ジェイムス・テイラー(本名ジェイムス・ヴァーノン・テイラー、1948年3月12日生)は1970年代初頭に音楽シーンに登場、その素晴らしいバリトン・ボイスと卓越したアコースティック・ギターの演奏で聴かせる、繊細でエモーショナルな私小説的楽曲が幅広い音楽ファンを虜にし、キャロル・キングやジョニ・ミッチェルなどと共に70年代シンガーソングライターの時代の隆盛を代表するアーティストの一人としてシーンを支えた。
一方自身初の全米ナンバーワン・ヒットとなったキャロル・キングの「きみの友だち」を始め、様々なジャンルの楽曲を彼一流のスタイルでカバーしヒットさせるという、高い表現力と解釈力をもった歌唱にも定評のあるシンガーでもある。21世紀に入ってからはロックの殿堂入りを始め、その音楽界への功績に対する数々の褒賞を受ける一方、マイペースの活動でオリジナル・アルバムやカバー集などの作品を発表し続けているが、彼の新作が届くたびにあの深みのある歌声に癒やされる世界中の音楽ファンには常に次の作品の到着が待ち遠しい、そんな聴く者すべての心を温めてくれるアーティストであり続けている。
ボストンで医師の父と元オペラ歌手志望だった母の間に生まれたジェイムスは、四男一女の兄弟の次男で、兄のアレックス、弟のリヴィングストンと妹のケイトも皆後に70年代に活躍したシンガーソングライターという裕福で音楽に溢れた一家で育った。幼少の頃を自然に囲まれたノース・キャロライナで過ごしたジェイムスは、まずチェロそして12歳の時始めたギターの腕をメキメキ上げ、15歳の頃には家族が毎夏避暑で訪れるマーサズ・ヴィニヤード(アメリカ東北部ニューイングランド地方のリゾート地)で知り合ったダニー・コーチマー(後にジェイムスの片腕として長くキャリアを共にすることになる)と地元のコーヒーハウスを演奏して回るほどになっていたという。
ただ生来の感受性の強い性格のため、高校での厳しい大学受験勉強に疲れて鬱になってしまったジェイムスは一時期治療のため施設に入院。無事退院したジェイムスは進学を断念してダニー・コーチマーの誘いもあってニューヨークに移り、1966年頃にはフライング・マシーンというダニーとのバンドに加入。レコード会社とも契約してグリニッジ・ヴィレッジを中心に本格的な音楽活動を開始したジェイムスだったが、シングルヒットやアルバム・リリースにこぎ着ける前に契約を切られてしまった上に(この時期のデモ音源はその後ジェイムスがブレーク後に当時のレコード会社からリリースされる)、都会で覚えたドラッグの常習者となったジェイムスは一旦ノース・キャロライナに戻り、半年ほど治療に専念せざるを得なかった。
回復後、ソロ活動を目指してロンドンに移ったジェイムスは、旧友ダニー・コーチマーの紹介で当時ビートルズのアップル・レコードの重役だったプロデューサーのピーター・アッシャーに自作曲のデモを演奏したのをきっかけにアップル・レコードと契約。ポール・マッカートニーやジョージ・ハリスンらをゲストに迎えた記念すべきファースト・アルバム『心の旅路』(1968)をリリースした。ファースト・シングル「想い出のキャロライナ」などを含むこのアルバムへの音楽メディアの評価は高かったが、またしてもジェイムスはドラッグ常習を再発して治療中だったため、プロモーションもできずヒットとはならず。しかし1969年にはLAの有名ライブハウス、トルバドゥールでの6夜連続ライブやニューポート・フォーク・フェスティバルのトリを務めたパフォーマンスが大喝采を受けるなど、アメリカ西海岸を中心に着実に人気を集め始めていた。
同年カリフォルニアに移ったジェイムスはワーナーブラザーズ・レコードと契約、1970年にはピーター・アッシャーのプロデュースの下、彼の大ブレイク作となったアルバム『スウィート・ベイビー・ジェイムス』をリリース。自身のドラッグ常習との戦いを比喩的に歌ったアコースティック・バラード「ファイヤー・アンド・レイン」はアルバム共々全米3位の大ヒットとなり、この年のグラミー賞年間最優秀アルバム部門にもノミネート、当時のフォーク・ロックを代表する名盤としてジェイムスのシーンでの地位を確立し、以降の彼のスタイルを定義する代表作となった。次いでリリースした『マッド・スライド・スリム』(1971)も、彼にとって初の全米ナンバーワン・ヒットとなったキャロル・キング作の名曲「きみの友だち」を含む大ヒット・アルバムとなり、この曲で彼はグラミー賞の最優秀歌曲賞(ソング・オブ・ジ・イヤー)を獲得、この時点で70年代フォーク・ロック界の大スターの地位を獲得したのだった。
その後もジェイムスは『ワン・マン・ドッグ』(1972)や『ウォーキング・マン』(1974)といったアルバムをリリースする一方、1972年には同時期に「うつろな愛(You’re So Vain)」の全米ナンバーワン・ヒットを飛ばしていた女性シンガーソングライター、カーリー・サイモンと結婚。この時期、カーリーとの夫婦デュエット・シングル「愛のモッキンバード」のヒットなどプライベートでは充実していたものの、自身の作品の商業的なパフォーマンスは『スウィート・ベイビー・ジェイムス』や『マッド・スライド・スリム』の大ヒットの頃と比較するとやや停滞期に入っていた。
そんなジェイムスが一皮むけたのは、当時ワーナーの重役だったレニー・ワロンカーとレーベル専属プロデューサーだったラス・タイトルマンのプロデュースの下で制作した『ゴリラ』(1975)と『イン・ザ・ポケット』(1976)の2枚のアルバムだった。マーヴィン・ゲイのカバーヒット「君の愛に包まれて」や、この後ことあるごとに様々なイベントで演奏している、彼の書いた楽曲中五本の指に入るであろう珠玉の名曲「愛の恵みを」といった曲のヒットを含むこの時期のジェイムスの作品は今でも高く評価されている。しかしこれらのアルバムでワーナーとの契約が終了したジェイムスは、その後全米だけで1,100万枚を売り上げることになる初のベスト盤『輝きと誇り』を最後にコロンビア・レコードに移籍、新たなキャリアを展開させることになる。
コロンビア移籍後すぐさまアルバム『JT』(1977)と同アルバム収録の60年代R&Bシンガー、ジミー・ジョーンズの「ハンディ・マン」のカバー・ヒットで改めてシーンでの人気を確かなものにしたジェイムスは70年代前半のアコースティック一色の作風から一歩踏み出して、70年代後半から80年代初頭にかけては様々なスタイルのメインストリーム・ポップ作品を含む『フラッグ』(1979)『ダディーズ・スマイル』(1981)をコンスタントにリリース。一方、サム・クック1960年のヒット曲のカバーで、ポール・サイモンとアート・ガーファンクルとの共演シングル「ワンダフル・ワールド」やキャロル・キングとジェリー・ゴフィン作でR&Bグループのドリフターズ1962年のヒット曲のカバー「アップ・オン・ザ・ルーフ」などの様々な楽曲をカバーヒットさせ、過去の楽曲の優れた解釈者としての才能を一気に開花させたのもこの時期である。
しかし80年代が訪れると、カーリーとの離婚、ドラッグ常習の再発、親友だったジョン・ベルーシやビーチ・ボーイズのデニス・ウィルソンの死など、ジェイムスの精神を苛む状況が相次ぐのと呼応するかのように、ジェイムスの作品への人気は下り坂をたどっていった。1985年に再婚した女優キャサリン・ウォーカーのサポートや、カーリーとの二人の子供、サリーとベンのことも考え、何とかドラッグ常習癖は断ち切ったジェイムスだったが、80年代後半に入る頃には引退も考えていたという。
そんなジェイムスが見事に復活したのは、1997年リリース、メディアからも高い評価を受けた6年ぶりのスタジオ・アルバム『アワーグラス』のヒットだった。10年連れ添ったキャサリンとの離婚や、自身のドラッグとの戦い、そして数年前に亡くなった兄のアレックスのことなど、パーソナルで暗いテーマながら彼一流の説得力のあるスタイルで歌う楽曲が盛り込まれたこのアルバムは十数年ぶりの全米トップ10アルバムとなり、その年のグラミー賞最優秀ポップ・アルバムを受賞。続く『オクトーバー・ロード』(2002)と共に、ジェイムスのカムバック期の代表的作品としてシーンからも広く支持を受けた。
21世紀に入ってからのジェイムスは、コロンビア/ソニーとの最後の作品となったクリスマスアルバム『JTのクリスマス』(2006)や、長年ライブで演奏してきた彼一流の解釈力による素晴らしいカバー曲を集めた『カヴァーズ』(2008)と『Other Covers』(2009)、2010年には自らのキャリアの出発点とも言えるLAのトゥルバドールでのキャロル・キングとのライブ盤の発表など様々な形の活動を展開し続けている。2015年には13年ぶりにリリースしたオリジナル・アルバム『ビフォア・ディス・ワールド』が彼のキャリア初の全米ナンバーワン・アルバムを記録するなど、40年以上に亘るキャリアを経た後も改めてしっかりその存在感をシーンに示した。
1970年代に活躍したアーティストの常として、ジェイムスは様々なチャリティや政治的なテーマのイベントにも数多く参加してきた。ジャクソン・ブラウンやジョン・ホールらが主催した1979年の反原発チャリティ・コンサート『ノー・ニュークス』で当時夫婦だったカーリー・サイモンと「愛のモッキンバード」を歌ったり、2004年には大統領選のジョージ・W・ブッシュの対抗候補、民主党のジョン・ケリー上院議員をサポートする「Vote for Change」ツアーにディキシー・チックスらと参加したり、2007年にはキャロル・キングやトム・ウェイツ、エルトン・ジョン、ニール・ダイヤモンドらと共に、自然資源防衛協議会や音楽コミュニティをサポートする基金であるミュージケアーズ、自然保護団体等に収益を寄付するために、3日間に及ぶLAトルバドゥールでのライブに参加したりしている。また2008年大統領選の年にはバラク・オバマ元大統領支援のフリー・コンサートを決行、ワシントンDCのリンカン記念館で行われたオバマ大統領就任記念コンサートでは、ジョン・レジェンドらと共に自らの代表曲「愛の恵みを」を歌った。
ジェイムスの作品と長年に亘る音楽界への貢献に対する各方面からの褒賞や賞賛も後を絶たない。2000年にはロックの殿堂入り、2006年にはグラミー・アカデミーが毎年選ぶ、音楽コミュニティに多大な貢献を果たした者に贈られるミュージケアーズのパーソン・オブ・ジ・イヤーに選出。2009年には地元ノース・キャロライナ州の音楽の殿堂入り、2012年にはフランス文化省から芸術文化勲章を、そして2015年には合衆国大統領自由勲章の授与を受け、2016年には舞台芸術を通じてアメリカ文化に生涯貢献した者に贈られるケネディ・センター名誉賞を受賞。ケネディ・センターの授与式ではシェリル・クロウが「ファイアー・アンド・レイン」、ガース・ブルックスが「愛の恵みを」を歌って彼の偉大さを讃えたという。
現在のところのジェイムスの最新作は、2020年にリリースされた20作目のスタジオ・アルバム『American Standard』。タイトルの通り、彼が幼少の頃から聴き育った「Moon River」「The Nearness Of You」といったミュージカル曲やアメリカン・スタンダード曲を、ギターのジョン・ピッツァレリやドラムスのスティーヴ・ガッド、長年ライブのバック・コーラスを務めているアーノルド・マッカラーら気心の知れたバンドと共に、ジェイムスが実に気持ち良く歌っている、時代を超える魅力を持った作品だ。21世紀のポップ・スター、テイラー・スウィフトの名前がジェイムスにちなんで命名されているというエピソードからも判るように、彼の作品とその歌声は、世代を超えて今後も長く伝えられていくだろうが、その間にも彼の変わらぬ美しいバリトン・ボイスによる新しい作品が届けられ続けることを期待しよう。
ディスコグラフィ(カッコ内は原盤レーベル、- 以降は英米のチャート実績)
1.主なアルバム
1968年 『心の旅路(James Taylor)』(Apple) – US 62位
1970年 『ニュー・フォークの鬼才/スウィート・ベイビー・ジェイムス(Sweet Baby James)』 (Warner Bros.) – US 3位(3x プラチナ)、UK 6位(シルバー)
1971年 『アテンション!(James Taylor & The Original Flying Machine)』(1967年のデモ音源集) (Euphoria) – US 74位
『マッド・スライド・スリム(Mud Slide Slim And The Blue Horizon)』(Warner Bros.)- US 2位(2x プラチナ)、UK 4位
1972年 『ワン・マン・ドッグ(One Man Dog)』(Warner Bros.) – US 4位(ゴールド)、UK 27位
1974年 『ウォーキング・マン(Walking Man)』(Warner Bros.) – US 13位
1975年 『ゴリラ(Gorilla)』(Warner Bros.) – US 6位(ゴールド)
1976年 『イン・ザ・ポケット(In The Pocket)』(Warner Bros.) – US 16位(ゴールド)
『輝きと誇り(James Taylor’s Greatest Hits)』(ベスト盤)(Warner Bros.) – US 15位(11x プラチナ)UK 5位(プラチナ)
1977年 『JT』(Columbia) – US 4位(3x プラチナ)
1979年 『フラッグ(Flag)』(Columbia) – US 10位(プラチナ)
1981年 『ダディーズ・スマイル(Dad Loves His Work)』(Columbia) – US 10位(プラチナ)
1985年 『ザッツ・ホワイ・アイム・ヒア〜変わりゆく人々へ〜(That’s Why I’m Here)』(Columbia) – US 34位(プラチナ)
1987年 『Classic Songs』(ヨーロッパのみのベスト盤)(Warner Bros.) - UK 53位(シルバー)
1988年 『ネヴァー・ダイ・ヤング(Never Die Young)』(Columbia) – US 25位(プラチナ)
1991年 『ニュー・ムーン・シャイン(New Moon Shine)』(Columbia) – US 37位(プラチナ)
1993年 『Live』(ライブ盤)(Columbia) - US 20位(2xプラチナ)
1997年 『アワーグラス(Hourglass)』(Columbia)- US 9位(プラチナ)、UK 46位(シルバー)
2000年 『グレイテスト・ヒッツ Volume 2(Greatest Hits Volume 2)』(ベスト盤)(Columbia)- US 97位(ゴールド)
2002年 『オクトーバー・ロード(October Road)』(Sony BMG) - US 4位(プラチナ)、UK 39位
2003年 『ベスト・オブ・ジェイムス・テイラー(The Best Of James Taylor)』(ベスト盤)(Warner Bros.) - US 11位(プラチナ)、UK 4位(ゴールド)
2004年 『James Taylor – A Christmas Album』(クリスマスアルバム)(Hallmark) – US 122位(プラチナ)
2006年 『JTのクリスマス(James Taylor At Christmas)』(上記の再発盤)(Columbia) - US 16位(ゴールド)
2007年 『One Man Band』(ライブ盤)(Hear Music) - US 17位
2008年 『カヴァーズ(Covers)』(カバーアルバム)(Hear Music) – US 4位、UK 23位(シルバー)
2009年 『Other Covers』(カバーEP))(Hear Music) – US 122位
2010年 『トルバドール・リユニオン(Live At The Troubadour)』(キャロル・キングとの共演、ライブ盤)(Concord) - US 4位(ゴールド)、UK 33位
2013年 『The Essential James Taylor』(ベスト盤)(Columbia/Sony Legacy) - UK 50位
2015年 『ビフォア・ディス・ワールド(Before This World)』(Concord) – US 1位(1週)、UK 4位
2020年 『アメリカン・スタンダード(American Standard)』(スタンダード曲カバーアルバム)(Fantasy) - US 4位、UK 11位
2,主なシングル(USAC=USアダルト・コンテンポラリー・チャート)
1969年 「想い出のキャロライナ(Carolina In My Mind)」
1970年 「ファイアー・アンド・レイン(Fire And Rain)」- US 3位、USAC 7位、UK 42位(シルバー)
「想い出のキャロライナ」(再発)- US 67位
1971年 「カントリー・ロード(Country Road)」- US 37位、USAC 9位
「きみの友だち(You’ve Got A Friend)」- US 1位(1週、ゴールド)、USAC 1位、UK 4位(シルバー)
「遠い昔(Long Ago And Far Away)」- US 31位、USAC 4位
1972年 「寂しい夜(Don’t Let Me Be Lonely Tonight)」- US 14位、USAC 3位
1973年 「ワン・マン・パレード(One Man Parade)」- US 67位
1974年 「愛のモッキンバード(Mockingbird)」(カーリー・サイモンとの共演)- US 5位(ゴールド)、UK 34位
1975年 「君の愛に包まれて(How Sweet It Is (To Be Loved By You))」- US 5位、USAC 1位
「Mexico」- US 49位、USAC 5位
1976年 「愛の恵みを(Shower The People)」- US 22位、USAC 1位
1977年 「Woman’s Gotta Have It」- USAC 20位
「ハンディ・マン(Handy Man)」- US 4位、USAC 1位
「きみの笑顔(Your Smiling Face)」- US 20位、USAC 6位
1978年 「ワンダフル・ワールド((What A) Wonderful World)」(アート・ガーファンクル、ポール・サイモンとの共演)- US 17位、USAC 1位
「Honey Don’t Leave L.A.」- US 61位
「愛をいつまでも(Devoted To You)」(カーリー・サイモンとの共演)- US 36位、USAC 2位
1979年 「Up On The Roof」- US 28位、USAC 7位
1981年 「憶い出の町(Her Town Too)」(J.D.サウザーとの共演)- US 11位、USAC 5位
「ハード・タイムス(Hard Times)」- US 72位、USAC 23位
1985年 「Everyday」- US 61位、USAC 3位
1986年 「Only One」- USAC 6位
「That’s Why I’m Here」- USAC 8位
1988年 「Never Die Young」- US 80位、USAC 3位
1997年 「Little More Time With You」- USAC 3位
2001年 「Have Yourself A Merry Little Christmas」- USAC 4位
2004年 「Deck The Halls」- USAC 5位
「Winter Wonderland」- USAC 8位
2008年 「It’s Growing」- USAC 11位
* USでは、アルバム・シングル共にゴールド=50万枚、プラチナ=100万枚(2x=200万枚)の売上によりRIAA(アメリカレコード協会)が認定。UKではアルバムはシルバー=6万枚、ゴールド=10万枚、プラチナ=30万枚、シングルはシルバー=20万枚、ゴールド=40万枚、プラチナ=60万枚の売上によりBPI(英国レコード産業協会)が認定。いずれも2023年3月現在。