第三章 〜初ライブ〜

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 他愛のない日常に、バンドという刺激的なエッセンスを一滴。それを若さという冷蔵庫で幾晩か寝かせてみますと。なぜだか元の形とさほど変わりのない毎日の出来上がり。  慣れはいつ何時でも油断した自覚なんてなくたっていつの間にかそこに居る。新しいものは、初めのうちは往々にしてプラスされたものとして実感できるが、時間の経過に伴って自分にすっかり染み込む。板についてきたといえば聞こえはいいが、プラスとして凸に感じていたものが、均されるということでもあるのだ。在り方は同じでも、自覚一つで見え方感じ方は随分と変わってくるので、周りに在るものをその都度見直すというのは大切なことだと私は思う。
 と、そんなことを考えもしなかった私は、たかだか5回目スタジオに入ったくらいでバンドというものに慣れた気になり鼻をほじっていた。
「ライブをしてみましょう」
 柳沢が言った。いやはや、その通りだ。バンドはオンステージするのが通説である。ステージに上がったことのない我々を、バンドと呼ぶにはまだ早かったのかもしれない。
「友達にね、誘われたんです。企画するライブがあるんだけど出てみない? って」
 自由が丘の、今はもうなくなってしまったスタジオの談話スペース。一抹の不安や、緊張も感じたが、人に観てもらってなんぼの稼業だ。やってみたいと思った。
 とりあえずおそらく実は年上であろう藤原さんの反応を伺うと小さく首を縦に振っていた。上杉にも異存はないようだ。
「やってみましょ」
 私も答えて満場一致。初ライブが決定した。
 順序が逆のような気がしないでもないが、柳沢に詳細を仰いだ。どうやら正確には柳沢の友達の友達、すなわち他人が企画しているイベントらしく、他にも学生のバンドが幾つか出るらしい。場所は池袋のなかなか大きなキャパシティのライブハウスだそうだ。初陣なのだからこぢんまりしているよりはよっぽど良い。俄然やる気が湧いてきた。
 漲る気持ちに大きく伸びをしてたまたま目に入った壁に張り出されたフライヤー。幾つも記載されているバンド名のその横に〈SUPER BEAVER〉が並ぶ。それはどんな気持ちだろう。人気者になって、メジャーデビューします! なんて日が来たりして。
 全然始まっていないなりに、とっくに始まっていたのだろう。不透明な未来に、不透明な未来だからこそ自由に描ける日々があった。想像を想像で終わらせることも、何か形にすることもできる。しかしそう考えるといつだってそんな日々だ。バンドを15年続けて尚思う。未来が不透明な限り、人は無敵だ。


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 初陣当日の渋谷駅。相変わらず人が多い。携帯電話と財布と文庫本、それらに加え、晴れがましい気持ちと高揚感。それに加えて少しの不安まで持参してきたので、私の鞄はぱんぱんだった。
 一端の芸人を気取ってこの日に臨む。顔つきも多分それっぽい。家が新宿なので、そこから直接池袋に向かった方が俄然楽チンなのだが、初陣の地に一人で乗り込む度量はまだなかったので渋谷駅で待ち合わせた。
 昼間という時間帯もあり、我々が乗車した先頭車両の座席には幾つも空席が見えた。楽器を携えた少年たちは珍しいものでもなんでもないが、いざ当事者になってみるとなんだか少し特別な存在になった様に感じた。今まで生きてきた中で感じたことのない感覚が身体の中で小さく振動している。今は人のまばらな車内だが、数時間後にはライブハウスでオンステージしているのだ。
 初めましての感覚にヂーンとしていると、電車の揺れに任せてふらつく柳沢が目に入った。実は待ち合わせの時分からどうにも様子がおかしいと思っていたのだが、座れる席があるにも拘らず、吊革を必要以上に強く握りしめ胡乱に視線を泳がせるその異常さは、あからさまだった。振動一つで爆発する危険物や、過度な知覚過敏の永久歯を思い出した。
「ねエ」私は声を掛けた。「どうしたの」
「あははは」
 柳沢は笑って誤魔化せないタイプの人なんだなと知った。数十秒後に停車した新大久保の駅でいきなり逃走を図ろうとした為、三人で取り押さえ車内に引き戻すと、柳沢はモゴモゴ話し始めた。
「あのね、俺も知らなかったんだけど」
 経験上この切り出し方をする人間は、不測の事態に自分も被害者側に回り込むためにこの言葉を使う。うららかな日差し差し込む車内に緊張が走る。
「あの、今日ね」
 いちいち空けた間に幾つもの言い訳を生み出しているに違いない。もうこうなってくるとただただ怖い。良い話ではないことは最早わかっているので、せめて笑って済ませられるようなレベルのものであってくれと願うばかり。やがて陽光がビルヂングに遮られてできた大きな影に、山手線が頭から飲み込まれたその時、暗闇で柳沢は囁いた。
「追悼ライブらしい」
 なぜだか私の耳には追悼ライブと聞こえた。しかし、よく考えずとも彼が本当にそう言った可能性は極めて低いと私は思った。何故なら追悼ライブだからだ。それは故人を偲ぶ気持ちのもとに行われるものであるからして、まず私が、「誰の?」って思ってしまっている時点で筋が通らない。おそらくこの日の為にスタジオにたくさん入っていたから、耳が参ってしまっているのだろう。聞き違えてしまったのだ
「追悼ライブらしいです」
 柳沢は丁寧すぎるくらいに丁寧に言ったので、今度は聞き違えられなかった。だとすれば冗談で言っているのだろうか。面白くない。ただつまらんと一蹴してしまうのはどうにも気が引けたので、私は訊いてみた。
「えーと、追悼とは、追悼よね? 追悼の追に、追悼の悼ね?」
 変な訊き方になってしまった。真偽のほどが定かではなく私は混乱していた。混乱の混に、混乱の乱。
「そうです」柳沢は答えた。
「誰かが亡くなったってこと?」
 上杉の質問に柳沢が頷く。勢いに任せて質問した。
「それは、一体どなたなの?」
「知らない人」
 三人が絶句した。絶句の時間に耐えられなくなった柳沢が場を取り繕う為に無理矢理に笑った。
「きひゃひゃひゃひゃ」
 柳沢は笑って誤魔化せないタイプの人だったのを思い出した。
 記念すべき初めてのライブが、知らない人の追悼ライブ。これから始まる未曾有の惨事の幕は静かに上がった。
 暗闇から吐き出された山手線の車内、うららかな日差しが逆に不気味だった。
「きひゃひゃひゃひゃ」
 向かいの席でサラリーマンが欠伸を漏らす。


          3


 着いてくれるなと願ってはみたが、ものの10分足らずで池袋に順当に到着。
 こんな短時間で気持ちの整理などつくわけもない。しかしやると決めてしまったからには腹を括らなければならないと思った。改札を出る時、藤原さんの呼吸が浅いのが心配だったが、そこまでの義理はないと思い、背中を摩ってやったりはしなかった。
 ただでさえ慣れない池袋の街を気持ちを散らかしたままに歩いていると、どうにもいい具合にやけくそになってきてほんの少しだけ落ち着けた。自らの心情により、見慣れた街並みに不意に違う顔を見つけてしまった時の方が余程動揺していただろう。初めて池袋という街に感謝したのと同時に、池袋のことをこっそり埼玉と呼んでいたことを心の中で謝罪した。
 この辺りかしらと見回してみるとライブハウスの看板を発見。独特の、カビ臭い階段を我々は一列になって降りてゆく。やがて現れた重たそうな扉を緊張しながら押し開けると、まずはバースペースが広がっていた。開け放った扉の先には煌びやかなフロアとステージを期待していたので、どこか拍子抜けした。隣で柳沢が言った。
「おはようございます」
 あアあ、昼間だっていうのに。山手線から逃走を図ろうとした時から瞳孔の開き具合が心配だったし、付随して彼の時間の感覚までイカれてしまったことに対して私は、可哀想に、くらいしか思わなかった。しかし後に知ることになるのだが、ライブハウスでの挨拶は「おはようございます」で間違っていないらしい。それを知った時は、変なの、って思った。今になっても正直、変なの、って思っている。
 バーカウンターの対面に、入り口の倍の重さがありそうな重厚な扉を見つけた。おそらくその先がフロアとステージになっているに違いない。ベタつく床に靴底をとられながら進み、扉に付いた頑丈そうなレバーに手をかける。不安な気持ちを押し殺し、いざ、と開け放った。
 まずは挨拶を嚥下した。非常識だということくらい弁えている。しかし、小声での挨拶すら憚ってしまう空気は誰でも一度は経験したことはあるだろう。今じゃない、って、あれ。そう、それだった。
 ここが追悼ライブの会場でないとしたらなんなんだ、と小学校に入学する前の子供でさえも思ったはずだ。それくらいにもろ追悼ライブの雰囲気だった。フロアにいる数人が押し並べて下を向き、きっかけ一つで誰かが泣き出してしまいそうなギリギリの雰囲気の中、ステージでは無言の転換作業が行われていた。
 その様子に完全に当てられて茫然自失の我々に、幾人かが寄越してくれた悲しい笑顔らしきものが、腹を括ったつもりでいた四人の心の芯を、修復の難しいところまで粉々にしたのは言うまでもない。


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「あのウ、この度はご出演いただき誠に……」
 粉の心になった我々に主催者だという方が挨拶をしに来てくれた。しかし、我々は一体どんな顔をしてそれを聞いたら良いのか、全くわからずにいた。
「故人はかねてより……」
 割と長めに続く挨拶に、妙な汗が出てきた。悪い事をしているわけではない。しかしこれが良い事なのかと問われたら素直に頷けない。今日という日をお膳立てした柳沢は一体どんな様子でこの挨拶を聞いているのだろうと思い視線をやると、重圧に耐えかねた身長が60cmくらいになっていた。
「……楽しんでいってくださいね」
 ようやく終わった。頭を下げて、主催者の背中を見送ると一気に身体の力が抜けてその場にしゃがみ込んでしまった。今考えてもなかなかにハードな時間だったと思う。きちんと気持ちを伝えようとしてくださっていることはわかるのだが、それ以外の全てがわからないというのは地獄である。故人に対する想い、故人とのエピソード、故人と縁のあるなんかハンカチみたいなやつ。聞かされ、そして見せられても何一つとしてピンとこない。そりゃそうだろう、我々は故人を知らないのだ。
 人生初めてのリハーサルをくさくさした気持ちのまま終えて、我々は唯一少しだけ空いていた楽屋の隅に落ち着いた。

 既にリハーサルを終えた他の出演者たちが楽屋でそれぞれに話をしていた。至極真っ当に彼らは我々を「誰だろう」と思っていたのだろうし、不本意ながら我々は彼らを「誰だろう」と思っていた。
 有り余る程の不安と両膝を抱え、ロッキングチェアに揺られるように前後に動くピンク色の頭の男に話しかけづらかったのかもしれないが、彼らと我々の距離は最後まで互いに「誰だろう」のまま縮まらなかった。
 楽屋の扉が少し空いてスタッフの方が顔を覗かせた。
「オンタイムでスタートします」
 その声にハッとして壁にかけられた時計を見上げると、本番まで5分を切っていた。
 この日我々の出番は初陣に相応しくトップバッター。どこの馬の骨かもわからないバンドをよくもまア一番目に置いたなアとその時になって思ったのだが、どこにおいても馬の骨は馬の骨に変わりがないので、そもそも場違いじゃね? という根本に落ち着いてまた少し落ちる。
 さて、ヒットで送るランナーも居なければ、スクイズでホームに帰すランナーも居ない。犠牲フライも、押し出しもない状況で、点を取りたくばホームランの一択。場違いは百も承知の上で、初めてのオンステージを華々しく飾りたいと思った。その純粋な気持ちに、バチは当たるまい。
 覚悟を決めて立ち上がる。この日の為にたくさんスタジオに入ったのだ。時にマイクの音の出し方すらわからず理不尽に怒り、時に何度も年齢確認をして藤原さんを涙させ、時にあみちゃんに会いに行っちゃってスタジオに遅刻した日々が次々とフラッシュバックした。ろくでもねエな、と思っているとあっという間にBGMが落ち始めた。
 暗くなったステージ袖、メンバーそれぞれと握手を交わす。表情こそ読み取れなかったが、この時もメンバーは今現在と同じく、良い顔をしてたと思う。
 いざ。
 踏み出す第一歩、SUPER BEAVERとしての第一歩。
 眩い照明の中に一歩踏み出した途端、まずは馬鹿でかい拍手に気圧された。初めてのステージだっていうのにこの熱量は、一体。我々に投げ掛けられたのは肌を震わすような割れんばかりの声援で、身を乗り出して待ち構えるフロアが私の目に飛び込んできた。
「嘘だろ」
 思わず馬鹿みたいな言葉を漏らした。立ち尽くす私の肩を誰かが軽く叩いた。振り向くと上杉が軽く笑って、フロントに置かれているマイクを指差した。スポットライトの中央、スタンドに収まったマイクは鈍く光ってボーカルを待っていた。そうだ、私はオンステージしたのだ。小さく息を吐いて気持ちを整えると、ピリッとした緊張感を取り戻した。それぞれが自分のタイミングで、ドラムの前に集合する。顔を見合わせ、呼吸を合わせる。水を打ったような一瞬の静寂に張り詰める空気。深く息を吸い込んで、今、一斉に。
 なんてあり得ない。まず起こり得ない。様々な世界で描かれているバンドというものは、その殆どが偶像で、現実世界にそのまま置き換えられるような奇跡的な事例は聞いた試しがない。お察しの通り、わざわざ改行した『いざ。』から先は、その類の奇跡が起きたら良いなアという私の拙い願望であり、昔も今もこの先も私が住んでいるのは現実の世界、そうは問屋が卸さない。
 まず初めに、我々を待ち受けていたのは一周回って心地よく感じるほどの静寂であった。フロアにはおそらく15人くらいだろうか、こうなってくるとなかなか大きなキャパシティというのが恨めしい。
「嘘だろ」
 思わず馬鹿みたいに漏らした言葉は、思ったより大きくフロアにまで響いた。立ち尽くす私の肩を誰かが軽く叩いた。振り向くと上杉が余裕のないそぶりでフロントに置かれているマイクを指差している。慌ててマイクを掴むとヒィーンという甲高い音が鳴った。祝、渋谷龍太生まれて初めてのハウリング。それぞれがあたふたとドラムの前に集合する。つかつかとステージを歩く我々の足音だけが響いていた。暗くてメンバーの顔がよく見えない。不意にドラムカウントが響く。え、今? となんの呼吸も合わぬまま、なし崩し的にだらだらと演奏が始まった。
 追悼ライブの名に恥じぬ肅々とした空気の中、始まった初ライブ。妙な汗が背中を伝ってゆく。縋るようにメンバーを見る。
 上杉は必死過ぎて指板しか見ていない。
 柳沢は60cmの身体のまま自分より大きなギターを必死で鳴らしている。
 藤原さんはおじさん。
 動揺し切っている間に絶望的クオリティで一曲目終了。もうこの時点で、殆どの体力と精神力を使い切っていた。足の震えが止まらない。とりあえずフロアに向けて挨拶をしなければと思い、マイクを口に当てた。
「えエと、聞こえますか」
 聞こえているに決まっている。人は窮地に立たされていることを自覚してしまうと、この様に当たり障りのないことから始めようとする。もちろんフロアからの反応は皆無。
「あの、SUPER BEAVERと言います」
 ボディにゆっくりめり込むような暴力的な静寂の中で、私は必死に次の言葉を探した。
「えエ、元気ですか」
 明らかに不謹慎だ。完全に追悼ライブということが頭から抜けていた。ろくに取り繕うこともできず、意味などもちろん皆無の苦笑いをフロアに向けてしまう。
「呼んでくれて、ありがとうございます」
 拍手が一つだけ鳴った。こういった場合、他を巻き込まず単独で起きてそのまま収束する拍手は、無反応であることよりもダメージが大きい。あはは。ギリギリだ、ギリギリアウトの方のギリギリだ。あはは。
「あはは」
 やばい、本当に笑ってしまった。
 こうして気の利いたことの一つも言えずに二曲目に突入。あなたたち誰ですか、という視線に耐えながら、30分のステージをやり切ったのであった。

 帰りの山手線。我々は無言のまま帰路につく。なめくじみたいにぬるぬると這って帰った。ライブハウスと自宅までを、銀色にてらてらと光る帯で繋いだ。


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 あの日からしばらく固形物が食べられなくなったので、裏ごしした南瓜や、スープを母ちゃんに食べさせてもらいながら過ごした。
 しかし、流動食がビスコに変わった十日後。不思議なことにステージに立ったと言う実感が、私の袖口をクイクイと引っ張り出した。思い出しただけでまた流動食に戻りかねないあのステージにさえ、間違いなくロマンは存在していた。
 もしかしたら次は届くかもしれない。もしかしたら次は歓んでくれる人がそこにいるかもしれない。もしかしたら次は心からの拍手がもらえるかもしれない。もしかしたら次は、もしかしたら。
 お皿のビスコをあっという間に平げ、母ちゃんに肉を焼いてくれませんか、と要求する。
 いつでもやめられたし、投げ出すことだってできた。これは正直今だってそうだし、誰だってそうだ。しかし、それが辛かったり、耐え難くなってきたとして、直接的間接的に拘らずそれを凌駕するほどの希望や野心や展望があるのかないのかは、この先続けていくか否かを判断する大きな指針になっている気がする。
 それでも、と思えるのか、思えないのか。
 そして至極単純に、好きか、嫌いか。
 久しぶりに立ち上がったら膝が痛かった。母ちゃんにはもう買い物してきちゃったから肉は無理だと言われた。それでも今日はいい日だった。
 望みなんて基本的に一縷だ。しかし一縷ではあるが存在する。目を凝らせば、手を伸ばせば、掴める。ん、場合もある。
 私は、それでも、好きだった。それだけだ。





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