ジャズミン・サリヴァン
母は生まれてきたわが子を胸に抱いた時、直感的にこう感じた“この子はジャズをこよなく愛し、歌うために生まれてきた”のだと。その子は母によってジャズミンという美しい名前を与えられた・・・。

フィラデルフィア出身、21歳のシンガー/シンガー・ソングライターのジャズミン・サリヴァンは母の直感どおり、素晴らしい音楽センスを持ち合わせた女性シンガーへと成長していった。



幼い頃から母に連れられ教会に通い、ゴスペルを聴きながら育ったジャズミンは5歳という若さで聖歌隊に入り、その音楽キャリアをスタートさせた。「家でも外で友達と遊ぶ時もいつもゴスペルを聴いていた」というくらい、とにかく歌うことが大好きだったジャズミンは、小学校に上がる頃にはすでにソロイストとしても活躍していた。そんなジャズミンのもとにはゴスペルのレーベルがスカウトに来たこともあったが、“音楽を通して伝えたい多くのメッセージはゴスペルでは表現しきれない”という理由でその申し出を断る。この頃から早くもアーティスト/表現者としての頭角を現していた・・・。

11歳の時、あの有名新人発掘番組「Showtime At The Apollo」に出演することになるのだが、これこそがシンガー、ジャズミン・サリヴァン誕生の原点だったことは間違いない。アポロ・シアターの大きなステージで「Accept What God Allows」を見事に歌い上げた若干11歳の少女の歌声は、会場中の人々を魅了した。



本格的にシンガーを目指すことを決意したジャズミンに、母は音楽の英才教育を施し始める。母の勧めでアレサ・フランクリンやスティーヴィー・ワンダーなどのクラシックR&Bを聴き始め、音楽専門学校でもクラシックR&Bを専攻。年頃になるにつれてジャズや現行R&Bへとその興味の幅が広がると、メアリー・J.ブライジ、マライヤ・キャリーやアリシア・キーズなど多くの若きディーヴァ達にも自然に憧れを持つようになっていく。

そして13歳で運命の出会いが待っていた。TV出演後から定期的に連絡を取り合っていたケニー・オルティスというプロデューサーを通じてミッシー・エリオットを紹介されたのだ。ジャズミンの歌声を聴き、その才能に惚れ込んだミッシーはジャズミンを自分のスタジオに呼ぶなどして交流を深め、その後JIVEに紹介、1年後には念願のメジャー・レーベル契約をすることに成功した。



ジャズミンの出身地であるフィラデルフィアは古くからジャズが盛んで、独自の音楽性を発達させてきた芸術の街である。そのフィリー・シーンを代表する有名ライブ・イベント<Black Lily>は“若きアーティストの登竜門”として長きに渡り多くの大物アーティスト(ジル・スコットやザ・ルーツなど)を輩出してきたが、そのイベントのオーディションをパスした15歳のジャズミンは<Black Lily>史上最年少アーティストとして迎えられることになった。隔週の火曜日には欠かさず<Black Lily>に通い、先輩のキンドレッド・ザ・ファミリー・ソウルやフロエトリーなどと一緒にステージ・ライブをこなす日々。そんな中、キンドレッドを介してあのソウル界の巨匠、スティーヴィー・ワンダーとのジャム・セッションをも経験し、スティーヴィーからは「彼女ほど説得力のある歌い方をするシンガーを聴いたことがない」との賛辞の言葉を送られた。並行してJIVEのアーティストとしてセルフプロデュースでの曲制作にも打ち込み、アルバム・リリースに備えた。(その中の一曲がのちにクリスティーナ・ミリアンのヒット曲となる「Say I」だった。) メジャー・レーベルと契約をし、<Black Lily>という憧れの舞台でのライブをも手に入れたジャズミンは、幼い頃からの夢が早々に叶ってしまったことに戸惑いを感じつつも、幸せの絶頂にいた。



しかし、その状況は長くは続かなかった。いつものようにライブを終えたジャズミンを呼び出した母から思いもよらぬ報告を受ける。「あなたはJIVEから解雇されたの・・・。」アルバムが完成してもリリースの状況が見えないことに不安を感じていた矢先のことだった。あまりにショックなその事実を前にジャズミンは、母の前では涙は見せまいと気丈に振舞ったが、後ろを向いて歩き出した途端に涙がとめどなく溢れてきてしまったことを今でも鮮明に思い出す。JIVEにはわずか2年ほど在籍し、17歳でジャズミンは正式にレーベル解雇を命ぜられた。



絶望感とともに悲しみのどん底にいたジャズミンを助けたのは、やはりミッシーだった。JIVE解雇後も自身の作品周りでジャズミンを起用、ファンテイジアのアルバムに参加させるなどしてサポートをし続けた。

そのミッシーのバックアップも手伝ってか、JIVEから離れた後もバック・ヴォーカルやソングライターとして地道な活動を続けていたジャズミンに対するシーンの評価は相変わらず高く、その噂は業界中にも波及していた。

かねてからジャズミンの才能を高く評価していたJ-RecordsのA&R、ピーター・エッジがクライヴ・デイヴィスのオーディションを設定。再起をかけたそのオーディションで「In Love With Another Man」(アルバム11曲目に収録)を熱唱したジャズミンにクライヴは「ようこそ私のファミリーへ」と告げたという。



21歳にして苦節6年、遂にジャズミンはR&Bの名門、J-Recordsが送り出す大型新人としてデビューすることが決定した。デビュー・シングル「Need U Bad」のプロデュースを担当したのはもちろん数々の苦悩を共に乗り越えてきた最高のパートナー、ミッシー・エリオット。このシングルは意外にもレゲエ調のR&Bで、ジャズミンにとって大きなチャレンジとなったが、見事に全米R&B/HIPHOPチャート4週連続1位を達成。新人がデビュー・シングルでR&Bチャートの1位を獲得するのは4年振りという快挙を成し遂げた。そして2008年9月にリリースされたデビュー・アルバム『Fearless』も全米R&B/HIPHOPアルバム・チャートで堂々の初登場1位を獲得した。“何事にも恐れずにチャレンジしていきたい”というメッセージが込められたアルバム『Fearless』をサポートするプロデューサーには、ミッシー・エリオットを筆頭にサラーム・レミ、ジャック・スプラッシュ、ダーティー・ハリーそしてスターゲイトと豪華な名士がラインナップされている。期待のセカンド・シングルはサラーム・レミによる「Bust Your Windows」で、そのフラメンコ調の印象的なトラックもさることながら、“浮気をした彼の車の窓ガラスを割ってやった!”という過激な内容が話題をよんでいる。普通ならタブーとされる曲を敢えて書いていることも『Fearless』の一貫したコンセプトにインスパイアされたジャズミンの“表現者”としての挑戦でもある。

アーティストや業界関係者のみならず、多くのソウル/R&Bファンから常に注目をされてきたジャズミン・サリヴァンのデビューは、次世代シーンを担う本物のR&Bシンガーの誕生でもある。