・Crispian Mills(vo/g) クリスピアン・ミルズ
・Alonza Bevan(b) アロンザ・ベヴァン
・Paul Winterhart(ds) ポール・ウィンターハート
・Harry Broadbent(organ/key) ハリー・ブロードベント (新メンバー)

オアシスとブラーなどの大活躍によって“ブリットポップ”旋風吹き荒れる1994年、ロンドンにて結成。その翌年、数々のヒット・シングルを武器に、ブリットポップという“社会現象化し、形骸化してしまったもの”に中指を立てながら雄雄しく、そして華々しく登場したのがこのクーラ・シェイカー(反抗していたのはブリットポップのアーティストそのものではなく、おそらくそのブームに対して。のちにオアシスのお気に入りバンドとしてツアー前座に抜擢されることになり、その後の関連性も深い。

バンド名の由来は9世紀インド皇帝の名前。インド音楽がブレンドされたサイケデリック・サウンドが真骨頂であり、フロントマンのクリスピアンがヒンドゥー教へ傾倒していることも周知の事実である。アルバム・デビューは1996年9月で、『K』はいきなりUKチャート初登場1位(2週連続)を記録、オアシスに次ぐデビュー・アルバム最速セールスも記録している。UKロックのポップ・アイコンのひとつともなっている“クリスピアン王子”率いる4人組は、ユニーク且つキャッチーな音楽性と共に、日本でも長きに渡り愛されているキャラクターで、『Grateful When You’re Dead』、『Tattva』、『Hey Dude』、『Govinda』、『Hush』などのヒット・シングルはいまでも金字塔となっている。

1999年2月、セカンド・アルバム『Peasants, Pigs & Astronauts』をリリースした直後の同年9月、解散。メンバーはそれぞれの活動を経て、2006年クーラ・シェイカーを再始動させるが、フジロック06での復活ライヴでは会場のレッドマーキーが入場規制のかかる大盛況で、根強い人気の高さを証明した。2007年6月、チャド・ブレイクなどがプロデュースに関わった復活第一弾アルバム『Strangefolk』を約8年ぶりにリリース。翌7月にはフジロック07のメイン・ステージに登場し、また翌年1月には全公演ソールド・アウトとなった単独公演を敢行した。そして3年のブランクを経て、全編セルフ・プロデュースによる復活第2弾アルバム『Pilgrim’s Progress』をここにリリース。そして2010年夏、クーラ・シェイカーとしては3度目のフジロック2010のステージ(メインステージ)に、再び立つ。



【バンド結成当初のクリスピアンのアツい言葉】
「とにかく俺たちは人々の夢や希望を凝縮する究極のバンドを生み出したいんだ。究極のバンドとは?
それは社会そのものの神経に触れるかどうかってことだ」



【1990年代の急速な成功と解散 (1996年~1999年)】
1996年、UK総合チャート初登場1位でデビューし、一世を風靡したアルバム『K』でブリット・アウォード最優秀新人賞を受賞した彼らは、1997年、ジョー・サウスのカヴァー曲『Hush』をUKシングル・チャート2位に送り込んだ。しかしこの時期、順風満帆の彼らのキャリアに思わぬ影が落ちることになる。ヒンドゥー教・仏教では吉祥の印とされ、欧米でもかつては幸運の象徴であった「卍」(鉤十字/ハーケンクロイツ)に関するクリスピアンの発言を、ナチス賞賛と受け取ったメディアに大バッシングを浴びてしまう。バッシングが加熱していく中、次作の制作も難航した。1999年2月、セカンド・アルバム『Peasants,Pigs&Astronauts』をリリースし、UKでは総合チャートで9位を記録、日本でもゴールド・ディスクに輝くが、その直後の同年9月、空中分解するように解散してしまう。



【解散後の活動 (1999年~2005年)】
アロンザは、元ザ・スミスのジョニー・マー、リンゴ・スターの息子ザック・スターキーと共にジョニー・マー&ザ・ヒーラーズを結成。ポールはアクアラング、オリジナル・キーボーディストのジェイ・ダーリントンは2002年からオアシスにそれぞれ加入し、クリスピアンは新バンド、ジーヴァスとして再出発を果たし2枚のアルバムを残した。



【再結成 (2006年~)】
あるチャリティ・アルバムへの参加がきっかけとなり、2006年、クリスピアン、アロンザ、ポールのオリジナル・メンバーは、クーラ・シェイカーを再始動させる。新たなキーボーディストとして、ファンク・バンドに在籍していたハリーを迎え入れる。「クーラ・シェイカー王がハリーを授けてくれたようだ」というクリスピアンの名言は有名。2006年7月、フル・アルバムに大きく先行して5曲入りEP『リヴェンジ・オヴ・ザ・キング』をリリース。あっという間に10,000枚を超えるセールスを記録し、フジロック06での復活ライヴでは、会場のレッドマーキーが入場規制のかかる大盛況で、根強い人気の高さを証明した(ファンの半数は若年層であった)。2007年6月、チャド・ブレイクなどがプロデュースに関わった復活第一弾アルバム『Strangefolk』をリリースし、翌7月にはフジロック07のメイン・ステージに登場。翌年1月には全公演がソールド・アウトとなった単独公演を敢行した。

「再結成というものは、一般的にはビジネス的な側面やキャリアを意識したものと受け止められがちだったりするものだよね。ある意味それはまるで軍事行動のようなものだったりするわけだから、ものすごく真剣に向き合わなければならないと思うんだ。でも、ボクらはどうしようもなく音楽に対して理想主義的なところがあって、このバンドを信じていたからこそ再び集まった。前作『ストレンジフォーク』は然るべき仕上がりの作品であり、あれでバンドが成長しているってことも証明できたと思う」---クリスピアン

「いったん分裂すると、二度と口をきかなかったりお互いの本質を嫌い合ったりするものさ。さもなくば“本当の家族“になれたりする。ある意味家族よりも近い存在になったりさえするんだ。ボクらは再び集まって、友人でいつづけることを選んだけど、お互いとてもリラックスしていて、例えば同じ部屋に3時間ほど居座って一言も会話しなくても快適に過ごせるくらいの間柄なんだ」---クリスピアン



【スタジオ建設~アルバム制作 (2008年~2010年)】
クーラ・シェイカーは、2009年トラピスト・ビールとして有名なCHIMAYの産地でもあるベルギー南端の街シメイに自身のスタジオを建設した。

「そこで一晩中ロックンロールしてやろう!と思っていたのに、中世的で魅惑的なアルデンヌの森の雰囲気にすっかり魅了されちゃってね」

「最終的に仕上がった音楽は、ボクらにとっても驚きだったと言えるね。ロック然とした楽曲がどうもしっくりと来なかったのに対して、例えば『Ophelia』とか『Winter’s Call』といったスロウで長めの曲は、魔法がかかったようにどんどん生命を帯びていくように感じられたんだ。作品が形になっていくにつれ、この森や川や霊や過去の記憶といった環境にボクたちがどれだけ影響されたかってことを強く感じたよ」。

クリスピアンが語るように、スタジオ建設という「実用的でクリエイティヴな決断」は、新作の方向性にも大きく影響を与えたようだ。実は、ベルギーのスタジオ建設前に、アロンザの自宅の一部をスタジオに改造し、そこでも作業は進められていたんだとか。

「16,7(才)の頃にアロンザと一緒に曲作りをしていた同じ家(アロンザの実家)に集まってセッションをしてみた時、再びクーラ・シェイカーをやり直そうという手応えを得たんだ。ボクらの音楽作りに欠かせない同じ場所にアロンザがスタジオを作ったんだけど、セントラル・ヒーティング(集中暖房)を導入する前にスタジオを建てちゃったもんだから、ボクらが演奏している間、家族は他の部屋で凍えそうになっていたよ(笑)」。



【Rock and Roll with a real magic】
「いや、確かにロックン・ロールというものは、鏡の前でポーズすることだったり、ファッションだったり、セックスだったり、ブルーズだったり、まあいろんな側面はあるものだけどさ。でも、ただのそういう要素の集まりってことより、もっと素晴らしいものがそこにあるはずなんだ。それは人々が自由な精神を得るための衝動でもあり、型にハマった見識に対しての挑戦でもあり、人々を熱狂させるものだ。ボクたちがいったい何者で、ある状況からどうやって抜け出すべきか、といったことを問いかけてくれるものだ。これ(『ピルグリムス・プログレス』)は、そういった衝動の全てが込められている作品なんだ。それこそがボクたちが興味あることだし、バンドとして探求していることだから、実際にたくさんの人からの反応を得られるのだし、逆にそういったことに興味のない人には嫌悪感をも抱かせる所以なんだ。そのスピリットなくしては、やっても意味がない」---クリスピアン