ローリン・ヒル

1975年5月26日生まれ。ニュージャージー州サウスオレンジ生まれ。父親はコンピューター関連の仕事、母親は英語教師という家庭に育つ。幼い頃から教会で歌い、子役としてテレビ・ドラマなどにも出演していた。

 

1988年、ハイスクールでハイチ出身の移民の少年、ワイクリフ・ジョンと、彼の従兄弟にあたるプラズと共に、ラップ・ユニット「フージーズ」を結成。アポロ・シアターのアマチュア・コンテストなどに出演しながらデビューのチャンスをうかがっていたたころ、1993年にColumbia Records傘下のレーベルRuffhouse Recordsと契約を果たす。ローリンは同じ頃、ウーピー・ゴールドバーグ主演の映画『天使にラブ・ソングを 2』(原題:Sister Act 2)に出演し、その圧倒的な存在感と歌声で一躍注目を集める。

 

1994年、フージーズとしてアルバム『ブランテッド・オン・リアリティ』でデビュー。シングル「ナッピー・ヘッズ」が話題になったものの、ヒップホップをベースにレゲエの要素をミックスし、生楽器を多く使った彼らのサウンドは、ギャングスタ・ラップ全盛のミュージック・シーンでは大きな成功を残すことはできなった。1996年の2ndアルバム『ザ・スコア』では前作から状況が一転し、全米アルバム・チャート1位を記録。ロバータ・フラックの「やさしく歌って」(Killing Me Softly with His Song)やボブ・マーリーの「ノー・ウーマン・ノー・クライ」といったカバー曲がヒットを記録。またエンヤの楽曲をサンプリングし訴訟になった「レディ・オア・ノット」も話題を呼んだ。結果的にグラミー賞2部門を受賞し、セールスは1,800万枚を記録した。

 

1997年、ローリンは、ボブ・マーリーの息子のローアン・マーリーと交際し妊娠を期に、ソロ活動に移行する。(アルバム制作中に第一子、Zionが誕生。ローリンとローアンの間には5人の子供がいる。)97~98年にかけてジャマイカのTUFF GONGスタジオで録音された初ソロ作『ミスエデュケーション』には、カルロス・サンタナやディアンジェロ、メアリー・J・ブライジらが参加。「ドゥー・ワップ」で初の全米シングル1位、アルバム・チャートでも1位を獲得した。翌年のグラミー賞では11部門にノミネートされ、主要部門のAlbum of the Year, Best New Artistを含む5部門(女性としては史上最多記録)を制覇した。これまでに全世界で1,800万枚のセールスを記録。日本でもミリオン・セラーとなり、日本における「R&B/HIP-HOP」の定着に大いに貢献した。

 

1999年1月、ソロとして初の来日公演を開催。その後、仕事量を減らしていたが、2002年に突如『MTVアンプラグド』をリリース。その時点での新曲ばかりをアコースティック・ギターを中心にしたセットで披露した。その後は、一時的なフージーズ再結成(2004年)など数少ないライヴを除けば、ミュージック・シーンの表舞台からは降りており、私生活でのトラブルなども伝えられていた。

 

2015年6月、偉大なピアニスト/シンガーにして活動家の故ニーナ・シモンのトリビュート・アルバム『Nina Revisted: A Tribute To Nina Simone』(USは7月10日発売)に新録曲6曲が収録されることが発表され、さらに久しぶりの来日公演が発表されるなど活動を再開している。

 

〈来日公演〉

1996年11月 中野サンプラザ/新宿リキッドルーム(*フージーズとして来日)

1999年1月 日本武道館/東京国際フォーラム/大阪城ホール

2002年6月 FIFAワールドカップ・オフィシャルコンサート(KOREA/JAPAN Day)味の素スタジアム

2007年3月 幕張メッセ (Springroove 07)/Zepp Osaka (Springroove 07)/横浜BLITZ