アメリカはオハイオ州カントン生まれ。

本名ウィリアム・ロイス・スキャッグス。

父はセールスマン。オクラホマ、さらにテキサス州ダラスの北に位置するプラノという町へ移住。そこで私立セント・マークス高校に進学し、”ボズレー”というニックネームで呼ばれるようになった。これが後に縮められて”ボズ”と呼ばれる所以である。ラジオから流れるR&Bやブルースに心酔するようになる。中でもレイ・チャールズとジミー・リードの大ファンだった。スティーヴ・ミラーという名前の16歳の天才ギター少年が率いるザ・マークスメンに所属して音楽活動をスタートさせた。高校卒業後、ウィスコンシン大学に進学していたミラーを訪ね、アーデルズというバンドを結成して大学の社交クラブのパーティなどで演奏、バーやクラブ、リゾート施設での仕事をこなすようになった。学業を放棄して音楽活動にのめりこむものの、確固たる方向性も見出せなかったボズはサンアントニオの陸軍に入隊。除隊後、ザ・ウィッグスを結成。

64年、渡英。当時のイギリス音楽シーンの充実ぶりに感化されたが、資金が底を尽き、労働ビザの問題などもあって4人のメンバーのうち2人が帰国。挫折を味わったボズはさらにデンマークやフランス、スペインなどに足を伸ばし、スウェーデンのストックホルムには2,3年滞在していわば大道芸人も経験した。ファースト・アルバムをストックホルムで制作。

66年、帰国したボズはバンド活動中のスティーヴと再会したが、放浪生活への未練を断ち切れず、インドへ渡り、結局ストックホルムに戻った。さまざまなバンドを渡り歩いているうちにスティーヴからポストカードが届いた。サンフランシスコで至急ギタリストを探しているとのことだった。サンフランシスコに渡ったボズは、スティーヴ・ミラー・バンドに加入。ファースト・アルバムに自作曲も収録できたボズは、2枚のアルバム発売後バンドを脱退。

ロック・ジャーナリストだったジャン・ウェナーと組んでアトランティックと契約。マッスル・ショールズのスタジオに入って自身のファースト・アルバムのレコーディングに入った。かのデュエイン・オールマンも参加したアルバム『ボズ・スキャッグス』を'70年にリリースしたが、サンフランシスコ以外で聴かれるまでには至らなかった。

米コロムビアに移籍し、グリン・ジョンズのプロデュースによるアルバム『モーメンツ』を71年に発表。続いて『ボズ・スキャッグス&バンド』、72年『マイ・タイム』74年『スロー・ダンサー、』をリリース。そしてついに名作『シルク・ディグリーズ』が誕生する。76年のこのアルバムから「ロウダウン」「リド・シャッフル」「ウィア・オール・アローン」という名曲が生まれ、アルバムセールスは400万枚を記録し、全米チャート2位に輝き、ボズ・スキャッグスは国際的なスターへの階段を登り始めた。また、この時のバックを固めたデヴィッド・ペイチ、ジェフ・ポーカロが中心となって後にTOTOが結成されたのは有名な話である。「ロウダウン」は映画『ミスター・グッドバーを探して』の中でも起用された。

77年の次作『ダウン・トゥ・ゼン・レフト』を経て、80年『ミドル・マン』では3回目のプラチナ・ディスクを獲得。しかしこうした成功劇に伴う華やかな生活に嫌気がさしたボズはツアーも含めて活動を停止し、半引退生活に入ってしまった。その後未発表新曲「ミス・サン」を含むベスト・アルバムとなる『HITS!』をリリース。

88年久々の新作『アザー・ロード』発表。「ハート・オブ・マイン」がスマッシュ・ヒットとなる。

トップの二人ともボズの大ファンだったというヴァージン・レコードに移籍。アルバム『サム・チェンジ』リリース。97年『カモン・ホーム』リリース。

今でも折りに触れて来日公演を行ってくれている。