チコ・デバージ
チコ・デバージことジョナサン・アーサー・デバージは1966年6月23日、ミシガン州グランドラピッズに生を受けた。母親はアフリカ系、父親は白人。10人兄弟(13人説あり)の下から2番目のチコは、一番上の姉とは一回りも離れている。家族みんなが音楽好きで、ゴスペル・グループとして歌っていたこともあったという。始めに業界入りしたのは、長男のボビーだった。彼は友人のグレゴリー・ウィリアムズらと参加したホワイト・ヒートというバリー・ホワイトのバック・バンドを経て、ヴォーカル・インスト・グループ(=セルフ・コンテインド・グループ。ひらたく言えば演奏も自らまかなうヴォーカル・グループのこと)のスウィッチを結成。弟(上から3番目)のトミーを加えたこのグループはジャーメイン・ジャクソンに気に入られてモータウン傘下のゴーディと契約を結び、デビュー曲の“There'll Never Be”(78年)や後にNe-Yoが“It Just Ain't Right”で引用することになる“I Call Your Name”(79年)といったヒットを生み出した。やがて、スウィッチの中で類い希な美声を響かせていたボビーの兄弟達も、彼に負けず劣らず優れたタレントを持っていることを察知したモータウンは、長女のバニーと、ランディ、マーク、エル、ジェイムズの5人を囲い、次世代のジャクソン5として売り出すことにした。ファミリー・ネームからデバージズと名付けれた彼らのグループは、デビュー後まもなくデバージと改名するとすぐに“I Like It”(82年)、“Time Will Reveal”(83年)など、スウィッチを越えるヒットを連発した。 レーベルの期待に応えるように、デバージは85年にダイアン・ウォーレンのペンによる“Rhythm Of The Night”をR&B/ポップの両チャートでヒットさせている。そうした中、1986年に、いずれのグループにも属していなかったチコがソロ・シンガーとしてデビューを迎えている。デビュー曲“Talk To Me”は、時流に乗った打ち込みによるダンサンブルなもので、R&Bチャート7位を記録。幸先の良いスタートとなった。同年にセルフ・タイトルのデビュー・アルバムを、1988年にセカンド・アルバム『Kiss Serious』をリリース。そのセカンドでは、プリンス一派のブラウンマーク(レヴォリューションのベーシスト)らをプロデューサーに迎えたミネアポリス・ファンク“I've Been Watching You”など秀逸な曲も含まれていたが、残念ながらセールス的には後退した。それでも、エディー・マーフィー主演映画『星の王子ニューヨークへ行く』(88年)に“All Dressed Up (Ready To Hit The Town)”を提供するなど活動は続けていたのだが、1988年、ボビーとチコはコカインの不法取引により逮捕され、長らく刑に服すことになった。約6年に及ぶ刑期を終えたチコは95年に出所すると、すぐにラフェイスとアーティスト契約を交わしたものの、方向性で折り合いが付かずに契約を解消。その後に出会ったのが、モータウンにヘッドハンティングされる以前のキダー・マッセンバーグだった。彼は出所して来たチコを温かく迎え、約10年振りの新作という難しい状況の中で1997年に『Long Time No See』をリリースし、その2年後の1999年には、当時自身が社長を務めていたモータウンから『The Game』を出させている。さらにグレニークやプロファイルといったキダー肝いりのプロジェクトに参加し、キダーの標榜するネオ・クラシック・ソウルの一翼を担うアーティストとして活動。その後2003年発表の『Free』では一時的に袂を分かったが、今作では再びキダーがチコ自身と共にエクゼクティブ・プロデューサーにその名を連ねている。