第四章 〜某大会〜

          1


 天を仰ぐと、悔し涙が頬を伝って口に入る。
 悔しい思いをしているのだから、何も味まで塩っ辛い必要などないだろうに。例えば、甘かったり、この世のものとは思えない程に美味しかったりすればいいのだ。そしたらバランスがとれると思う。
 しかしそういう訳にはいかないのは、多分この先だってこんなことはざらに起こるだろうから。そんなときもし塩っ辛いのが嫌だと自分が思うなら、地に足つけてしっかりやれよ、と。
 だから甘くて美味しいより、塩っ辛い方が優しい。

 わかってる。

 渋谷AXは優勝者を讃える拍手に満ちていた。

 わかってはいるが。

 どうも塩っ辛過ぎやしませんか。


       ◇   ◇   ◇ 


 SUPER BEAVER
 vo渋谷龍太、gt柳沢亮太、ba上杉研太、dr藤原広明

 書き込まれたエントリー用紙を見て、私は強く頷く。
「二度目の正直だ、三度目になんて期待するな。いいな!」
 私は息巻く。眼光鋭く、言葉歯切れ良く。
 メンバーに声がでかいと注意される。昨晩寝る前にフルメタルジャケットを観たのがよくなかったんだと、思う。
「期待も何も、渋谷と俺はもう、来年には資格がないから」上杉が言った。
「あ、本当だね」 
 スタジオの談話スペース。衝撃的な初ライブから一年と少し経っていた。

 最初が最初だったもので、大概のことには驚かなくなっていた我々は、どんなライブであろうと臆せずに臨むことができた。だから初めてのオンステージから半年も経たないうちに『TEEN’S MUSIC FESTIVAL』という当時バンドを始めたばかりの少年少女たちにとって登竜門みたいになっていた大会にエントリーすることを決めたのである。
 十代を対象に開かれていたその大会に、勢いと、根拠のない自信のみで挑んだ我々は、楽器店予選、地方大会予選、地方大会本戦、と奇跡的に勝ち進み、全国大会の舞台に立つことができたのであった。

「あれから一年か、早いね」
「そりゃ、19歳にもなりますわ」
 黒髪短髪できちんと頭を爽やかに整えた上杉が言ったのに対して、黒髪短髪をヘルメットみたいに整えた私が応えた。
 この頭は別段好きでやっていたわけではなく、専門学校の校則に従ったものだった。無事に高校を卒業した年長組二人はそのまま調理師の専門学校に入学。包丁を研ぎ、魚をおろし、フライパンを振る毎日には、サイドの髪の毛は耳にかかってはいけない、という規則があった。それを受け自分なりに解釈した結果、上杉は爽やかになったのに対して、どういうわけか私はヘルメットになった。これもフルメタルジャケットの影響だったのだろうか。
 専門学校は一年制であったので、柳沢と藤原さんの高校三年生組と、同時に卒業できるということになる。これでメンバーの足並みが揃うので、バンドとして更に活動しやすくなる算段だ。
 しかし、卒業のタイミングを揃えてまで本気でやりたかったのかというと、実のところは少し違った。音楽は、その時いくつか並べた選択肢の中で突出していたわけでなく、すべて並べて比べてみたところ、比較的これが大きいかも、という程度のものだった。だから私の場合音楽は後天的な希望だ。初めは与えられたものに過ぎなかったが、続けていく中で人と出会い、気持ちに触れ、結果としてそこに夢やら愛情やらをどんどん乗っけていくことで、大きな希望に変わっていったものだ。
 昨今、いや割と昔からか。夢がないということが、やりたいことがないということが、悪いことのように言われることがあるがこれに関してずっと違和感を覚えている。具体的にそういう素敵なものがある人なんて本当にごくわずかだと私は思うからである。ましてや学生しか経験していない時分に明確に夢を持てなんて、これはかなり難しい。だから焦る必要も焦らされる必要もないと思う、綺麗事は言っていられないがゆっくり見つけていったらいいのだ。見つからないうちはなんとなくでも仕方なくでも、やれることがあるならば、まずはそれを一生懸命やったらいいと思う。動いてれば出会うチャンスはあるが、ストップしている間はおそらく出会えないからね。って、自分で書いててなんだが、酒の席でこういう話を急に始める人が、私は得意ではない。
 二度目の提出になるエントリーシートを再び手に取り、じっくり眺める。去年の大会の全国大会の舞台を思い出しながら、沸いてきた様々な感情と向き合っていると、誰かが言った。
「もう19歳なんだね」
「誰、今言ったの」私は素早く顔を上げ質問した。
 藤原さんがおずおず手を上げた。私はその顔を真顔で見つめ質問を重ねた。
「そういうあなたは何歳なんですか?」
「18歳」
「はいはい。もういい加減にしてくださいね。言っときますけどこれね、十代の大会なんですよ。去年の大会だってどうやって出場できたのかわかったもんじゃない。あなた本当は何歳なんですか?」
「18歳です」
「いやいや! だってひげ生えてるじゃないですか!」
 柳沢が慌てて間に入って言った。「幼なじみなんですよ、こいつ」
「それもう面白くないから。帰るね」
 荷物をまとめてスタジオを後にする。振り返ってみると藤原さんが泣いていた。
 
 帰りの電車は夕暮れに染まってオレンジだった。車窓から見える景色もオレンジだった。暖色のくせして哀愁ばかりがいつもより滲んでいるのは、さっき少しだけ去年のことをを思い出したからだろう。
 全国大会の舞台で声高らかに読み上げられた、我々とは別のバンド名。応援してくれた友達の悔しがる顔。それでも歓んでくれた両親。生まれて初めて立った四人での大舞台。そして初めての挫折。
 塩っ辛いのは十分だ。今年こそは。
 一つ行き過ぎた駅、濃くなったオレンジがホームに差していた。


          2


 桂剥きはより薄く、オムレツは綺麗に。そんな日々を過ごしていたらあっという間に地方大会本戦。
 去年の実績を買っていただいた我々は楽器店大会をシードでパス。まさかの人生初シードに胸躍らせながら挑んだ地方大会予選も順当に勝ち抜き、地方大会の本戦までコマを進めることができたのだ。
 本戦の舞台はZEPP TOKYO。今日一日の流れの説明を受けるために我々は午前のうちから集められていた。
 それぞれの地元から勝ち上がってきた関東勢が一堂に会するこのフロアは、まだリハーサルすら始まっていないのにピリついた空気に満ち満ちていた。それは何もオンステージする気概みたいなものだけでなく、十代特有の無垢な反発心というか、とりあえず周り皆んな敵! みたいなそんな気配の方が強かったように思う。
 多感な時期の少年少女が集まればそりゃそうなる。私も違わず自己顕示と、自信と、劣等感とが身体の7割8割を占めているのだ。残りは水分とたんぱく質。あと脂肪とか。
 しかしながら、如何せん周囲が私に向ける視線が辛辣であるように感じる。緊張感からくる自意識過剰なんかではなく、明らかに視線が痛い。まだ口も利いたことのないような奴に対して、よくもまアそんな親の仇に出くわしたような目ができるよな、と少しだけ腹が立った。プリプリ怒りながら、メンバーにそのことを話すと、「髪型じゃね?」と言われた。
 いやいやちょっと待ってくれよ、と思い反論しようと臨戦態勢を取ったが、ヘルメットみたいな髪型にしてからの周囲の反応を思い返すと、確かに肯定的な意見は一度も貰えていなかった。「普通の髪型にしたら?」「なんでそんな頭なの?」「それ気持ち悪いよ」と確かに言われ続けてきたが、私はかっこいいと思っていたので、押し並べてそれらはみな冗談として受け取っていた。
 不安になったのでこそこそ会場を抜けてトイレに赴き鏡の前に立った。そして驚いた。全体的に丸く切りそろえられた短髪に、完璧なまでに生え際でラウンドさせた前髪、つやつやの真っ黒い髪で完成されたシルエットはさながらウォーズマンだった。そしてウォーズマンのような滲み出るような残虐性は皆無であったので、ほぼどんぐりだった。
「こ、これが……私?」
 慌てて髪の毛を掻きむしり、どうにか髪型を変えようとしても少しも変わらない。鏡の中でどんぐりが自分の頭を撫で狂っているようにしか見えない。パニックで右も左もわからなくなっているところに都合よく他の出演者らしき男の子が入ってきたので「ねエ、本当にこれが私なんですか」と縋り付くと、悲鳴を上げて逃げて行った。
 緊張感と敵対心で飽和し、指で突いただけでも破裂してしまいそうなあの会場に無表情のどんぐりがポツネンと立っていたら、確かにそれだけで不謹慎だと腹が立つかもしれない。マスコットのように愛想を振りまくわけでもなく、腕を組んで片足重心で立っていたのも逆に良くなかったのだろう。それならばいっそ成りきってみるか、と肩や肘、そういう角ばったところに意識を集中させなんとなく丸みを帯びさせたことに成功した私は、悪目立ちしないよう息を浅くして、柔和な微笑を携え、小股のすり足でみんなの元に戻ってみた。
 結果的にそれが火に油を注ぎ、更に鋭角になったどぎつい視線を浴びることになった私は、泣きながらトイレに戻り、刺さった視線の矢を一本ずつ丁寧に抜いていた。少し血が出ていた。

 だから本番のことはよく覚えていない。
 心から嬉しがってくれた友達の顔と、歓んでくれた両親の顔。これが見られただけで幸せだ、と思ったのだけは覚えている。
 SUPER BEAVER地方大会本戦突破。全国大会進出。


          3


 目が覚めたのは永田町のホテル。
 いやはや、この文頭の一行はかっこいい。国政を担う男の心持ち。ワイシャツの襟が黒く汚れ始め、それに気が付いた美人秘書に「働きすぎです、お願いですから休んでください」と、無理矢理にホテルに押し込まれた男の心持ち。そのまま気絶するように眠ってしまうと夜中のチャイムで目を覚まし、「どうして着替えてないんですか、もう」と、少しもじもじした様子でドアの前に立つ美人秘書の突然の訪問に少しドギマギする男の心持ち。朝目を覚ますと、綺麗に畳まれたクリーニング済みのワイシャツの上に「今日は午後からいらしてください。休むことも仕事です」と書かれた置き手紙を発見し、枕元に彼女が忘れていった小さなピアスを発見してしまう男の心持ち。
 はい。
 どうして永田町のホテルなのかというと、丸一日を費やした全国大会の前日リハーサル終了後、出場者は全員そのまま都内のホテルに宿泊することになっていたのだ。東京生まれ東京育ちの我々は家に帰った方が明らかに早かったのだが、シティボーイズは場の空気をしっかり読んで素直にチェックインした。どうして永田町なのかという部分に関しては、どうしてかわからない。
 起き抜け一発、自慢のどんぐりを水で濡らしそのまま歯磨き。一度ベッドに腰掛けるも顔を洗っていないことに気がつき洗面所に戻ると丁寧に顔を洗う。ついでにもう一度どんぐりを水で濡らして部屋を行ったり来たりした後に、手足をぶらぶらさせて大きく伸びをすると、まだ歯ブラシを咥えたままだったことに気が付き洗面所に戻る。口を濯いで洗面所を後にしようとしたところでもう一度どんぐりを濡らしておこうと踵を返す。

 緊張シテイル。

 洗面所はもうびしょびしょであった。ワクワクとドキドキとソワソワとヒリヒリが一緒くたにやってきて、どうにも落ち着かなかったが、ここで足掻いてどうにかなるような結果なら去年だっておそらくどうにかなっていたに違いないと、心を落ち着かせ、チェックアウトで部屋を出る時は、ワクワクとヒリヒリだけを持って出た。
 定時にホテルを出発したバスは決勝の舞台、渋谷公会堂へ向って、ひた走る。
 余談ではあるが、正式には渋谷公会堂ではない。現在はLINE CUBE SHIBUYAであるし、当時もCLemonホールだった。ネーミングライツというやつだ。
 当時ネーミングライツなんて殆どなかったもんだから、渋谷公会堂が渋谷公会堂でなくなることに対して大いに驚いた覚えがある。しかもよりによってCLemonホールって。場末のテーマパークかよ。マスコットキャラクターはレモンちゃん。抱きしめるとレモンの爽やかな香りが鼻腔に広がり、牡蠣や唐揚げなどレモンをかけると美味しくなる食べ物を目の前に差し出すと興奮して鼻からレモン汁をだらだらと垂れ流す。
 兎にも角にも、決勝の舞台がCLemonホールというのはどうにも格好が付きづらいのでこの場所では渋谷公会堂と呼ばせて頂くことにするのでご了承ください。どうせ命名権を買うんだったらサントリーもなっちゃん堂にすればよかったのに。LINE株式会社もLINE CUBE SHIBUYAじゃなくて既読会館の方がよかったんじゃないの? と私は思っている。
 この大会は、たかが十代の大会と言われようが、私にとっては、されど初めて何かを成し遂げたいと思わせてくれた絶対的な希望であった。皇居を背にして走り出したバスの中で、自分の為、そして応援してくれた人たちの為、と何度も唱えていた。健気だ。可愛い。一体、誰が馬鹿に出来ようかと本気で思う。
 あっという間に渋谷公会堂に到着した我々は、本番までの時間をバンドそれぞれに過ごしていた。随分と時間に余裕があったのでコンビニでお茶とどら焼きを購入。本番に向けて緊張感が高まってゆく会場をうろうろしながらそれらを嗜んだ。
 するとポケットで携帯電話が震えた。画面には〈やまと〉と表示されていた。
「はいよ」
「龍太、今日頑張れよ」
「わざわざありがとう」
「今から会場はいるわ」時間を確認すると、既にオープンの時間を過ぎていた。やまとが言った。「今どこいんの?」
「会場うろうろしてるよ、入り口のとこいるなら顔出しに行く」
「へーい」
「へーい」
 やまとは、中学生の時分からの親友である。彼が去年の前回大会の決勝前日、頑張れよ、とそれだけ言いにわざわざうちまで来てくれたのを思い出していた。その時、何故かお土産に持ってきてくれたどら焼きを「特に意味はない」と言って渡してくれたその日から、ジンクスや験担ぎを一切しない私の唯一の勝負アイテムがどら焼きになったのだ。 
 少し早足で入場口まで向かうとすぐにやまとを発見した。
「おー、龍太」
 生命エネルギーの塊のようなこの男は、背も小さく、派手な格好もしないのにやたらと目立つ。
「来てくれてありがとう」
「会場でかいな、頑張れよ」
「うん」
「会場名ダサいな、頑張れよ」
「うるせエ」
「それじゃ」
 会場に入ろうとしたやまとに、私は言った。「今年こそは優勝するから、しっかり見ててくれ」
 やまとは渋谷公会堂を見つめて、もう一度私の方に向き直った。
「応援してる」
 去年、出せなかった結果に落胆する私に「やっぱり、お前らが一番だったよ」と、笑いながら言ってくれたやまと。去年と同じセリフを、今年は実際に一番をとってから言ってもらうんだと、そう決めていた。
 形容し難いが、何かとても大きな力で暖かく膨らんだ心を携え、私は準備をしに楽屋へ向かう。足取りは軽く、なんだってできそうなそんな気分だった。
「おい、龍太!」
 背後から聞こえたやまとの声に振り向くと、直線に近い放物線を描きながらなかなかのスピードで飛んでくる何かが見えた。避ける、または、キャッチする。瞬時に浮かんだ二択であったが、この後に及んで親友と信じている男が私に攻撃を仕掛けてくるはずがない。そう信じてそれをキャッチした。
「元ハンドバール部キャプテンを舐めるなよ!」
 遠くにいるやまとに叫ぶと、やまとは笑って、私に大きく手を振った。
「龍太、がんばれ!」
 大声でそれだけ言って人混みに消えてゆく彼に首を傾げ、避けずにキャッチしたそれに視線を落とす。私の手の中に、去年と同じどら焼きがあった。

「どうしたの」上杉が言った。
「なんでもない」私は答えた。
 出演者勢揃いの大部屋の楽屋。そういえばさっきから私の前を人が通る度、訝しげな視線を向けられる。縮緬雑魚にごく稀に紛れ込んでいるタコの赤ちゃんを発見した時のような、そんな異質なものを見るような視線だった。こちらはただやまとの粋な贈り物に号泣しているだけだというのに。
 本末転倒だとは思うが、彼からもらったどら焼きに手はつけられなかった。ドライフラワーみたいにして、玄関や、寝室に飾っておけるものなら飾っておきたい。しかし逆さまにして部屋干ししても傷んだり、蟻が寄ってきたりするだろうからきっと叶わないんだろうし、それ以前にどら焼きの上下がわからなかった。
「ずっと一緒にいたいねエ。ずっと、一緒にいたいよねエ」
 どら焼きを撫でていると藤原さんがこちらを見ていた。もしかすると、目を離した隙に一口齧ってくるかもしれない。まったく、油断も隙もあったもんじゃない。私は藤原さんに背中を向ける形に姿勢を変えて、再びどら焼きを撫で始めた。
 すると楽屋の入り口から、配膳台のようなものを押して入ってくるスタッフの姿が視界に入った。
「給食、か」
「違うでしょ」
 柳沢が冷たく言った。人にこういう物言いをすると、あとでばちが当たるってばあちゃんが言ってたのを思い出した。
 配膳台の上には手のひらサイズの真っ赤な箱が積み上げられていた。ビッグマックの箱に似ていた。
「こちら、大会から皆さんに差し入れです! お一人一つずつご用意ございますのでどうぞ」
 スタッフの男性が大声で叫んだ。私は「差し入れ」の「さ」の字が聞こえた時点でダッシュで向かっていたので、アナウンスし終える前に既に一箱手にしていた。意気揚々と席に戻る。
 藤原さんが箱を見て言った。
「ビッグマックみたいだね」
 同じこと考えてたなんて口が裂けても言えないので、咳払いをして誤魔化した。柳沢と、上杉も箱の中身が気になるようで、私の手元を覗き込んでいた。こうやって視線を集めるといっぺんに緊張してしまう。箱を開けるのにドキドキするなんて浦島太郎の心境だな。そう言えば浦島太郎の教訓はなんだろう。亀なんて助けるな、かな。
「よいしょ」
 相応しくない掛け声で、箱を開いた。
 人生で後にも先にもこれ程に驚いたことはないと思う。
 箱に入っていたのは二段重ねのハンバーガーでもなければ、歳を取らせる煙でもなかった。
 どら焼きだった。

 験担ぎで買って半分食べたどら焼きと、やまとがくれたどら焼きと、大会が支給してくれたどら焼き。目の前にある2・5個のどら焼きををぼんやり眺めているとあっという間に出番。「間に合わないよ、急いで」と手を引かれ、即オンステージ。あ、やべ、と思ってたらもうアウトロだった。

 ステージを降りると、短い人生なりに様々な出来事が思い出された。一瞬、走馬灯かもと不安になったが、あれだけ刹那的で集約的なステージだったのだから無理もないだろう。
 気が付くと無垢な感じの少年が私の隣に立っていた。
「しょ、少年時代の、私だ」
 思い出したかつての時間にいた、その当時の自分を具現化してしまって焦ったが、見れば見る程、私とは似ても似つかなかった。
「なんだお前。私はもう少し可愛かったぞ」
「お疲れ様でした」
 よく見れば九州代表で大会に弾き語りで参加していた男の子だった。「あ、お疲れ様です」と慌てて取り繕った。
 すると少年は何かモジモジし始めた。私もあみちゃんに告白した時こんな感じだったからよくわかるのだが、おそらく彼は私に何かを伝えなければならないと思っているのだろう。パターン1、おそらく気持ちが上ずってしまってすんなり言葉にできない。パターン2、もしくは口に出すのを憚ってしまう何かがある。パターン3、尿意。
「どうしたの?」
 少年がビクッと身体を震わせた。パターン3、ちょっと出てしまった可能性有。少年は決意を固めたように短く息を吐いた。
「あの」
「ん?」
「出番の前から、ですね」
「うん」
「あの」
「はい」
「チャックが開いてました」
「は?」
「ズボンのチャック」
 少年が指したその先では、離れ離れにされた左右のチャックが、噛み合うことのできない侘しさを、私の股間の辺りで漂わせていた。
 ショックだった。全国大会だからものすごく格好をつけていたのでショックだった。後日CSで特番を組んで放送する旨、昨日知らされていたのでショックだった。本番直前、股割りストレッチをしていたのでショックだった。ステージ衣装が短パンだったのでショックだった。
「君は、滑稽という漢字に他の読み方があるのを知っているかい?」
「え?」
「滑稽と書いて、こっけいと読まずに、なんと読むのか知ってるのかと訊いているんだ」
「え、あの」
「しぶやりゅうたと読むんだよ馬鹿野郎が!」
 少年は逃げていった。少年が行った道をなぞるように、キラキラひかる水滴が落ちていた。パターン3も、間違いではなかったようだ。
 タイムマシンがあったら本番前に戻るんだ。そして少年に言う。なんで今教えてくれないんだ、と。

 無事に全ての出演者がステージを終えた。この日の為にそれぞれがどんな日々を過ごしてきたのかを私は知らない。それぞれがどんな気概で挑んだのかも私にはわからないが、みんな気持ちのいい顔をしていたように見えた。
 チャックのショックが長い尾を引いて浮かない顔をしてる私を除いて。
 今思えばたかがそれくらいのことなのだが、当時を思えばたかがとは言えぬ。多感な時期なんだ。毎日過剰な自意識に振り回されっぱなしなんだ。暗澹とした気持ちは、なんだかもう見るもの全てに紗幕を掛けていた。
 結果発表までのわずかな時間、伏し目がちに紗幕のかかった廊下を歩いていると、前方にタバコの煙を燻らすナイスミドルを発見した。よく見れば本日のステージのど真ん中で撮影してくれていたカメラマンだった。私はすり足で忍び寄っていった。訊きたいことはたった一つだけ。
「あの」
 カメラマンが視線だけこちらに向けた。いぶし銀というのだろう、そっと壁に体重を預けるその様は多分に憂いを秘めて、半世紀近く生きた人間にしか出せない魅力を身体中に纏っていた。若干気圧されながらも、私は大きく息を吸い込んで一息で言った。
「つかぬ事をお伺いいたしますが、あのですね、私オンステージさせて頂いた折にですね、ズボン前方部に不具合が生じておりまして、それすなわち具体的に申しますと、本来閉じていて然るべきはずのメインゲートが、事前確認不十分の為に」
 そこまで言うとカメラマンさんは私を制するように、そっと手をかざした。「大丈夫だ」
 掠れた声でそう言ってタバコに口をつける。先端で燃ゆる赤がじりじりと小さく音を立てた。肺一杯に空気と共に吸い込んだ煙をゆっくり吐き出しながら、ここでようやく私に顔を向ける。そして少し、本当に少しだけ笑って、彼は言ったのだった。
「上半身しか、撮って、ねエよ。」
 そして遠くを見つめ、手元の灰をトントンと落としたカメラマンの姿は、現在に至った今でも、カッコイイ大人第一位である。

 そして迎えた結果発表。ステージからみた景色は今でも忘れない。
 友達に一番だったと言って欲しかった。両親の喜ぶ顔が見たかった。自分にだってやれるのだって胸を張りたかった。
 去年知った涙の味が、去年覚えた悔しさが、そのままで終わっていいはずがないと、そう思っていた。過去の形が変わることは決してないが、未来で幾分か輝かせてやることはできる。
 去年自分が経験した感情を今年は私ではない誰かが覚えている。なぜだろう、今年の涙の味は、どういうわけか去年よりも塩辛い気がした。嬉しい気持ちに至るまでの道で感じることができたその味が甘いもんじゃなかったとわかったんなら、地に足つけてもっとしっかりやれよ、と。

 渋谷公会堂は優勝者を讃える拍手に満ちていた。

 涙でよく前が見えないが、大事な人たちの顔だけははっきり見えた。

 どうやら、優勝したようだ。


       ◇   ◇   ◇


 大根を剥く、オムレツを焼く。魚をおろす、クリームを絞る。
 いつもと変わらぬ日常が戻ってきた。
 本を読んで、映画を観て、音楽を聴く。
 やっぱりいつもと変わらない。
 どんなに自分にとっての大事が訪れても、個人単位のそれじゃ世の中は少しも変わらない。いくら歓んでも、どんなに悲しんでも、世界が動きを止めたりすることもない。
 ただし、一人につき一つのその人生とやらは、言わば世界に等しく、時には世界がどうこうよりもよっぽど大事な時がある。
 私が歓べたことが、あの人が歓んでくれたことが全てなのだ。自分が悲しかったことが、自分が悲しませてしまったことが全てなのだ。
 この先、SUPER BEAVERというバンドは、こんな当たり前のことを何度も実感しながら音楽を続けてゆく。この時は夢と言える程立派なものでもなかったし、野心というには不十分な覚悟ではあったと思うが、一人だけで、そして四人だけで生きていないこのバンドの歓びや悲しみは、これくらいの時期から、少しずつ定義されていったと思う。
 「あなたがいてこその音楽」と胸を張って言えるようになるまでに、今よりも更に青いこんな時代があったということ。なんとなくあなたに伝えたくなったのだ。

 いつもと変わらない日常で、ふと妙に実感が湧いて立ち止まる。
 生まれて初めて自分に、よくやった、と声を掛けてやるに至った、そんな一幕。





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