BLUE MOON PRODUCTIONS
TEXT by Q'HEY

日本と同じアジアの島国である台湾は、その歴史的な流れから見ても一種独特の雰囲気を持った場所である。
中国のようで中国でなく、ほとんどの人が英語を話せるところから英語圏の文化が入っているようにも見えてそうでもない。香港にもそういったところがあるが、台湾の方がより土着的な感じがする。
街並はさして特別なことはなく、夜のネオンは目立ちはするものの、全体的な雰囲気は新宿の少しはずれあたりに位置する街のようである。

この都市にテクノ・ミュージックが入ってきたのはそんなに遠い昔の話ではない。
5年ほど前、ヒッピーのように世界中を巡り歩いていた男Benjamin Huangがヨーロッパのクラブ・カルチャーに感化され、それを持ち帰り小さなクラブの運営を始めたところから始まった。
さらに3年前に彼と意気投合した男David Chengがそれを援助し、極々小さいながらも質の高いパーティーを続けてきた。

ボクが彼等と巡り会ったのは1995年の暮れのこと。Davidと彼の奥さんが日本にバカンスに来ていた時に、友人から紹介されて共にリキッド・ルームのパーティーに遊びにいったのが始まりだった。
ボク達はすぐに意気投合して、その後頻繁に会ったり連絡を取り合ったりしていた。
彼等はよく日本にやってきてはパーティーを楽しんでいった。8月のRAINBOW2000にも訪れている。
そういった時のボクらの会話はいつも同じ内容に満たされていた。

「いつか台北で大きなパーティーをやりたいね。」

彼等から聞いていた台北の状況は決して恵まれた状態ではなかった。
小さなクラブはいくつか存在するものの、そこでプレイされているのはコマーシャルなハウスがメインで、良質なテクノをプレイしているハコは極めて少ない。
ビッグ・パーティーをやるにはハコがなく、可能性があるのは野外RAVEのみ。
それもやはり日本と同じように騒音による苦情と隣り合せにならざるを得ず、台北で外国人DJが参加するようなビッグ・パーティーを行うなんてことはおとぎ話にすぎないようなものだった。
そんなある日デビッドから連絡があった。
「台北にデッカいクラブができる。そこでオレたちのパーティーをやろう!リキッドルームの4倍くらいあるぞ!」
この言葉のどれを取って見ても、「そんないきなり!」としか対応できない。
大きなクラブったってそんな状態の台北でやっていけんのか?
もちろん、ボクらのパーティーったって、どれだけの台北の人たちがボクらの音楽を支持してくれるというんだ?
だってリキッドルームの4倍もあるようなハコなんでしょ?
第一その4倍ってのはホントかよ!?

さっそくボクは詳しい話をしに、そしてシーンの現状を見に、さらにそのハコを目で確かめに台北まで行ってきた。