサーストン・ムーアとのコラボによる、ヨーコ久々の前衛音楽作品『Yokokimthurston』(2012)を発表、つい最近までアヴァン・ギャルド・アイコン、ヨーコ・オノとしての面目を躍如するような活動も続けていた。

 21世紀に入ってもヨーコの芸術表現と愛と平和推進の活動は留まるところを知らない。2000年にはさいたま市にジョン・レノン・ミュージアムをオープン(2010年に閉館)、同年から2003年にかけてはヨーコの40年にわたる表現活動の回顧展『Y E S YOKO ONO』が全米、カナダや日本、韓国の13か所の美術館で行われ、この回顧展は2001年に美術展界最高の栄誉とされる、国際美術評論家協会による全米最優秀美術展賞を受賞している。

 2006年トリノ冬期オリンピック開会式では世界平和を呼びかける詩を朗読し、「イマジン」を演奏したピーター・ゲイブリエルを紹介。2007年9月にはアイスランドのヴィーゼイ島に、ジョンの生前から共に思い描いていた世界平和を願う光の塔「イマジン・ピース・タワー」を完成、ヨーコのアート作品でもあるこのタワーの点灯式にはショーン、ヨーコ、キョーコ、リンゴ、オリビア・ハリスン(故ジョージ・ハリスン夫人)が参列した。

 2008年にはドイツのビーレフェルト芸術ホールとイギリスのバルティック現代美術センターで大規模な回顧展『Between My Sky And My Head』、翌年にはイタリアのベニスでも新旧の作品展を行う一方、2014年にイギリスのケント州フォークストーンで開催されたアートフェスティバルに『Earth Peace』と『Skyladder』の2作品を出展するなど近年も相変わらず精力的なアート活動を展開している。

 一方、2011年の自分の78歳の誕生日にはイギリスのフリーペーパー『メトロ』誌に「Imagine Peace 2011」と掲載する全面広告を寄稿し、平和について改めて考えることを提案。また同年ニューヨークでショーンと共に東日本大震災被害者救済のチャリティ・コンサートを行い、また来日して各地で被害者救済支援の講演やパフォーマンスを行った。

 そしてこうした彼女の活動にこたえるかのように、2017年全米音楽出版社協会はジョンの「イマジン」に対して「世紀を代表する曲アウォード(Centennial Song Award)」を授与するとともに、ヨーコをこの曲の共作者として認定した。ジョンは生前、「『イマジン』の詞やコンセプトはほとんどヨーコの『Grapefruit』から取ったものであり、イマジンは本来レノン/オノ・ソングとしてクレジットすべきだった」と言っており、「イマジン」のリリースから46年経って晴れてヨーコの名前が共作者として認知されたことでジョンの願いも現実のものとなったのだ。

 さらに、あの『ダブル・ファンタジー』のリリースとジョンの生誕80年、没後40周年の2020年には、これまでの二人の作り出した様々な作品や歴史的アイテム、各種写真や展示品を通じてこの世界的カップルの歴史をたどる『ダブル・ファンタジー展(Double Fantasy – John & Yoko)』が東京六本木のソニーミュージック六本木ミュージアムで開催された。2018年にジョンの故郷、リバプール博物館で開催されたこの展覧会はヨーコの88歳の誕生日である2021年2月18日まで開催され、改めてジョンとヨーコの歴史的存在を若い世代も含めた多くの人々が実感することとなった。

 こうして60年に及ぶ間さまざまな表現活動を続けてきたヨーコも今年2023年で90歳を迎えた。音楽活動も今のところ2018年のセルフ・カバーアルバム『ウォーゾーン』以降目立った動きを見せていない。しかしヨーコが命あるかぎりその個性あふれる表現活動を完全に辞めることはないだろう。なぜなら彼女自身がかつてこう言っているから。「アートは私にとっては呼吸のようなもの。やらないと、息が詰まってしまうのよ」

 

ディスコグラフィ(カッコ内は原盤レーベル、- 以降は英米でのチャート実績)

1.主なアルバム

1968年  『未完成作品第1番 トゥー・ヴァージンズ(Unfinished Music No. 1: Two Virgins)』(ジョン・レノンとの共作)(Apple) – US 124位

1969年  『未完成作品第2番 ライフ・ウィズ・ザ・ライオンズ(Unfinished Music No. 2: Life With The Lions)』(ジョン・レノンとの共作)(Zapple) – US 174位

              『ウェディング・アルバム(Wedding Album)』(ジョン・レノンとの共作)(Apple) – US 178位

              『平和の祈りをこめて(Live Peace In Toronto 1969)』(プラスティック・オノ・バンド名義、ジョン・レノンとの共演ライブ盤)(Apple) – US 10位(ゴールド)

1970年  『ヨーコの心/プラスティック・オノ・バンド(Yoko Ono / Plastic Ono Band)』 (Apple) – US 182位

1971年  『フライ(Fly)』 (Apple) – US 199位

1972年  『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ(Some Time In New York City)』(ジョン・レノンとの共作)(Apple) – US 48位、UK 11位

1973年  『無限の大宇宙(Approximately Infinite Universe)』(Apple) – US 193位

              『空間の感触(Feeling The Space)』(Apple)

1980年  『ダブル・ファンタジー(Double Fantasy)』(ジョン・レノンとの共作)(Geffen) – US 1位(8週、3xプラチナ)、UK 1位(2週、プラチナ)

1981年  『シーズン・オブ・グラス(Season Of Glass)』(Geffen) – US 49位、UK 47位

1982年  『イッツ・オーライト(It’s Alright (I See Rainbows))』(Polydor) – US 98位

1983年  『Heart Play: Unfinished Dialogue』(ジョン・レノンとの共作)(Polydor) – US 94位

1984年  『Milk And Honey』(ジョン・レノンとの共作)(Polydor) – US 11位(ゴールド)、UK 3位(ゴールド)

1985年  『スターピース(Starpeace)』(Polydor)

1992年  『Onobox』(CD 6枚組ベスト・ボックスセット)(Rykodisc)

              『Walking On Thin Ice』(ベスト盤)(Rykodisc)

1994年  『ニューヨーク・ロック(New York Rock)』(自作オフブロードウェイ・ミュージカルのオリジナル・キャスト盤)(Capitol)

1995年  『ライジング(Rising)』(ショーン・レノンとの共演)(Capitol)

1997年  『ストーリー(A Story)』(1974年音源集)(Rykodisc)

2001年  『ブループリント・フォー・ア・サンライズ(Blueprint For A Sunrise)』(過去の楽曲のライブ・リミックス集、ショーン・レノンとの共演)(Capitol)

2007年  『イエス・アイム・ア・ウィッチ(Yes, I’m A Witch)』(過去楽曲のリミックス集)(Astralwerks / Apple)

              『Open Your Box』(過去楽曲のリミックス集)(Astralwerks)

2009年  『ビトウィーン・マイ・ヘッド・アンド・ザ・スカイ(Between My Head And The Sky)』(プラスティック・オノ・バンド名義)(Chimera)

2012年  『Yokokimthurston』(ソニック・ユースのキム・ゴードン、サーストン・ムーアとの共演)(Chimera)

2013年  『地獄の果てまで連れてって(Take Me To The Land Of Hell)』(プラスティック・オノ・バンド名義)(Chimera)

2016年  『Yes, I’m A Witch Too』(過去楽曲のリミックス・他アーティストとのコラボ盤)(Manimal Vinyl)

2018年  『ウォーゾーン(Warzone)』(自作曲の新録音集)(Chimera)

 

 2,主なシングル(USD=USダンス・チャート)

1969年    「平和を我等に(Give Peace A Chance)」(プラスティック・オノ・バンド名義)- US 14位、UK 2位

                 「コールド・ターキー(Cold Turkey)」プラスティック・オノ・バンド名義)- US 30位、UK 14位

1970年    「インスタント・カーマ(Instant Karma)」(ジョン・レノン、プラスティック・オノ・バンドとの共演)- US 3位(ゴールド)、UK 5位

1972年    「ハッピー・クリスマス(戦争は終わった)(Happy Xmas (War Is Over))」(ジョン・レノン、プラスティック・オノ・バンド、ハーレム・コミュニティ唱歌隊との共演)- US 38位(2022年)、UK 2位(2xプラチナ)

                 「女は世界の奴隷か!(Woman Is The Nigger Of The World)」(プラスティック・オノ・バンド名義、ジョン・レノンとの共演)- US 57位

1973年    「女性上位万歳(Josejoi Banzai (Part 1))」(日本のみリリース)

1981年    「ウォーキング・オン・シン・アイス(ジョンに捧ぐ)(Walking On Thin Ice)」- US 58位、UK 35位

1985年    「ヘル・イン・パラダイス(Hell In Paradise)」- USD 12位

2001年    「Open Your Box (Remix)」- USD 25位

2002年    「Kiss Kiss Kiss (Remix)」- USD 20位

                 「Yang Yang (Remix)」- USD 17位

2003年    「Walking On Thin Ice (Remix)」- USD 1位、UK 35位

2004年    「Hell In Paradise (Remix)」- USD 4位

                 「Everyman…Everywoman… (Remix)」- USD 1位

2007年    「You’re The One (Remix)」- USD 2位

                 「No, No, No (Remix)」- USD 1位

2008年    「Give Peace A Chance (Remix)」- USD 1位

2009年    「I’m Not Getting Enough (Remix)」- USD 1位

2010年    「Give Me Something (Remix)」- USD 1位

                 「Wouldnit (I’m A Star) (Remix)」- USD 1位

2011年    「Move On Fast (Remix)」- USD 1位

                 「Talking To The Universe (Remix)」- USD 1位

2012年    「She Gets Down On Her Knees (Remix)」- USD 5位

                 「I’m Moving On (Remix)」- USD 4位

2013年    「Hold Me」(デイヴ・オードとの共演)- USD 1位

                 「Walking On Thin Ice 2013 (Remix)」- USD 1位

2014年    「Angel」- USD 1位

2015年    「Woman Power (Remix)」- USD 6位

2016年    「Hell In Paradise 2016 (Remix)」- USD 1位

*  USでは、アルバム・シングル共にゴールド=50万枚、プラチナ=100万枚(2x=200万枚)の売上によりRIAA(アメリカレコード協会)が認定。UKではアルバムはシルバー=6万枚、ゴールド=10万枚、プラチナ=30万枚(2x=60万枚)の売上によりBPI(英国レコード産業協会)が認定。2023年6月現在。