ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロック
1984年の夏、ボストンを拠点として活動するプロデューサーのモーリス・スターと、10年来の友人、マネージャーのメアリー・アルフォードの2人は互いに同じ夢を持っていたことに気が付いた。ラップのようなストリート・ミュージックと純粋なポップ・ソング、その両方をこなせるグループを育てよう、これがモーリスとメアリーの夢だった。18歳以下で歌えて、ラップも出来て、踊れて、それぞれに魅力的な個性を持つ少年を求めて、彼らはボストンの街中を探し回り、オーディションを繰り返した。
結果6ヶ月を費やしてドニー・ワールバーグを見出す(当時14歳)。ドニーの友達がダニー・ウッドとジョーダン・ナイトだった。ジョーダンの兄のジョン・ナイトも誘いグループに加える。ジョー・マッキンタイヤーは、84年にはまだ11歳。当初ジェイミー・ケリーという別のシンガーがいたが「若すぎるから」と両親が反対したため、ジョーとメンバー・チェンジとなった。
最初は”Nynuk”(ナヌーク)と名乗った彼らは、デモ・テープ用に録音した曲「New Kids On The Block」なるラップ・ナンバーがなによりも自分達自身のことを語っている感じ、グループ名にする。
’85年後半、モーリスは4曲入りのデモ・テープを大手レコード会社に売り込んで回る。
’86年1月、コロンビアと契約が成立。4月、シングル「STOP IT GIRL」でデビュー。
その後フォー・トップス、リサリサ&カルト・ジャムのオープニング・アクトを努めたが、「STOP IT GIRL」、「BE MY GIRL」の2枚のシングルを出した後、デビュー・アルバム『NEW KIDS ON THE BLOCK』の宣伝活動もそこそこにグループとモーリスは2ndアルバムの制作にとりかかる。
’88年2月。2ndアルバム『HANGIN’ TOUGH/ストリート・タフ宣言』リリース(アメリカ)。
1stシングル「プリーズ・ドント・ゴー・ガール」は6月リリース。
この頃、ティファニーのオープニング・アクトで6週間、単独で1ヶ月の全米ツアーに出ている。6月25日付けビルボードHOT 100で、第92位初登場。10月8日付けで第10位を獲得。歴史的快進撃のスタートである。
日本では11月2日にアルバム『ハンギン・タフ』、10月21日に「プリーズ・ドント・ゴー・ガール」がそれぞれ発売される。
歴史的来日は10月下旬から11月上旬。ソニーのCM「ドデカホーン」の撮影+プロモーション来日を果たす。今では信じ難い、新宿ミロードでのストリート・パフォーマンスを披露。アメリカでは単独で12月~3月まで全米ツアーに出る。
2ndシングル「YOU GOT IT(ライト・スタッフ)」は2月25日付け第3位を獲得!3月下旬~4月頭にかけて、2度目の来日、日本でも人気急上昇!全米では4月下旬より10月にかけてトミー・ペイジ、ティファミー他をオープニング・アクトに従え、全米ツアー。その後、11月9日より’90年3月26日まで怒濤の全米ツアーに出る。
以下、シングル・チャートの爆進撃は、3rdシングル「ラヴィング・ユー」は6月17日付け全米NO.1。
4thシングル「ハンギン・タフ」は9月9日付けで連続NO.1同時(9/9付け)にアルバム『ハンギン・タフ』もNO.1を獲得。この頃アルバムは500万枚を突破し、全米のマスコミは「全盛期のビートルズ」と匹敵するファンの熱狂ぶりに、ビートルズのビートル・マニアに対し、“ニュー・キッズ・ヒステリア”と名付ける。いわゆる”超常現象”となる。
5thシングル「カヴァー・ガール」は11月4日付け全米2位獲得。同時期、4thシングルB面「ディドント・アイ」が11月18日付け全米第8位を獲得。TOP 10に2曲をチャート・インという快挙を成し遂げる。11月には、通常スーパー・グループしかリリースできないといわれる、クリスマス・アルバム『Merry Merry,Christmas』をリリース。12月30日付けで、全米9位、そこからのシングル「ディス・ワンズ・フォー・ザ・チルドレン」は”クリスマスだからこそ、世界の貧しい人々、食べ物を手にすることができない人々のことを考えてみよう”とのメッセージ・ソング。
’90年1月13日付け、全米7位を獲得。
さらに第16回アメリカン・ミュージック・アウォードでは、最優秀ポップ・ロック・アルバム、最優秀ポップ・ロック・グループの2冠に輝き、’89年度のビルボード誌年間チャートでは、TOP ARTIST NO.1、TOP NEW ARTIST NO.1に輝いている。
’90年10月、2ndアルバムは全米だけで1,100万枚、全世界1,500万枚売り上げている。
’90年6月。3rdアルバム『STEP BY STEP』リリース。登場2週目にして全米NO.1獲得。(6/30付けシングル「STEP BY STEP」と同時にNO.1)。6/23~9/16まで「マジック・サマー・ツアー」と題された全米ツアーは29回のスタジアムを含む計64回、200万人を動員。「ハンギン・タフ・ツアー」とは打って変わって鋭角的なカッコ良さ、よりステップ・アップした歌と踊りを見せつけてくれた。2ndシングル「トゥナイト」は9/8付け全米第7位獲得。マーチャンダイジングの売り上げも全米半年間の売り上げ10億円のうち、なんと4億をN.K.O.T.B.が占めるという異常振り。
’90年10月、アルバム『STEP BE STEP』は全米500万枚、全世界700万枚を突破している。