Bruce Springsteen Interview by Tadd Igarashi
10月23日にブルース・スプリングスティーンがEストリート・バンドと再び組んだニュー・アルバム『レター・トゥー・ユー』を発表する。コロナ禍の起こる前の昨年11月に、ニュージャージー州のブルースの自宅農場にあるホーム・スタジオに集合し、スタジオ・ライヴで録音され、僅か5日間で出来上がった待望のロック・アルバムだ。長年の友人たちから成るバンドが一体となって歌い演奏する喜びが溢れた作品は、コロナ禍で人びとが集まり、触れ合うことができなくなった2020年という息苦しい時代に解毒剤のような役割を果たし、「音楽の力」を再認識させるはずだ。
当初の予定では、ブルースとEストリート・バンドは今年前半にアルバムを発表して、夏からツアーを始めるはずだったが、残念ながらツアーは来年以降に延期された。ブルースはコンサートができない現状が早々に解決するとは考えておらず、最低でも1年間の自粛を覚悟している。そんなわけで、コンサート会場でファンに会えない代わりに、昨年のソロ・アルバム「ウエスタン・スターズ」でもそうしたように、アルバムと同名の映画「レター・トゥ・ユー」も製作。アルバム発売日にアップルTVで公開される。映像制作の長年の相棒トム・ジムニーが監督を務め、スタジオでのレコーディングのプロセスをとらえた内容だが、時季外れの降雪にも助けられた白黒の美しい映像と優れた編集、アルバムとその収録曲の背景を語るブルースの思慮深いモノローグが、よくある「メイキング」ものとは次元の異なる作品にしている。
また、新作のプロモーションに関しても、「ローリング・ストーン」誌などのごく限られた数件の例外以外は、時節柄リモート取材となったのだが、米英以外のメディアに対しては、地域ごとに1ダースほどの人数のジャーナリストやブロードキャスターが参加してのZOOMによる合同インタヴューが行われた。小生も日本時間10月15日朝のオセアニア&極東組のZOOMセッションに参加した。ホストはオーストラリアのミュージシャンでジャーナリストのショーン・セネット。参加者は前もって送った数問の質問からから選ばれた1問を順にブルースに問いかけるというやり方で、フォローアップの質問ができないのが残念だったが、アルバムの録音がまさに行われたホーム・スタジオにいるブルースとの40分ほどの会話をとても楽しんだ。その内容の主だったところをお伝えしよう。
『レター・トゥー・ユー』は過去と現在が重なり合う構造のアルバムだ。そこには10代のブルースが初めて加わったバンド、キャスティールズ時代の回想とそのバンドを共に率いた旧友ジョージ・シースへの追悼、「最後の生き残り」(〈ラスト・マン・スタンディング〉)となった感慨と、半世紀近い年月を経て、今もなお行動を共にするEストリート・バンドの仲間たちとの兄弟愛とお互いへの感謝があり、70代に入ったブルースの人生と死ぬべき運命への考察が窺われ、それでも変わらぬ音楽の力への信念が全体を貫いている。
ホストのショーンも最初の質問で、このアルバムは「今この瞬間のレコード」だが、「あなたがバンドを始めた65、68年の精神に戻ったもの」でもあると指摘し、「これはロックンロールについてのレコードですね?」と問いかけた。
「それを主題として選んだのは初めてだ。音楽そのものをね。これはロックンロールについて、生涯にわたってバンドにいることについてだね。最初のバンドを振り返り、もちろん、この45年続き、今もいるバンド、Eストリート・バンドを振り返ることも含んでいる。主題は音楽そのものと俺たちがファンと一緒に作ってきた世界だね」
ブルースの最初のバンド、キャスティールズは65年に結成された。その前年2月、TV番組「エド・サリヴァン・ショー」でビートルズを観た全米の若者の大半が、エレキ・ギターを買いに走ってバンドを始めたとよく言われるが、ブルースもその盛り上がりを「65年にはアメリカではティーンエイジャーのほぼ2人に1人がバンドにいた」と説明したことがある。その場にいなかった僕らには想像しがたい状況だが、ブルースの回想は、ロックンロールがまったく新しいものとして突然現れた、若者による若者のための若者の音楽だったことを語っている。
「高校のダンス・パーティーのためにバンドを雇うつもりなら、絶対にティーンエイジャーを雇うことになると、みんなわかっていたからね。65~66年にはバンドは10代の若者だけで構成されていた。ロックンロール音楽を演奏する25〜30歳の男性はいなかった。演奏していたのは子供だけ。それはすごくおもしろい状況で、一種の黄金時代だった。いたるところに演奏できる会場があったからね。復員軍人会、労働組合のホール、(社交クラブの)エルクス・ロッジやコロンブス騎士団、高校のダンス・パーティー、ピザパーラー、ボーリング場、消防士のお祭り、カーニバルなど、バンドが演奏して,その技巧を磨くことができる場所がたくさんあったので、それは素晴らしい時期だったよ」
そんな状況にも助けられ、高校生のバンドという「子供の集まり」だったにもかかわらず、キャスティールズは「驚くべきことに3年間一緒に」「合衆国の歴史において社会がとても紛糾していた時期でもあった期間をずっと一緒にいた」のである。『レター・トゥー・ユー』の収録曲の多くを書くきっかけになった出来事が、そのキャスティールズの旧友ジョージ・シースの死だった。
「ジョージの人生の最後の日々に彼と再び連絡をとりあった。そのことを記念するような作品をEストリート・バンドと一緒に作って、こういったつながりを作り出すとは考えもしなかったけど、素敵な経験になったね。俺はそこから多くを受け取った。自分の最初のバンドの最後の生存メンバーになることはとても珍しい。彼らのほとんどは何らかの理由で若くして亡くなり、ジョージと俺だけが残り、ジョージは2年前の夏に亡くなった。そのことがアルバムの大半の曲のソングライティングを引き起こしたんだ」
ジョージ・シースの死がこのアルバムの背景にある出来事である一方で、収録曲の大半を生み出した具体的な物体が存在する。魔法の力を持つ贈り物のギターである。
「(「スプリングスティーン・オン・ブロードウェイ」の)ショウを終えて劇場から出てきたら、歩道にギターを持った若い男がいた。それにサインが欲しいんだろうと思ったら、『いいえ、これを差し上げたいんです』と言うんだ。一目見て美しく作られたギターだとわかった。それで家に持ち帰った。改めてじっくり見て、弾いてみたら、素晴らしかったよ。豊かなサウンドで、使っている木もいい。様々な異なった木を使って、本当に熟練の職人技で作られていた。そんなわけで、そのギターを居間に置いておいた。それで曲を書きたいという衝動にかられたとき、それをふと手にした。というのは、すごく弾きやすいギターだったから。そうしたら、大半の曲はそのギターから溢れるように生まれてきたんだ。だから、あの若者が誰であれ、どこにいるにせよ、借りがあるね。楽器にはその中に、それ自体に力がある。ギターはインスピレーションを与えてくれる。その内側に曲を抱えているんだ。それを発見するのは素晴らしいことだよ」
(*その若者はイタリアからのファンで、身元も特定され、スプリングスティーン側も連絡をとったが、本人が匿名のままを望んでいるという)
『レター・トゥー・ユー』は驚いたことに、わずか5日間で録音を終えたと、しきりに宣伝されているが、本当なのだろうか? 実は5日ですらない。
「本当は4日間でアルバムを録音してしまったんだ。5日目は録音を聴き返し、みんなで話をして過ごした。それは素晴らしいプロセスだったね。こういったことが起こるかどうかは予測できない。1曲あたり3時間ほどで済ませた。バンドは完全にライヴで演奏したし、すべてのヴォーカルが最初のテイクなんだ。それは本当の先祖返りだったね。俺たちがライヴですべてを録音した数曲を思い返すと、「闇に吠える街」の〈闇に吠える街〉、「ボーン・イン・ザ・USA」の〈ボーン・イン・ザ・USA〉があったけど、ほとんどの曲はバンドがライヴで録音したところに、ヴォーカルをオーバーダビングしたものだった。でも、今回はそうじゃない」
こういった録音の方法を選んだのは、メンバーのロイ・ビタンとスティーヴ・ヴァン・ザントの進言があったからだ。
「2人がとても賢いことに“デモを作るな!”と言った。問題は、俺がいったんデモを作り始めると、それはレコードを作り始めることになる。そしてデモで作ったサウンドにとても愛着を持ってしまうので、Eストリート・バンドには(曲へのアプローチが)とてもむずかしくなるんだね。今回は自分が覚えておくために、アコースティック・ギターで自分のiPhoneに録音しただけだ。当日スタジオに入って、ギターを手にバンドのために通しで演奏し、それから俺たちは録音に取り組んだ。それは間違いなく最良の方法だったね」
Eストリート・バンドはもうすぐ結成から50年を迎える。それほど長い年月にわたって、同じ顔触れの仲間たちと演奏するのはどんな感じなのだろうか。どれほど特別なことなのだろうか。
「ロックバンドについての普通じゃないことはね・・・今自分が高校生であると想像してみて。それから70歳だと想像して、その間の人生を同じ人たちとずっと一緒に働いたと想像してみてよ。ロックンロール・バンドを除いて、そんなことが起こる仕事は世界にない。そんな状況はロックンロール・バンドを除いて考えられないね。それは特権でも名誉でもある。それだけの長い期間にわたってそれらの関係のすべてを維持したのは奇跡だね。だって、他の連中の欠点、考え方に対して、かなりの社交術と寛容が必要だから。そして彼らにも俺に対する寛容さがね。努力をすごく必要とされるけど、それをできるのなら、とてもやりがいがあるよ」
もちろんソロ・アルバムだった前作「ウエスタン・スターズ」をはじめ、ブルースは並行して、Eストリート・バンドを離れての様々なプロジェクトにも取り組んできたし、元々ソロ・アーティストとしてキャリアのあるニルス・ロフグレンやリトル・スティーヴン&ザ・ディサイプルズ・オブ・ソウルとしてのバンド活動だけでなく、俳優、ラジオDJ、レーベル経営、ロック音楽を用いた教育プログラムなどなどで大忙しのスティーヴをはじめ、メンバーも様々な活動に積極的に取り組んでいる。そういった別々の時間はバンドにどういった影響を与えるのだろうか。
「バンドは周期的に動いているんだ。2~3年間一緒に働いたら、休みをとり、俺はソロの作品や異なるタイプのレコードまたはプロジェクトに取り組む。そして周期がひと回りして、俺は再びバンドに戻る。それは潮の満ち引きみたいなもの。その自然な呼吸のおかげで、一緒に演奏してきた長い年月の後でも、とても新鮮に感じ、興奮を覚えて働き続けられるんだよ。それが少し余分な力を与えてくれる。俺たちがまた集まったとき、誰もが一緒にいて、再び一緒に演奏することに本当に興奮するんだ」
Eストリート・バンドを語るとき、今もなお、先に世を去った2人、クラレンス・クレモンズとダニー・フェデリーシのことを忘れられない。今でもバンドと演奏するとき、彼らの存在を感じているのだろうか?
「もちろん。クラレンスとダニーと40年も一緒にいたんだから、彼らがどこかに行ってしまうことは決してないさ。彼らは常にバンドの一員であり、俺たちがステージに上がるときもスタジオに入るときも、俺たちは彼らを一緒に運んでいく。彼らの演奏はユニークだったけど、音楽のスタイルにおいても、精神的にも、本当に彼らを称えられる(後任の)プレイヤーがいるのは幸運さ・・・でも、彼らがいなくて寂しいよ、もちろん」
さて、ブルースは収録曲の幾つかについての質問にも答えてくれた。まずは、ホストのショーンが、ジョージ・シースに捧げた曲で、もちろんクラレンスやダニーの思い出も重なる〈ゴースト〉を例に挙げ、ブルースの映像が浮かぶ作詞、詳細を描く小説家のような目を持つことを訊いた。
「作詞では、詳細を伝えることが、物語に信憑性をもたらすための基本だね。〈ゴースト〉の(「ドアにかかるバックスキン・ジャケット」といった)詳細な描写だけど、誰にだってジャケット、本、レコードといったものすべてが重要な意味を持つ友人がいた。それは彼らにとってだけじゃなく、自分にとっても意味があった。〈ゴースト〉は友人の一人からそれらの物を残された若い男についての話だ。それは誰かの人生を記念して、お守りのような効果のある持ち物のリストだ。ギター、それを肩にかけ、指板に指を走らせ、アンプがあれば、アンプにつなぎ、そして服。それらはその瞬間に人生を構成していたものだ。俺たちみんなにとって、何を着るのか、どんな髪型にするのか、どのレコードが好きで、どの本を読んだか、どのギターやアンプを使っているか、それが重要だった。65年と66年にはそれだけで人生は完全だったね」
小生にも質問の順番が回ってきた。アルバムのハイライトのひとつであり、他の曲とは異なって、流れるようなメロディーを奏でるピアノ演奏と共に歌われる美しい〈ハウス・オブ・ア・サウザンド・ギター〉について訊いた。アルバムの中核となる曲だという僕の意見に「そうね、同意するよ」と相槌をうち、「コロナ禍のせいで、僕らが実際に「その家」で会えない今、とりわけ僕らの心に非常に深く響きます」と言うと、ブルースはうなずき、こう答えてくれた。
「それは素晴らしい曲名を持つ曲のひとつだった。だから、そこから始まったんだ。“千のギターの家”。良い曲名だ。さて、俺はそれについて何を語ろうか。そして自分にこう言ったわけさ。俺のファンと俺のバンドと作り上げてきた世界についての曲を書こう。そんなわけで、俺がこれまでの年月をかけて自分の聴衆と一緒に歩みながら作り上げたもの、その精神的な次元、感情的な次元、知的な次元を包含するような歌になったんだ。俺の最高の曲のひとつだと信じているよ。間違いなくこのレコードの中心にあるね。君が楽しんでくれてうれしいよ」
『レター・トゥー・ユー』では、過去と現在が重なり合うと先ほど書いたが、その時間軸にさらにひねりを加えるのが、71~72年というレコード・デビュー前にまでさかのぼる古い未発表曲を3曲もとりあげたこと。そのきっかけについても明かしてくれた。
「合衆国では“レコード・ストア・デイ”があって、その日のために1~2曲発売することがある。〈ジェイニー・ニーズ・ア・シューター〉は、おもしろい曲だったなと思い出し、あの日のために録音した。でも、録音してみたら、すごく良いサウンドだったから、いや、あれに使うのはやめよう、これは1枚のアルバムの始まりだと自分に言った。そして、あと1~2曲やってみるか、バンドが今どう解釈するかを聴いてみたいと考えた。そんなわけで、次に〈イフ・アイ・ワズ・ザ・プリースト〉を見つけた。ジョン・ハモンドのオーディションを受けた日に歌った曲のひとつだ。ジョンのお気に入りの曲だった。彼はそのねじれたカトリック教義のようなものをすごく気に入ったんだね。そして〈ソング・フォー・オーファンズ〉だ。ずっととってあった曲で、俺のお気に入りだ。だから、偶然の産物だけど、年をとった歌声で、22歳の自分の気持ちになって歌うのはとても楽しかった、それは思わぬ喜びだったよ」
アルバムの曲順決定までの過程を訊いた質問からは、幾つかの曲が少し前に書かれた事実を知ることもできた。
「曲順を決めるのがむずかしかった記憶はないね。良い曲がたくさんあるときは、曲順はかなり簡単に決まる。つまり、今回はそうなるとわかっていた。一番扱いにくかったのは〈ワン・ミニット・ユア・ヒア〉をどこに置くかだった。というのは、アルバムの最後の方ではしっくりこなかったから。主題が似た(最後の曲)〈アイル・シー・ユー・イン・マイ・ドリームズ〉と位置が近過ぎてはいけない。そこで冒頭にプロローグとして用いたらいいかもと考えた。ロック・アルバムを囁くように歌った曲で始めるのはとても奇妙だけど、結局そうなった。その曲のあとにレコードは離陸するのさ。曲順の決定にはちょっぴり時間がかかったけど、苦労はなかったよ。〈ワン・ミニット・ユア・ヒア〉は何年も前に書いた曲だ。ずっと眠っていた曲だけど、そこに今にふさわしい特性があった。だから、俺の持っていた不安定なデモから埃を払い、形を整え、できあがったんだ」
そして、曲名になっている詐欺師まがいの雨乞い師を誰もがトランプのことと考えるだろう〈レインメーカー〉は、実のところブッシュ政権の頃に書き始めた曲だそう。
「ずっと前に書き始めた曲だった。どうしてだったかはっきりしないけど、結局使われなかった。でも、とても良い曲だ。使わずに持っていた曲のうちの1曲だけど、デマゴーグについてという意味ではタイムリーな曲に思えたので、このアルバムに居場所を見つけたんだ」
トランプといえば、このZOOMセッションでの会話から、ブルースが来たる大統領選でトランプが再選したら、オーストラリアに移住すると発言したと伝える記事がでて、トランプ支持の保守層からの恰好の餌食になったが、それは歪められた記事で、以下に紹介するように、その発言はあの国のファンへのリップサーヴィスに過ぎない。「オーストラリアへの移住」は質問者の提案で、それに話を合わせただけなのだ。
「考えてみるよ。オーストラリアが大好きだ。あそこでは楽しい時間しか過ごしたことがないから、いつだって訪ねるのはすごい楽しみだ。オーストラリアの人たちが大好きだし、地理が大好きだし、バイクの旅にも素晴らしい場所だね。俺たちにとって大事な場所だよ。もしトランプが再選されれば、そうはならないけれど・・・今ここで予言しよう、彼は負ける! しかし、何かの偶然で、もしもそんなことになったら、次の飛行機に乗るよ」
こんな発言を読んで、オーストラリアもいいけど、日本はどうですか?と思った我が国のファンもいるはず。そんなあなたのために、日本から参加したもうひとり、朝日新聞の定塚記者の質問への答えで締め括ろう。
――あなたは長い間日本にやってきていません。また日本に来て、新しい聴衆とつながることを熱望していますか?
「うん、俺の後悔の一つは、長い間、あの国に戻らなかったことだ。「ボーン・イン・ザ・USA」のツアーで行って、日本を旅したとき、俺たちには素敵な聴衆 がいたよ。何故あれから一度も戻ってないかというと、そのあと、まもなく子供たちが生まれたし、時間的な制約と様々な理由があったんだ。でも、いつか戻って、あそこにいた聴衆と再びつながりたいね。うん、俺は行きたいよ!」*
(Interview&Text by Tadd Igarashi)
(*88年にアムネスティ・ツアーで、ピーター・ゲイブリエルらと東京1公演のみ、97年にはソロ・ツアーで来日しているが、Eストリート・バンドとの本格的なツアーでは再来日を果たしていない)