(英国バイオ訳)
ラッキーソウルはグリニッチが生んだ最もエキサイティングなグループだ。ガーディアン紙では「メロディが印象的で圧倒される。まるでテントが像の大群に押しつぶされたよう」と評され、ラジオ1のColin Murrayには「今年のマーキュリー・ミュージック・プライズはこれで決まり」と言われ、「どこへ行くにも持ち歩くつもり。そして時々、夢じゃないってことを確かめるために覗いてみるの」と書かれたブログがあり、タクシーの運転手さえこう言う。「これ、いいね。これが音楽ってものだ」

 いったい彼らは何者だろう。どんなことをしているのだろうか。クラウトロックを復活させているヒップスターたちの上を泳いでいるのか。新たな流行を少しずつ広げているのか。実験的なフォークとかジャズメタル?エレクトロニカやトイトロニカ、パンクロック、アルト・コア、ローファイ、ミッド・コアといったもの?
 いや違う。ラッキーソウルが生み出しているのはポップ・ミュージックだ。ポップという言葉は、本来、不朽の名曲を意味している。「前にどこかで聴いたことがある」という捉えどころのないデジャヴに引き込まれる魔法の歌。ある時間帯や場所の記憶を盗み出す能力があり、ほろ苦い気持ちにさせる音。それらは無気力な人々のためのサウンドトラックだ。あるいは14時36分ストックポート初ユーストン行きの電車の窓から、さようならと手を振る人々を慰めるものであり、あるいは話したこともない女性に近づいて電話番号を尋ねる勇気を与えてくれるものである(冷たくはねつけられても決してくよくよしないこと)。

 グリニッチを拠点に活動するラッキーソウルのフロントに立っているのが、美しい女性アリ・ハワードだ。はかなさと力強さが混在するその声は、サンディー・ショウやダスティ・スプリングフィールド、マジー・スターのホープ・サンドヴァル、ロネッツのヴェロニカ・ベネットらを彷彿とさせる。だが、ギタリスト/ソングライターのアンドリュー・レイドロウが持つ、己の芸術を固く信じる気持ちと、ダイレクトできらりと光るメロディのセンスこそが、熱狂的なファンを増やしているといっていい。レヴォネッツのスーン・ローズ・ワグナーもファンのひとりだという。

 2002年、グラスゴーにいたアンドリューは、サウンド・エンジニアリングの大学でスーパーヴァイザーとして夜勤をしていた。ひとりのとき、彼はその場所を使って、ラッキーソウルの夢想的なサウンドの中心となるものを作り出していたという。何日も夜を徹して楽曲制作をし、完ぺきに仕上げ、ときには投げ棄てていた。そしてドラマーのナサニエル・パーキンスと一緒になり(二人はもともとリヴァプールの大学近くにあったLiquidationという店で出会っていた。「その辺りでは唯一のクラブで、古いシックスティーズを聴けるところ」らしい)新たな職(家族経営のアイスクリーム店)を得て2年間の潜伏期間をスタートさせ、今日のバンドの原型となる作品をプレイしていた。
「小さな町の夢想家たちが奏でるソウルミュージック。深南部から出てきたフリはしない」と彼は言う。「美しく控えめでほろ苦い。恋愛みたいなものだ。表面的に見えても実は奥が深い。器用にやってやろうというところはない。自分が器用じゃないから」

 ラッキーソウルというバンドが形を成してきたのは、2004年も終わりを告げようというころだった。ソーホーのSpice of Lifeでアンディが中高年の間をかきわけながら目にしたアイヴァー・シムズという若手のギタリストが加入していた。ところが(ラッキーソウルにとっては結局良い方向へ転ぶのだが)当時のシンガーとベーシストが恋に落ちて子供ができ、そのままいなくなってしまう。代わりのメンバーを4ヶ月の間あちらこちらとくまなく探した結果、看護師をしていたブライトンのモッズ、トビー・フォーゲルを見つける。“探し物は目と鼻の先にある”という言葉に漏れず、彼はアンドリューの友人のボーイフレンドだった。一方、後にLondon Liteに「かつてブロンディのいた場所に立っている」と評されることになる女性、アリ・ハワードは、有名な書店の通俗心理コーナーで見出され、その後フロントウーマンとしてバンドにぴったりはまった。そして2006年の夏の終わりころ、トビーの友人であるマルコム・ヤングがキーボードとして加入し、ラインナップが完成したのである。

 2005年の夏、ラッキーソウルは精力的にライヴを行い、申し分のないパフォーマンスで評判を高めていた。オーディエンスはゾクゾクしながら彼らのプレイに聴き入り、いつしか声をそろえて一緒に歌うようになる。その後、フェスティヴァル出演のためにバンコクを訪れたときは、まるでスーパースターのような扱いを受けた。出された食事にはラッキーソウルの旗が立ててあったらしい。そして、アメリカ、日本、オーストラリア、ドイツ、スウェーデンといった国のレーベルからオファーを受け、アメリカの大手から出版契約の話もくる。だが、彼らは己のレーベルからデビュー作をリリースした。バックには農業経営者やTV界の大物がおり、バンドのメンバーたちが運営しているレーベルだ。

 彼らは2006年の夏に、ブラーやプライマル・スクリーム、バーナード・バトラーなどを手がけたプロデューサーのGeorge Shillingと共にスタジオにこもった。そして近年最も優れたインディー系ポップ・アルバムのひとつとなる作品『The Great Unwanted』を作り上げた。
 ヴィデオ『Add Your Light to Mine, Baby』の舞台は南ロンドンのパブThe Ivy House。制作したUs3 Productionsは以前CD:UKやT4、MTVにいたプロデューサーたちが創めた新しい制作会社で、これが初めて手がけたヴィデオとなる。特徴はフエルトの帽子を被ったエキストラや、写真家デヴィッド・ホックニーにインスパイアされたカメラワークだ。