「都会のラクダ」
渋谷 龍太 


第一章 〜結成〜

          1

 それは晴れていたような気もするし、曇っていたような気もする。雨だったのではないかと問われれば、そうだったかもしれないと答えるだろう。
 朝食時にごはんをよそったお茶碗が真ん中からパカッと割れることもなければ、玄関で足を突っ込んだ途端スニーカーの靴ひもがブツッと切れるといったような虫の知らせじみたこともなかった。
 即ち、いつもの、なんでもない一日だったと、そう記憶している。
 何もないことが退屈であり、何もないことが平和だった、いつもの毎日の、その中の一日。

 余裕を持って家を出た私は別段急ぐわけでもなく、山手線と東横線を乗り継ぎ、何故か少し遅れて学校に到着。我が家の寝心地抜群の布団から引きずるように持参した眠気に身を任せながら一限目と二限目を過ごし、ようやく覚醒し始めた三限目から身を投じた、机の下の文庫本の世界を一度も途切れさせることなく昼休みを迎えていた。
 高校に入学してほどなく爆発的に芽生えた自我が際限なく猛スピードでぐんぐん成長を続けた結果、私の頭髪はピンク色だった。空けられるだけ空けてみようと計画半ばに頓挫していた安全ピンだらけの私の両の耳には、お気に入りのごついヘッドフォンが被せられている。活字と向き合うための無音装着。五限目を目前にして、帰り道どっかで道草でもくってこうかなアなんて思考だけが読書の邪魔をしていたり、していなかったり。
 あア静かである。愛しのヘッドフォンが搭載していたのはノイズキャンセリングという、当時最先端の機能。その恩恵を被りまして過ごす凪状態の昼休みに「バンドやるんだけど、ちょっと歌ってみない?」と突然声を掛けてきたのが、同じクラスの上杉研太、彼であった。
 装着した人にとって有益な情報は、それ即ちノイズではないわけであるからして、この後バンドマンとして歩んでいくことになる私にとってそれはキャンセルされてしまっては困るものである。持ち主の未来に寄り添えないようでは、ハイテクと唱ったあの機能も、今思えば大したことなかったのだ。
「あの、なんて?」私は言った。
「バンドやるんだけど、ちょっと歌ってみない?」
 バンドヤルンダケドチョットウタッテミナイ、と反芻しながら私は考えた。はて、カタカナにしたところでますます概要が読めない。上杉は既に校内でバンドを組んでいるのを私は知っていたし、そもそも私は人前で歌ったことなどなかったからである。
「上杉、チョップスティックス組んでんじゃん」
 そうなんだけどね、と言う上杉。どうやら今時の軽音部のトレンドは掛け持ちをすることらしく、みんなそれぞれに別のバンドを組みはじめているんだとか。なんだい、私アお妾さんになるのかしら。私に愛人体質があることを知ってか知らずか(私も知らない)、上杉は声を掛けてきたようだ。
「側室、か」
「何?」
「なんでもない」
 私は小さな頃から音楽が好きだった。幼い頃から家ではディープパープルや、レッドツェッペリン、ブラックサバスが流れていて、たいていの曲のギターソロは鼻歌で再現出来た。音楽に雷的な衝撃を初めて受けたのはロックンロールではなく、オフコースの絹の様な歌で、なんだこの優しい歌! と電撃が走った小学校三年生の龍太少年には、その後も中学、そして高校と素敵な音楽との出会いが幾度となく訪ずれることになる。
 しかし、音楽はあくまで聴くもの、観に行くものであって、やりたいなんて露ほどにも思ったことはなかった。
「どう?」
 そう訊く目の前の上杉は、実は同じクラスというだけで、普段一緒に遊んだり、テスト勉強したりするような仲ではなかった。朝挨拶したり、休み時間にちょっと喋ったり、帰るタイミングがたまたま合えばなんとなく一緒に帰ったりする程度の間柄であったから、何故私なのか、どうにも解せなかったのも、即答できない理由であった。
 そしてもう一つ。私はハンドボール部のキャプテンであった。自らの部のために日々考え、自らの部のために運動以外でも汗を流し、自らの部のために人生を賭すのがキャプテンという存在。そのキャプテンが兼部なんて。そしてキャプテンの兼部先がチャラチャラしたあの軽音部だなんて。さらに簡潔だろうと思ってさっきから軽音部って表記してたけど正式にはフォークソング部だなんて。言語道断。そんな気持ちが少なからずあったのだ。
「んん」
 返事に窮する私であったが、愛人体質なので口説き文句によってはコロッといかないでもない。例えば、「お前のスター性に惚れたんだ」や、「お前のかっこよさには実は毎日驚いていたんだ」そして、「お前のこと昨日までキムタクだと思ってたんだ」など。
 ほれ言ってみさらせ、と賛美を待つ私に、返事を待つ上杉。不毛に流れる二人の待ちの時間は、昼休みの教室で異彩を放っていた。
「どう? やる?」
 散々っぱら待って出た言葉が催促であったので、私の気落ちはなかなかのものであったがしかし、これ以上悩んだり、もじもじしたりするよりも、会話のテンポを鑑みるにyesと答えた方が良いリズムであった。
 文庫本にスピンを噛ませ、「じゃア、やる」となんとなく答えたこれが始まり。まさかここから現在に至るまで15年も続くバンドになろうとは当事者ですら思っていないのだから誰も思わなかっただろう。

 あっけなくもあり、至極単純、必要以上にドラマを孕んでいないそんな物事から、大切なものはいつも始まっていた気がする。
 大小様々な形で実っては、やがて朽ちてゆくそれを、青いうちに収穫するか、赤くなって摘むか、茶に朽ちるまで放っておくか。その一つが人生において大きな意味を成す可能性ほぼ皆無だが、ほぼ、であることにロマンの糊代はある。
 とりあえず、青過ぎてゴリゴリしてて、甘さを微塵も感じられないようなそんなものにとりあえず手を伸ばした先で、バンドマンとしての私が生きている。
 いつもの毎日の、その中の一日に、昼休みの終わりを告げるチャイムがいつも通り鳴った。


          2

 軽率な返事をした翌日に、冷静になった私は詳細を仰いだ。二十四時間後の昼休みのこと。
 上杉曰く、バンド名すら決まっていないそのプロジェクトは、私が加わることでメンバーがようやく揃ったところ。オンユアマークがコールされたあたりか。
 なんでも、ギターを担当するのは一つ下の後輩くんらしい。同い年でもギターを弾ける奴はごまんといるのに、何故わざわざ後輩くんなのだと訊ねれば、なにやら軽音部、あ、間違えた、フォークソング部の中でも群を抜いてうまいという。自分で作曲したりしてすげエんだ、とのこと。生返事をする私に、今日の放課後紹介するよ、と上杉。放課後までの時間は文庫本の世界で有意義に過ごすことにして、放課後を待った。勤勉な学徒の鏡だ、サインより宮本輝、コサインより浅田次郎、タンジェントより花村萬月なのだから。点pの動きを追ってられる程、私に暇はなかった。

「こんにちは」
「はい、こんにちは」
 あア、言われりゃ、見たことあるような。
「柳沢亮太といいます、よろしくお願いします」
 各々が、それぞれの放課後へ向かう波を避けるように、我々は廊下の隅。厳かに、初めましての儀が執り行われてた。
 上杉の横に立つのがギターを担当する、この柳沢某。しかし私の注意は、隣のクラスから、あみちゃんがまだ出てきていないということに向けられていた。
 本日は水曜日。女子バレー部の練習がある日だ。いつも真面目なあみちゃんは定時少し前にこの廊下を通って体育館へ向かうはずだ。「練習頑張ってね」の一言を掛けなければ今日私が学校に来た意味はない。ギターがうまかろうがなんだろうが、こんな若輩に割いている時間は、正直勿体ないと思っていた。決戦は水曜日なのだ。
 あみちゃんが教室から出てきたらまず、私という存在を認識させて、それから体育館へ急ぐ彼女が目の前を通るその刹那、ごく自然に、右足の次に左足が出るように、「練習頑張ってね」と肩の力を抜いて言いたいのだ。落ち着いた声色で。
「渋谷先輩はどんな音楽が好きなんですか?」
「うん、そうだね」
「渋谷先輩はバンド組んだりしてたことがあるんですか?」
「ヘエ、そうなんだ」
 あんまり話し掛けないでくれ、注意力が散漫になる。少し動揺してしまったその時、柳沢某の背後にあみちゃんの姿を発見。いつの間に。それに今日のあみちゃんは何故か駆け足であった。何に急いでいるのか知る由はないが、間も無く訪れる一瞬のチャンスを、私は棒に振るわけにはいかない。
「早速、音合わせてみますか」
「うん」
 とりあえず返事はしてあげたが、柳沢というこの男、人の機微を読み取る力が著しく欠如しているようだ。この手の人間は社会に出たときに思わぬ苦労をするタイプだ。
「渋谷先輩、何曜日が空いてますか」
「うん」
「渋谷先輩」
「うん」
「どうしたんすか?」
「うるせエ馬鹿野郎」
 遂に私のピストルが火を吹いたその刹那、チャンスの女神は短い後ろ髪を涼しげに揺らして通り過ぎて行った。
 遠ざかるあみちゃんの背中が小さくなって、やがて消えた。マッチの火がゆっくり消え入るのに似ていた。
 罵声を浴びせられてその場で立ち竦む柳沢と、それをフォローしてあげている上杉。どうして私が突然激昂したのか、どうして私が左足ばかりに重心を置いて気怠そうなポーズで格好つけていたのか、どうして決戦が金曜日でないのか。目の前の二人には到底わかるまいが、勘の良い方ならもしかしたら薄々気が付きはじめているかもしれない。実は、当時あみちゃんのことが少し気が多い私なりに好きであった。一応記述しておく。
「これからバンドメンバーになるわけだから、先輩後輩っていうの、気にしないでいいよ」柳沢を睨む私を無視して、上杉が言った。
 人の恋路を邪魔するような馬鹿者に易々と先輩後輩の垣根を越えられてたまるか、という思いこそあったが、チマチマしたところばかりを気にしていると器の大きさがバレてしまうと思ったので、何も言わないでおいた。
 恭しく謙遜した柳沢は、「そんな、いきなりは無理っすよ」と、大袈裟に謙遜した。
 そりゃそうだろう。千載一遇の人の機会を奪っておいて尚、なんの遠慮もせずにパーソナルスペースに入ってくるような奴は、人と呼ぶことすら難しい。
「じゃア、ぶーやんで」
 二度目の上杉の気遣いで、柳沢は私を指して平然と言った。謙遜は三度目くらいで申し訳なさそうに小声で渋々折れるという定説を平気でぶっ壊した柳沢のことを、人と呼ぶことが難しくなった決定的瞬間である。ちなみにここで彼が言い放った〈ぶーやん〉というあだ名をここから15年にわたり背負っていくことになると知っていたならば、私はもっと、こう、なんていうか、他のやつを、こう、ほら、なんというか。
 この日はここでお開き。
 当時私の襟足は短かったが、あみちゃんが汗を流しているであろう体育館の側を通る時ちゃんと後ろ髪を引かれるくらいには長かった。チャンスの女神の後ろ髪より数センチばかり僅かに長い。不貞腐れながら帰路に就く。
 新宿で寄り道したディスクユニオンパンクマーケット。友達に教えてもらったSEVEN TEENのLPを購入して自らの機嫌を取る。


          3


 どうしても両目をつむってしまう。
 お、うまくいったかもしれない。
 希望を携え覗いた鏡の中に、顔の左半分を大いに散らかした自分と、その後ろで心配そうに様子を伺う母ちゃんが見えた。決まりが悪くなり逃げるように家を飛び出す。今後ウインクの練習を家でするのは控えることにしよう。
 さて、テストが近い。放課後に仲の良いのが集まって、勉強とは名ばかりにワイワイする毎日が続いていた。これ以上に甘酸っぱい時間がこの先やってくることがないと知っていれば、もっときちんと謳歌していたであろう、あの時間。嗚呼、青春の日々よ。
 ただし青春とは輝きを濫用することに意義があり、何も知らないが故のスピード感に身を委ねてこそ真価を発揮するものである、と。誰が言ったか言わなかったか。まア言わなかったのだがそれは置いておいて。その勉強した気になっていた毎日の中に私もあみちゃんもいたわけである。
 しぶやア消しゴム貸して? ってあみちゃんに首を傾げられただけでデレデレしてしまう現状を打破すべく、集団での生産性のない時間から抜け出して、通学路にあるパン屋さんの二階で二人っきりで勉強したいと本日は考えていた。
 授業の時間はしっかり読書に費やして、ただ放課後を待つ。

 六限目の終了を告げるチャイムが鳴ると同時にゆっくり立ち上がった私に、仲の良いのが声を掛けてくる。そいつらの胸に広辞苑を押しつけて、「デリカシーという言葉を引いておけ」と一蹴。テストには出ないが、後の人生の加点になる事必至。教室を出る。
 隣の教室の扉を勢いよく開けると脇目も振らずに歩みを進めた。途中で声を掛けてくる奴らに先程と同じ要領で広辞苑を次々に押しつけ、窓際の席まで到着。教科書を鞄にしまっていたあみちゃんが、目の前に立ちはだかる私を見上げる。
「一緒に勉強しようぜ」
 一本集中、そこで気合を込めたウインクを炸裂させた。もう片方の目も薄らつむってしまったかもしれないが顔面は散らからなかったはずだ。練習や努力が裏切らないと言い切ることは難しいがしかし、遂行すると決め込んだ男にとってこの時これ以上の後ろ盾はなかった。彼女の心の真ん中を深く抉った手応えはあったがリスクヘッジは必要だ、ダメ押しでもう一髪炸裂させておいた。顎を一直線に打ち抜き、腰から崩れ落ちた相手にすぐさま覆いかぶさり、追撃の鉄槌をお見舞いするエメリヤーエンコヒョードルの心持ちだった。
「しぶや」上目遣いで可愛さ三割増の彼女が私に言った。
「何?」
「目痛いの?」
 びっくりした。完璧な一打だと確信して尚、追撃までした相手が何事もなかったかのようにそこにいて、そして思ってもみなかった言葉を私に浴びせかけた。今しがたお見舞いしたウインクが失敗だったとは思えない。それなのに彼女は平然としていて、それどころか追撃までしてきた相手の身体を気に掛けている。十数年生きてきた中で初めて覚えた絶望は、対極のニュートラルコーナーでこちらを睨むロッキーに怯えながら「奴は人間じゃない、まるで鉄だ」と洩らしたドラゴの心持ち。驚愕の状況に笑っているのは私の膝だけであった。
 膝大爆笑で二の句が継げない私を見て、あみちゃんは教科書をしまい終えたカバンをやおら開け、ゴソゴソと何かを取り出すと私に差し出した。
「はい」目薬だった。「目、痛いんでしょ?」
 たがが外れる音がした。「あ、痛い、いたたたた、あ痛アーーーーーーー」
 見得を切った後に大声を出した私は、小学生が見ても芝居とわかるくらい大袈裟に倒れ込んだ。あとは野となれ山となれ、という心情、近松門左衛門先生はこの言葉を生み出すにあたり、それまでどんな人生を送っていらしたんでしょうか。そんなことを思いながら床を転がった。
 結果、あみちゃんが真に受けたのをいいことに茶番を続け、優しさにつけ込んで目薬まで注してもらい、その惰性でパン屋に彼女を連れ込み、勢いで勉強した。見事な着地、綺麗なテレマークは余裕のK点越え。
 彼女が優しかったのか、それとも馬鹿だったのか、それは今でもわからない。

 あ、全然関係ない話をしてしまった。
 で、ドラムの話でもしよう。
「良いドラム叩く奴、知ってますよ」
 何そのセリフ。一周回ってダサい。柳沢が格好つけながら言ったその数日後、私は柳沢を介して彼と出会うことになる。

「やなぎの幼馴染です」
「……」
「十七歳です」
「……」
「藤原広明と言います」
「……」
「よろしくお願いします」
「……」
 悪い冗談もここまでくると怒りを通り越してフルフラット。柳沢の連れてきた下がり眉毛の男は朗々と我々に挨拶をした。
 冗談というものは一種のリアリティがあってこそ成り立つものであり、リアルとの間に生まれる若干の差異に笑いが生まれる、そういうもんだ。だからこんなおじさんを連れてきたところで何にも面白くない。
 とりあえずこの男にはお引き取り願おう。柳沢の冗談に付き合わされて尚且つ、訳もわからずすべらされているのだから見るに耐えない。ヒゲまで生えている。
「帰っていただけますか?」
 私がそういうと、男の八の字眉毛が更に下がった。柳沢が間を取り持ち、とりあえずスタジオに向かう。 
 到着すると自称藤原という男は、十七歳という設定を完全無視して職人の背中でセッティングを始めた。
「幼馴染なんですよ、こいつ」
 柳沢が聞かれてもいないのに言った。まだ続けるのかと思いうんざりしていると、セッティングをしながら藤原と言う男が私に話しかけてきた。
「渋谷先輩はどんな音楽聴くんですか」
「その先輩っていうのやめてもらえますか」
「いや、先輩なんで、つい」
「そういうの、今いらないですから」私は大袈裟にため息を吐いた。
「あの、でも」
「面白くないんで。早くしてください」
 八の字眉毛の末尾がまた下がった。八を通り越して11みたいだった。
 セッティングを終えドラムを叩くと、とっても上手だった。
「幼馴染なんですよ、こいつ」
 聞かれてもいないのに、柳沢はまた言った。
「はいはい」
 私はとりあえず応えた。この先、何年も共にすることになる四人が揃う。





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