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●ブライアン・ウィルソン
アルがディランのために弾いたオルガンは素晴らしかった。60年代には僕の家に遊びに来たこともある。また来てくれるならいつでも歓迎するよ

●ピート・タウンゼント(ザ・フー)
彼は仕事熱心で、煙草吸いで、覚えが速くて、ミスを恐れない。渦巻くようなハモンドサウンドも好きだった。偉大なセッションマンで、音楽を糧に生きていたアルはいつでも輝いていたよ。目の周りの隈もまたチャーミングで。ニューヨークで過ごしたザ・フーの初期には、僕にとってすごく大きな存在だった。

●ジョー・ウォルシュ(イーグルス)
アルに初めて会ったのは、ブルース・プロジェクトがオハイオのケント州立大学に来たときだ。俺はキャンパス内の学生寮に住んでいて、バンドを結成しようとしていた。アルのことは俺が見た中で最高のミュージシャンだと思ってたよ。機材を運び込んだりサウンドチェックする間、彼といろんな話をして、それから夜のコンサートをみて、絶対彼みたいになろうと決めた。あそこからジョー・ウォルシュがスタートしたんだ。改まってお礼を言ったことがないから、今言わせてもらう。ありがとう、アル。あなたのおかげでここまできたよ。

●スティーヴ・ウィンウッド
67年に初めてアメリカへ行ったとき、サンフランシスコでアルの世話になった。彼は音楽でざまざまな
偉業を成し遂げたけれど、なかでも初期のレコードのオルガンプレイとサウンドは、今やあらゆるオルガニストのレパートリーになくてはならないものだ。それにギタープレイやプロデュース、ソングライティングをいったいろんな面が組み合わさって、幅広い才能とすばらしいキャラクターを持つ本物のミュージシャンができあがっている。

●トム・ペティ
アルとはハート・ブレイカーズ以前に競演したことがある。マイク・キャンベルと何か録音したときに、ピアノとオルガンで参加してもらったんだ。その後ファーストアルバムを出したあと、バンドにとっての初めてのツアーに誘ってくれたのが彼だった。ACT LIKE NOTHING’S WRONGツアーのオープニングアクトとして同行したんだ。僕らが行き詰っているときに、彼が手を差し伸べて助けてくれた。その恩は一生忘れない。根はいかれたヤツなんだと思う。あんなに面白い男はいないよ。いつも笑い転げちゃうんだ。

●アンディ・パートリッジ(XTC)
アル・クーパーは不思議な影の国で暮らしている。有名なレコードに必ずといっていいくらい参加しているのに、なぜだか“ロックの殿堂”には入っていない。当然迎え入れられるべきなのに。彼はアトラスだかヘラクレスだかのように、アメリカのロック界全体を双肩に担っている。アル・クーパーというのはそのくらいすごい人だ。どのレコードにも名前が載っている。

●ジーン・シモンズ(キッス)
アルについては、表立って称賛されないロックン・ロール・ヒーローの一人だと思っている。つねに陽のあたらない場所にいて、正当に評価されたことのない男、決してルールに縛られない男。いつも頭と心の中に聞こえる音楽の声に従って進み、20世紀後半における通常の音楽の作り方や録音方法とは、全く違ったことをしてみせた。

●エド・キング(レーナード・スキナード)
レーナード・スキナードが成功したのはアルのおかげだと思っている。北部からきたヤンキーだったけど、南部のバンドが世界に向けてどう売り出すべきか、大所高所から考えてくれた

●ビリー・ペイン(リトル・フィート)
ディランと一緒にやったとき、たぶんB3オルガンにはさわったこともなかった彼が、その場でしっかり弾いてみせた、という話は聞いている。直感がものすごく働くんだね。僕が知ってる限り、最高のキーボードプレイヤーではないけど、それがどうした? 彼は弾くべき音を知っている。それだけで驚異的なハットトリックだ

●レイ・マンザレク(ドアーズ)
NYのカフェ・ア・ゴー・ゴーにジム・モリソンと一緒にBSTを見に行ったんだ。最高にホットでスリルに溢れていたよ。僕は“ハウス・イン・ザ・カントリー”が大好きで、“LAウーマン”のピアノソロの最後でちょっと弾くんだ。尊敬するアル・クーパーに敬意を表して・・・

●ジョン・ハイアット
“ライク・ア・ローリング・ストーン”のオルガン・ソロ。あれを弾いたということだけで、アルは間違いなく天国へいける
(以上『レア&ウェルダン:アル・クーパーの軌跡1964-2001』ブックレットより抜粋しております)


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