第五章 〜初ツアー〜

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 エンジンにガソリンを食らわせて、そいつは車輪を回転させる。たとえばイリーガルな秘密兵器を搭載されても、たとえば操舵する人間が免許証を持っていないいたいけな子供だとしても、アクセルさえ踏み込まれれば、そいつはNOとは言わない。時速一〇〇km以上だって出す鉄の塊。
 ひと度そいつに乗り込んだら、三半規管は簡単に御陀仏。右に曲がれば左に、左に曲がれば右に、身体は意図せぬ揺さぶりをかけられる。止まってくれと叫んでも、誰かがアクセルペダルを踏み込む限りそいつはYESとは言わない。冷酷非道な鉄の塊。

 小さい頃から、私は車に乗ると、吐く。
 実は車に限らず乗り物全般。新幹線で吐いた輝かしい実績もある。私とゲボは、ライナスと毛布の関係性より密接であるため、「大阪まで車で行きます」と告げられた時に、先読みの一口ゲボが出ちゃったことについて、何人たりとも私を責めることなどできやしない。

 初めての全国流通盤の発売が決定したのは私と上杉が二十歳、柳沢と藤原さんが十九歳の時であった。
 前章で記した大会での功績に目をつけたオトナ達が、我々が出演するライブハウスにちょくちょく出入りするようになった。
 青田買いとはいえ、ようやくリハーサルの手順を覚えてきたくらいのペーペーであった我々にリリースの話を持ちかけてきたのは、今思えばなかなかだ。なかなかどうなのかという話はさておき、若さというこの時期にしか持ち得ない武器が火を吹いた、ないし吹かせたかった結果だろう。
 詳しいことを言ってしまうと、声を掛けてきたのは実はメジャーレーベルの人間である。メジャーデビューを前提にこれから一緒にやりたいと思っているのだが、君たちはまだ音源を一枚も出していないので、まずは弊社お抱えのもと、インディーズという形で全国流通盤を出してみましょう、ということだった。
 実はこのあたりから我々は、転がしている意識のないまま、どっこかへ転がり始めていたのだが、そんなことに気が付けるほどSUPER BEAVERはまだ利口ではない。

 初めてのレコーディングスタジオ。ボーカルブースなるものに篭って、エンジニアとやりとりをしながら歌うなどということは、今までにない斬新な経験であった。ましてやそれがしっかり形になり、帯が付いて包装され、レコード屋さんに並ぶなんて夢の様であった。本当に夢の様であった為に、レコーディングの詳細など全くと言って良いほど覚えていないのだが、しっかりお店には我々の盤が並んでいたので、本当の夢ではなかったみたいだ。
 といった具合にどこか浮き足立っていたので、盤を出すその先にある、ツアーという存在を認識できていなかった。その為、全国ツアーしますからね宣告を受けた時は、闇討ちを食らった心持ちであった。
 我が家を中心とする半径一kmより外は、私にしてみれば魔境に等しかった。そんな私であるから、さらっと言われた「ツアーします」の一言に私は、ジェロム・レ・バンナのパンチをまともに食らいロープのたわむままに身を投げ出す衝撃的なダウンをしたフランシスコフィリォを見たときとほぼ同等のショックを受けた。あの藤原紀香が珍しく取り乱していたんだから相当だ。
 全国ツアーなんていったらもちろんしばらくはおうち帰れない。その間、どこか遠くの知らない部屋に敷かれた布団に入り、正体のわからない天井のシミを数えながら眠るだなんて。ただでさえホームシックになりやすい体質だというのに。心がソワソワする。
 私以外のメンバーはというと、柳沢は嬉々としており、上杉はやったりますかとドンと構えていた。唯一藤原さんだけが困った様な顔をしていたが、元からこの顔だったことを思い出しがっかりした。誰もが肯定的に事実を受け入れ、初めてのツアーに胸を躍らせている様に見えた。住む世界が違うことに気が付いてしまい、小さな悲鳴をあげてしまった私の背中を、メンバーは優しく撫でた。しかしようやく落ち着きを取り戻した私の耳に飛び込んできたのは「まずは大阪まで車で行きます」という死の呪文だった。


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「こちとら新宿に生を受けて、新宿に没する身だってのに」
 渋谷から恵比寿に向けて明治通りを歩く。明治通りはまっすぐ戻れば新宿まで戻れるので安心感がある。高く上ったお日様を遮る雲が一つとしてない晴天、どうか私心まで晴れさせてくれないだろうかと、目を細めて空を仰ぐ。
 ツアーを明日に控えたこの日、我々は事務所に呼び出されていた。どうして呼び出されたのかを考えながら事務所のソファに腰を下ろした。懐にある『外泊、及び、車移動拒絶体質』の診断書は実家の裏手に住んでいる歌舞伎町の闇医者に書いてもらったものだ。いざとなったらこれを突きつけ逃走する心算である。つい先日一口ゲボも披露していることだし疑われることもないだろう、大丈夫だ。それに、どんな事態に陥ったとしても、最悪走って逃げればなんとかなる。腹を括ってソファの背もたれに身体を預けた。
 しかし、懸念や不安の類は、不測の事態や、ある一定の恐怖により簡単に払拭されるということをこの後知ることになる。例えば空からUFOが降りてきて、街を歩く人々をドロドロに溶かす得体の知れない光を照射する場面に出くわして尚、おでこにできたニキビの行末についてうじうじ悩んでいられる人などいないだろう。
 間も無く、私のツアーに対する懸念や不安を払拭するに値する、不測の事態が起こり、ある一定の恐怖が私を襲う。

「しーびゃ、だいじょんだよ、そんあしんぱしなくってエ」

 ソファの背もたれに身体を預けた十秒後の出来事である。とりあえず私は困惑した。状況を把握できていないのが私だけかも知れないと思い、メンバーの様子を伺うとそれぞれが目に見えてあたふたしていた。
 突然目の前に現れた謎の言語を操るこの妙な男、その正体について思考を巡らせる我々であったが、誰一人として一縷の手がかりすら掴めない。この世に生を受けてからの記憶を順々に辿っていくが、無理矢理にどこかの場面を切り取ってみたとして、このような妙な男に繋がるような瞬間はやはり存在しなかった。
 寝起きの様な頭髪にメガネ、オーバーサイズの原色のTシャツ上に白いシャツを羽織り、ジーンズを太もも中腹あたりまでグデッとずり下げた風体。扉を開けて現れたのは、愛嬌と不気味さがカフェオレと同配分でブレンドされたキャラクターの様な男であった。
 まさに不測の事態だ、なんだかやばいということだけはわかる。
「誰、え、なに」
 思わず口からこぼれた本音が、目の前の男の耳に届いた。我々から凝視されていることに反応を示した彼は、我々の顔をゆっくり見渡した。丸い肩をゆっくり沈ませ深く息を吐くと、丸い肩をゆっくり持ち上げて息を吸い込んだ。
「んあ」
 やばい、鳴いた。
 実はこの男の正体、SUPER BEAVERに一番最初についてくれたマネージャーの郷野さん。今後かなり長い付き合いになる彼の言葉は、今の我々であればしっかり解読することが出来るのだが、この時初対面であった我々にはまだその卓越したスキルは備わっておらず「しーびゃ、だいじょんだよ、そんあしんぱしなくってエ」が、「渋谷、大丈夫だよ、そんな心配しなくて」であるなんて、想像すらできなかった。
 解せぬ事態は何一つ進展を見せず、ただ流れてゆく時間に恐怖は増していった。逃げようにも扉は一枚、しかし扉の前には門番の如く妙な男が立ちはだかっている。絶体絶命だ。彼は首を回すと、腰の辺りをボリボリと掻き、ずり落ちてきたメガネを直した。
「あっあっあっあっあ」
 これは、どうやら笑っているようだ。
「よおしく」
 こわいこわいこわい。

 事務所の方の説明により、この人がこれから我々をマネージメントしてくれる郷野さんという人だということが判明する。順序が逆だろう、崖に突き落とした人間に、後になって命綱をつけてどうするんだよ。
 しかし、得体が知れれば恐るるに足らない。この人と共に初めてのツアーを回ることになるのだ。それなのに我々ときたら怯えるばかりで、どうやって退治しようかまで考えてしまっていたのだから失礼極まりない。まずは挨拶をするのが道理である。
「よろしくお願いします」
「んあ」
 ほう。どうやら郷野さんは我々の言葉は理解できているようだ。ならば話は早い。我々が彼の言葉を理解できればコミュニケーションの問題はとりあえず解決する。他になんの問題があったのかと言えば取り分けなかったが、我々は希望を見出したような気持ちになった。
 え? とか、は? を繰り返し続けて四十分と少し、おそらくこうであろうと脳内で我々の言語に変換できるようになった。これは縁もゆかりもない海外に置き去りにされても、40分程度もらえればある程度のコミュニケーションは取れるということだ。自信になった。
 郷野さんは言った。「いろいはしめって、たいんかもしーないけろ、あしたかーよおしくね」
 前半はなんだかわからないけど、後半に、明日からよろしくね、的な言葉が含まれていたように思うので「よろしくお願いします」と返した。
 「色々初めてで、大変かもしれないけど、明日からよろしくね」と言ってくれたこの郷野さんという人に、この後我々は本当に数え切れない程お世話になる。結果的にこのツアーも、宿の手配、運転、オンステージ以外の殆ど全てにおいてやってくれたのは郷野さんだ。初ツアーでこんなに優遇されることはまずあり得ない。どれだけ恵まれていたのか、今になるとよくわかる。
「あっあっあっあっあっ」
 郷野さんが笑っている。
「あはははは」
 我々も笑ってみる。
「んあ」
「えエと、はい」
「よおしく」
 やっぱり怖い。


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 朝が来た。ツアーです。
 懸念や不安は、郷野さん出現という不測の事態とそれに伴う恐怖により、おかげで殆ど払拭されていた。
 あれもこれもと詰め込んだ結果、大きく肥大して形を変えた鞄が肩に重たい。少し早めに集合場所に到着すると既に郷野さんはそこに居て、どこで売ってるのか見当のつかない甘そうなジュースを飲みながら我々を待っていた。私が挨拶をするより前に郷野さんは言った。
「んあ、ずいぶう、おおきあにもっだえ、あっあっあっ」
 視線は私の鞄、そして末尾に笑ったと見受けられる。私は応えた。
「はい、これ新しい鞄です」
「むん」
 郷野さんが眉と眉の間隔を狭めた。どうやら解釈を誤ったようだ。
「えエと、パンツは余計に持ってきました」
「むんんん」
 だめだ、わかんね。
 そうこうしてる間に柳沢も、上杉も、藤原さんも到着。郷野さんは太ももあたりにまとわりついたジーンズをグイッとあげて、運転席に乗り込んだ。
 払拭されたとはいえ一抹の不安はやはり残る。何せ初めてのツアーなのだ。郷野さんの出現ごときで消え去ってしまう程私だって単純な男ではないのだ。しかしここで尻込みしていては漢が廃る。夜は開けてしまった、ツアーはもう始まっているのだ。バンドワゴンには乗せられないそんな気持ちを東京に置き去りにすべく私も勢いよく車に乗り込んだ。すると郷野さんが助手席を差してここに座れと私を促すではないか。出端をくじかれ、訝しげに郷野さんを見るも容易には真意がわからず、「なに」「なんで」「どうして」と無言の指示との押し問答。郷野さんのそれに、景色がよく見えた方が乗り物酔いは軽減されるとの意があったことを汲み取るのにかかった時間はおおよそ一時間。SUPER BEAVER初ツアー、ようやくの出陣。
 ちなみに。結果的にこのツアー中、私は一度も酔わなかった。
 しかしそれは次から次へと移り変わる未踏の地の風情に心を奪われ続けた結果ではなく、郷野さんの言葉の解読に集中し続けたことによりもたらされた結果だった。乗り物で吐かなかったという初めての経験は大きな自信に繋がり、現在では車内で活字を追える程だ。
 人間なんて単純なもんだ。7割5分想像力で生きているような生き物である。

 初めての土地で、初めての経験。刺激に満ちたツアーであった。
 今ではお馴染みのあのライブハウスも、今ではホームと思わせてもらっているあのライブハウスも、もちろんこの時が初めましてである。地元のバンドと対バンを繰り返し、もらった三十分にできる全てを突っ込んだ。武者修行と言うには人、時間、金銭、あらゆる面において恵まれ過ぎていた環境ではあったが、当時の我々にとってはそう言っても差し支えはなかった。
 数年後、本当の本当にDIYでツアーを回り直すことになるわけだが、その時になってみて痛感できたことは、たとえ拙かったとしてもこの初ツアーを回っていなければ感じられなかったことだったと思う。
 だから一概に、その場面だけを切り取って「甘い」なんて言ってはいけないよね。踏んで然るべき必要な段階ってものはあるのだ。
 例えば酒を飲んで、苦労自慢の入り口に「甘い」を使うような安直な人間に安易に、私はなりたくない。

 さて、概要である。

 移動。
 もちろん車。北海道だろうが、九州だろうが、車。新幹線が走るための線路が敷かれていることも、飛行機が降り立つための空港があることも、知っていたけど車。長い時で十四、五時間車に乗りっぱなし。
 しかし初めてのツアーである。何もかもが楽しかったのは間違いない。
 みんなで大喜利をしたり、対バンして仲良くなった地元のバンドの音源を大音量で流したり、終わったばかりのライブの反省会をしたり、車窓から見える街の光が後ろに流れていく様を見てセンチメンタルになったり、車を止めた海岸で囲んだ焚き火に夢を語ったりした。最後の以外全部本当である。

 ご飯。
 各地でほぼ一〇〇%の確率で存在する名物。足を一歩でも踏み入れたのなら、これは是非とも食べてみたいと思うのは当然の心理ではなかろうか。せっかくなので嗜みたいのだ、たとえ少しばかり値が張ったとしても。
 我々もこのツアーでは、あれやこれやと駆け巡った。海鮮だ、肉だ、魚だ、米だ、麺だ、と話にしか聞いたことのなかったそれらに舌鼓を打ち、大いに喜んだ。
 しかしこれは一過性のものであると言うのは、長いことバンドを続けて学んだことの一つだ。要するに心をかき立てるのは、『せっかくなので』の部分なのだ。そしてこの『せっかくなので』の気持ちに永続性はない。そうなると果たしてどうなるのか。
 私の場合は、定食屋さんに行き着いた。
 各地で求めるのは、エンタメ性よりも安定性だ。各地の名物、どれも実に素晴らしく、美味しい。しかし湯気のたつ銀しゃりに、おみおつけ。主役のおかずに、小鉢が一つか二つ。結局はこれに尽きる。
 そして何より二度目のツアー以降しばらく、あれが食いたい、これが食いたい、そして名物がいい、定食がいいなんてことは言えなくなる。決定権を握っているのは財布だと知るからだ。

 宿泊。
 安く泊まれるビジネスホテルがあればそこに泊まった。なければカプセルホテル。
 本当にこんなところで寝るのかよ、と心の底から思ったが、数年後には安心感すら感じる居心地の良い空間になっている。しかしこの当時の私は、おじさんのいびきとおならをBGMにしなければならないカプセルホテル泊が決定する度に大いに口を尖らせた。

 経験したことのないことが、次から次へと押し寄せる。その波を全て乗りこなすことなんて不可能で、時にはまさかのクローズアウトに盛大に溺れたり、パドリングを続けども続けどもフラットだったり、ようやくテイクオフできたと思ってもなぜかグーフィースタンスになっていたり、どうしてかインターフェアされたり。バンドを十五年続けてきた今になっても往々にしてそんなもんであるから、この時なんてただ水面に漂うだけで精一杯だった。サーフィンなんて全くやったことのない私が言うのだから間違いない。
 まアとりあえずバタバタと、不慣れで至らなかったこの日々の延長線上に今があり、『あの時の出来事』として今これをあなたが読んでくれている今日を、私は素晴らしいと思う。オフショアで面ツルだ。


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 で、そんなこんなで。ツアーもいよいよ最終日。そんなこんなの部分を多く語りたかったのだが、干支一周分以上の歳月は細部の記憶をぼやぼやさせるには十二分な長さであるゆえ悪しからず。
 探し回って見つけた、ライブハウス近辺で最も安い青空駐車場にて青空を眺めていた。
 送って頂いたタイムテーブルの入り時間には少し早く、メンバーは隣のコンビニにお出かけした。特に欲しいもののなかった私と、すでに得体の知れない謎の甘そうなジュースを飲んでいる郷野さんと、二人でタイヤ止めに腰掛けて空を仰いでいた。大きな鳥がゆっくり旋回した見えない轍を、目でなぞる。
「何飲んでるんですか、郷野さん」
「ふにゅーる」
「フルーニュでしょ」
「むんん」
「今流行ってるやつね。桃のやつだ?」
「こえ、おいいい」
「ヘエ、そうなんだ。今度飲んでみようかな」
「んあ。あて、つぁーもそーそんおしゃいだえ。はしめっのつぁーおうだった?」
「んん。はじめのうちは不安でしたけど。なんだかんだ、凄く楽しかったです」
「そかア、しーびゃもすっかいのりももえーきになったえ」
「はい、お陰様でって感じです。ご心配お掛けしました」
 ご覧いただきましたのは、私の成長を著しく感じられる一幕でした。もう郷野さんとの会話に瞬発力も想像力も必要ない。ちなみにこのツアー中体得したのはなにも私だけではなく、メンバー全員である。半端じゃないバンドだ。
 のんびり横断する小さな雲がだんだんと半分に千切れ、その一方が時間をかけて消滅する姿を眺めていた。
 今日の遅い時間、ないし翌朝には我が家か。
「しーびゃ」
「はい」
「んあ」
「なんですか?」
「やいきったえ」
 なんだかこれまでの日々がいっぺんに蘇り、感慨深い気持ちになってしまった、このシチュエーションで、不意打ちの『やり切ったね』はずるいぞ、郷野さん。グッときてしまった気持ちを悟られぬようにの「まだ今日のステージがあるじゃないですか」と、平静を装った。
 まだ帰りたくない、かも。
 こんな気持ちになるなんて想像できなかった。
「ふにゅーる」
「フルーニュね」
「のむ?」
「いらないです」
「のむ?」
「いらない」
 楽しかったのだ。

 ツアーの最終日ったって、この時の我々に単独公演が打てるわけもなく。もらったのは三十分間だ。そして、この三十分で特筆すべき変化はない。劇的に歌が上手になったり、バンドとしてのグルーヴが確立されたりなんてしない。しかし、大きな変化は、こんな日々の積み重ねの上にしか訪れないと、私は考える。自分が天才ではないという自覚がある人ならば、押し並べて誰にでも当てはまるのではないだろうか、と私は考えるのだ。


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 久しぶりに聞く自宅の目覚まし時計の音。感慨深くはならない、朝にそんな余裕ない。
 眠たい目をこすり昼過ぎに事務所。
 昨日終わったばかりのツアーが誘う欠伸をそっと噛み殺し、ソファに腰を下ろした。やり切ったと言うことに対しての達成感と、それに反してまだまだ訪れない充足感に、これがバンドってやつかアと、生意気なことを思いながらソファの背もたれに身体を預ける。

「おあよ」

 目の前に現れたキャラクターのような謎の男に驚いて身体起こしたが、よくよく見なくても郷野さんであった。我々は「おはようございます」と挨拶を返した。
 郷野さんは首を回すと、腰の辺りをボリボリと掻き、ずり落ちてきたメガネを直しながら部屋の隅にあるホワイトボードに向かってヨタヨタ歩いて行った。ペンを手に取ると、一心不乱に何かを書き始めた。芸術が爆発したのかと、少しだけ心配になり声を掛けた。
「郷野さん、なに書いてるんですか」
「むん」
 あ、話しかけちゃ駄目だったみたいだ。我々は、ホワイトボードに書き込まれてゆく、おそらく日付であろう数字と、ずり落ち過ぎたジーンズからほぼ全部が見えちゃってる郷野さんのお尻を眺めながら大人しく待った。  全てを書き終えたようなので、私はもう一度同じ質問をした。すると郷野さんは、なんでそんなことを訊くのか全く解せない様子で首を傾げた。
「つぁーすけゆーる」
 数字の横に書き込まれているのは、どうやら会場名のようだ。字が綺麗ではないので確信は持てないが、郷野さんがツアースケジュールと言っているのだから、間違いではないだろう。
「誰のですか」
 郷野さんは眉と眉の間隔を狭めた。我々のツアーは昨日で終わっているので、あながち見当外れの質問ではなかったはずだ。昨日まで回っていたツアーのおおよそ倍の日数が書き込まれたホワイトボードと郷野さんの顔を交互に見ながら、私も眉と眉の間隔を狭めてみた。
 郷野さんはペンの先を我々に向けた。「んあ」
 私は向けられたペン先を眺めた。「は?」
「きみあち」
「いやいや、君たちって」
 このツアーを回ってみてわかったのだが、郷野さんの冗談はあまり面白くない。要点を押さえられていなかったり、共有し切れていない情報をもとに発信されることが多いので、冗談の土壌が弱めであることが殆どなのだ。
「あっあっあっあっあ」
「あはははは」私も子供ではないので、笑ってあげた。「で、誰の?」
 郷野さんは再び我々にペンの先を向けた。
 こんなことを言いたくはないのだが、私は引き際が下手くそな人が苦手である。概ね二、三度のラリーでお腹いっぱいになる、冗談とはそう言うものだと認識している。年下であれば面倒くさいと思った時点で相手をしなければそれでいいのだが、年上だとなかなか邪険にすることもできない。それに、改めてホワイトボードを見てみれば、直近のスケジュールは二週間後になっている。冗談じゃない。
「んあ、じょうなんじゃないかあね」
 この人、心が読めるのか。いや、今大事なところはそこではない。冗談じゃないとすれば、本当だと言うことだ。本当だと言うことは、冗談じゃないということだ。
「え、本当に?」
「んあ」
「SUPER BEAVERのツアーですか」
「あたあしいつぁー」
「は?」
「むん」
「あははは」
「あっあっあっあっあ」
「本当に?」
「よおしく」
 まじ怖い。
 こうして、本当に冗談ではなかった新しいツアーが、初ツアーの倍の本数の次のツアーが、二週間後からスタートすることになる。
 一人は嬉々としており、一人はドンと構えており、一人は元から困った顔をしており、一人は小さな悲鳴をあげた。
「だいじょんだよ、そんあしんぱしなくってエ」
「いや、大丈夫じゃないから」
「しーびゃ」
「うるせエ」
 さア、総本数六十本。それいけSUPER BEAVER。





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