ボストン
Tom Scholz トムショルツ/ギター、キーボード
Brad Delp ブラッド・デルプ/ヴォーカル、ギター
Barry Goudreau バリー・グドロー/ギター
Fran Sheehan フラン・シーハン/ベース・ギター
John "Sib" Hashian ジョン“シブ”ハッシャン/ドラムス

カンサスと並ぶ、アメリカン・プログレ・ハード・ロック・バンドのもうひとつの雄がボストン。'71年にこちらもその名のとおりボストンで結成された。'76年にアルバム『ボストン』でデビュー。マサチューセッツ工科大学卒のギタリスト、トム・ショルツが自分の地下スタジオで作り上げた音源を基にしたこの作品は、瞬く間にチャートを駆け上がる大ヒット・デビュー・アルバムとなった。'78年にはアルバム『ドント・ルック・バック』をリリース、チャート1位に輝く。その後は、'86年、'94年、'02年にアルバムをリリースと、非常に寡作ながら、いまだに活動を続けている。

トム・ショルツによる1本の手作りのデモテープから、AORの傑作の一つといわれるアルバムは生まれた。”究極のロック・サウンド”を作り出そうと、ショルツがスタジオにこもり、たった1人で完成させたデモテープはエピック・レコードをうならせ、フラン・シーハン、ブラッド・デルプ、ゴードリュー、そしてシブ・ハッシャンという友人達がショルツに加わった。

バンド名を冠した彼らのデビュー・アルバム 『ボストン (邦題:幻想飛行)』 は全米チャートで最終的にNo.1に到達。その後全米チャートに2年間ランクインし続け、結局全米だけで1600万枚を売り上げた,。印象的なシングル 『More than A Feeling (邦題:宇宙の彼方へ)』 は、まっすぐなギター、パワフルなリードボーカル、究極のハーモニー、重厚なベースとドラムなど、AORの要素をすべて含め、瞬時にクラシック・ロックの代名詞となるものだった。2年後、彼らは 『Don’t Look Back (邦題:ドント・ルック・バック)』 でこの信条を事実上すべての音に至って再現し、これも全米チャート1位を果たすこととなった。

しかしその後、CBSレコードとマネージャーのポール・アハーンを相手に、ショルツは契約不履行として長期にわたる法廷での争いに巻き込まれることになる。自らのアルバムのサウンドに完璧を期すショルツとしては、完全に納得する域のものが出来るまでは頑として作品のリリースが出来ないというスタンスだったため、契約年内での新譜のリリースが不可能だったといういかにも彼らしいエピソードであった。もともとポラロイド社のプロダクト・デザイナーだったシュルツは(セカンド・アルバムのリリース時には、同社でサラリーマンも兼業していた)、この間に小型アンプを考案し、これは 「ロックマン」 として市場に売り出された。後に彼はショルツ・リサーチ&デヴェロップメントという会社を設立し、電気機器の分野において数々の特許を取得していく。その後、ボストンとしてレコード作成の権利を再び得ることとなった (後にシュルツはこの3人の元メンバーから告訴されることとなる)。

ショルツとデルプのみとなったボストンは、1986年に 『Third Stage (邦題:サード・ステージ)』 で復活。同アルバムから 『Amanda』 (全米チャート1位)、『We’re Ready』 という全米ヒットシングルが生まれた。過去2枚のアルバムをすり切れるほど聞いたファンは、前作と同様のスタイルを保ったこの新作を、すり切れたアルバムの代用として買いに走り、このアルバムはまたもや全米チャートでいきなり1位となった。これによりボストンは、デビュー・アルバムとしての最多セールス記録に続き、3枚のアルバムで連続全米チャート1位、総売上枚数では5000万枚に達するというロック界での大記録を打ち立てた。

ショルツは、デルプに加え、新たなメンバーとしてギターにギャリー・ピール、ベースにデヴィッド・サイクス、ドラムにはダグ・ホフマンとジム・マスデアを迎えた構成で 『サード・ステージ』 のツアーを行った。1990年には、前述のCBSとの法廷での争いについて、裁判所はシュルツの言い分を認める判決を下し決着した。

オリジナルメンバーとしてはシュルツのみとなったボストンの1994年の次作 『Walk On (邦題:ウォーク・オン)』は、全米チャート5位内にランクインされ、8年周期のアルバムで再びボストンの”不敗伝説”を証明してみせた。

その後1997年に、初のベスト・アルバム 『Greatest Hits』をリリース。同作には2曲の新曲がふくまれており、長いインターバルでしか新曲を聴くことができないと思っていたファンを驚かせた。

そして2002年。今回もきっかり8年振りにボストンのニュー・アルバム『Corporate America』がリリースされた。

1976 幻想飛行 Boston   (全米3位、1700万枚)
1978 ドント・ルック・バック Don't Look Back   (全米1位、700万枚)
1986 サード・ステージ Third Stage   (全米1位、400万枚)
1994 ウォーク・オン Walk On   (全米7位、100万枚)
1997 グレイテスト・ヒッツ Greatest Hits   (全米47位、200万枚)
2002 コーポレイト・アメリカ Corporate America   (全米42位、50万枚)

【トム・ショルツ BIOGRAPHY】
生年月日:1947年3月10日

ドナルド・トーマス・シュルツ (トム) はオハイオ州トレドの出身。6フット5インチ (約195.5センチ)の長身で、オタワ・ヒルズ・ハイスクール在学中は、優れたバスケットボールの選手だった。バスケットは現在も続けている。その後、マサチューセッツ工科大学への奨学金を得て、メカニカル・エンジニアリングで学士号と修士号を取得。ポラロイド社に就職後、シニア・プロダクト・デザイン・エンジニアとなった。

1980年、トムはデザイン会社SR&D (シュルツ・リサーチ・アンド・デベロップメント) を設立。音響機材用の信号処理機器を製造していた。同社でのトムの最初の発明品は、パワー・ソークと呼ばれる小さな音量ですばらしいサウンドを引き出す小さな箱状のアンプだった。1982年にはヘッドフォン型のアンプ、ロックマンを発売。これがロックマン・アンプシリーズの始まりだった (ロックマン・アンプシリーズは、ボストンの他にもZZトップやデフ・レパード、テッド・ニュージェントなど大勢のアーティストに愛用されている)。長年の間、トムは電気、機械、電気機器の分野において多くの特許を取得している。1995年にトムはロックマン・シリーズをダンロップ社に売却。その後SR&D社も売却した。

菜食主義者のトムは、環境保護団体のグリーンピースを始め、PETA、ドメスティックバイオレンスのグループなど多くの組織と関わってきた。1987年には、子供の権利や動物の権利を守る運動や、食物バンク、ホームレスシェルターなどの運動を支持するための基金を設立している。トムは1987年にマハトマ・ガンジー賞を受賞。翌1988年にはナショナル・ホスピス・オーガニゼーションから「マン・オブ・ジ・イヤー」を授与されている