ザ・フレイ
アメリカはデンバー郊外の物静かなベッドタウンから出てきたのがフレイ。4人組バンドが織りなす美しいメロディーと舞い上がるようなヴォーカルがあやなすタペストリーは、希望や傷心といったこころにうったえかける物語を歌っている。

フレイはアイザック・スレイド(ヴォーカル、ピアノ)とジョー・キング(ギター、ヴォーカル)によって2002年に結成。地元でのギグを繰り返し、熱狂的ファンを徐々に獲得する。地元での人気に火がつきはじめたときには、デンバーの、ウェストワード・マガジンの「最優秀新人バンド賞」を受賞。デンバーの大手ロック・ラジオ局で、頻繁にO.A.されたデモ・ヴァージョンの「over my head (Cable Car)」は、わずか4カ月でKTCL局の2004年年間最多プレイ上位30曲にランクインした。2004年、噂をききつけたエピック・レコードはバンドと即契約。そして昨年9月、デビューアルバム『how to save a life』が全米でリリースされることになる。

 「3年前には不動産会社を始めようかなって考えてたんだ」と笑うのは結成メンバーのキング。地元の楽器店で同じ学校に通っていたスレイドと偶然に出会ったことが予期せぬジャムセッションにつながり、それが予期せぬソングライティングにつながり、またそれがザ・フレイ結成につながった。メロディを生かした高揚感のある曲に飛びついたのが、スレイドの以前のバンド仲間だったドラムスのベン・ワイソッキーとギターのデイヴ・ウェルシュ。「あの頃ベンと僕はペアのようのなものだったんだ」とウェルシュ。「ベンが先に参加したんで、僕なしじゃ寂しいだろうと思ってさ」

 4人とも腕利きのミュージシャンだったのも幸いだった。幼い頃からピアノを習っていたキングは、中学校でピアノをやめてギターに転向するまでは地元のコンテストに出たほどだった。「8年生のクラスでカッコいいやつはみんなギターを弾いてたから、僕も仲間入りしたかったんだよ」とキング。スレイドは8歳で歌い始め、11歳になってピアノを弾き始めた。高校ではギターも習った。「初めて曲を書いたのは16歳で、ギターを初めて手にした年なんだ」とスレイド。ワイソッキーがドラムを習い始めたのは6年生のとき。それまでは両親に勧められてピアノを習っていた。ウェルシュの家族は音楽一家で、ピアノとサキソフォンを習っていたが、12歳でギターに魅力を見い出した。

 こうしてラインアップが決まると、あとはバンド名だ。ソングライティングで言い争いになりがちなのをもじって、「フレイ(口論)」はどう?と誰かが言いだし、それいいね、ということで名前も決まった。時に切なく、時に軽快なピアノと、緩急使い分けたアコースティックとエレクトリックのギター、タイトで優しいリズムが作りだす感動的で洗練されたサウンドは、スレイドの痛々しいほど美しいヴォーカルに見事に寄り添っている。バンドのUSでのファーストシングル「over my head ~想いのすべてを歌にして」は、叙情的で心に染みるメロディラインが素晴しい。USセカンド・シングルでタイトルトラックの「how to save a life ~こころの処方箋」魂の救済について考えさせる悲痛な1曲。スレイドがクラック依存症の友人を支えた経験に基づいている。2曲とも圧倒的な臨場感でスピードアップしたかと思うと一挙にスローダウンし、クレッシェンドで盛り上がる頃にはリスナーは心をわしづかみにされてしまうだろう。

 ソングライティングの質の高さを考えると、バンドが1年足らずで地元の脚光を浴びるようになったのも不思議ではない。2004年1月にはギグの場所を探す無名のバンドだったのに、その年の12月にはラジオでかかるようになり、500人規模の会場をソールドアウトにするほどになっていたのだ。フレイは昨年7月、ウィーザーのサポートアクトとして全米ツアーに出る。2005年9月にリリースされたデビュー・アルバム『how to save a life ~こころの処方箋』は、全米で80万枚のスマッシュヒットを記録し、今もなおロングセールスを続けている。