ブラック・アイヴォリー

-Biography-

 ボーカル担当のシャマーリ(21)、ブランディ(18)とラップ担当のナティーナ(20)の3人から成るブラック・アイヴォリー。NY, L.A.と並んで重要な音楽都市、アトランタで結成されたこのグループの名前にあるBlaqueとは、”Believing in Life and Achieving a Quest for Unity in Everthing” から取ったもの。人生を信じ、全てに結束を求め続ける、という意味と “Black”の発音を引っかけた造語だ。名付け親は、彼女達を見つけだしたTLCのレフト・アイ。2nd アルバム「Crazysexycool」(‘94)が世界中で大ヒット、ガールズ・グループの頂点を極め、ブラック・ミュージックの以降の流れを決定づけたTLCのメンバー、レフト・アイが設立したLefy Eye Productionからの第1弾アーティストとして1999年に輝かしいデビューを飾った。(現在はTrackmasters/Columbiaとの契約)

 ファースト・シングル”808”は50万枚のセールスを記録し、デビュー・アルバム「ブラック・アイボリー」は全米のみで100万枚のセールスに達した。セカンド・シングル “Bring It All”もビルボードのシングル・チャート4位まで上昇する大ヒット。Billboard Video Award, Soul Train, BET Music Awardなど多くの賞にノミネートされると共に、TLCや’NSYNCの全米ツアーにもオープニング・アクトとして出演し、数あるガールズ・グループの中でもトップの座を争うほどの人気となった。

 セカンド・アルバム制作の傍ら、銀幕でもデビューを果たした3人。キルスティン・ダンスト主演の「チアーズ」(原題:”Bring It On”)に出演、楽曲 “As If”も提供し話題を呼んだ。「デビュー・アルバムの成功を経験してから、やれば何でも出来るって信じられるようになったの。だから、音楽以外でも自分たちを表現出来る方法を、これからも追求していきたい」と、ブランディは語る。

 新作「Blaque Out」には、前作同様ポーク&トーン(トラックマスターズ)が参加している他、ダラス・オースティン、デブラ・キリングス、フル・フォース、サラーム・レミが参加。メンバー達も、曲作りに参加すると共に、エグゼキュティブ・プロデューサーとしてクレジットされている。ニュー・アルバムを一言で表すと “Growth”の一語だと語る彼女たち。「サウンドの面でも、自信の面でも、女性としての生き方の面でも、全てにおいて成長したと思うの。もう子供じゃないって事が、このアルバムを聴いてもらえれば分かると思うわ」と、話すナティーナ。「Blaque Out」には、現在のメンバーの心境とと今の音が詰まっている。



メンバー紹介

ブランディ(16)は生まれたときからずっと音楽に囲まれて育った。デトロイト出身。祖父のボビー・ロジャースはモータウンの伝説的グループ、スモーキー・ロビンソン&ミラクルズのメンバーで、父親もプロのシンガーだった。R&B界の歌姫、シェレール(アレクサンダー・オニールとのデュエットで有名)の実の姪でもある。「ずっと音楽が大好きだったの。小さい頃から、音楽以外の道に進もうとは夢にも思ったことがないわ。お医者さんにも弁護士にもなりたいなんて口にしたことは一度もなかった。ずっと歌手になりたいと思っていたの」



それとは対照的に、ナティーナ(18)は子供の頃からいろんな職業を夢見ていた。「ミス・アメリカにも、獣医さんにも映画スターにもなってみたかったわ」。NY出身。父親と叔父は共に聖職者で、小さい頃はよくおじさんの教会でドラムを叩いていた。少女時代にモデルを経験したのち、ライム(詩)を書き始め、CMのジングルを作るようになったのがこの道に入ったきっかけという。「リサ(・ロペス=レフト・アイの本名)とは昔から友達だったけど、私が作った”Now & Later”っていうキャンディのCMジングルをたまたま耳にするまでは、ちゃんと音楽の話をしたことはなかったの」とナティーナは言う。そのリサ・ロペスのアドバイスによって、彼女は音楽の道に進むことを決意する。ナティーナは“スプライト”のCMジングルも手掛けている。



プロのミュージシャンになりたいという夢がシャマーリ(19)の胸をふくらませていた。その思いは止められなくなり、ついに8年生の時、プロのシンガーを目指すとみんなに吹聴して回った。「私がレコード会社と契約して、バンドのメンバーを探しているって話をみんなに触れ回ったの」。やはりデトロイト生まれの彼女は、R&B、オルタナティヴ・ロック、ラップ、ゴスペルを幅広く聴く。



シャマーリとブランディは共にアトランタに引っ越してくる前、同じデトロイトの近所に住んでいたのだが、その当時全く面識はなかった。ニューヨークからアトランタに移ってきたナティーナはシャマーリと同じ小学校に通うことになり、”Butz”という地元のR&Bグループに共に参加したのがきっかけで2人は出会う。さらにシャマーリは”Intrigue”という別のグループと付き合いがあり、そのメンバーだったブランディとも親しくなった。しかし3人全員が顔を合わせたのは、’96年のレフト・アイ・プロダクションのオーディション現場がはじめてのことだったという。オーディションに合格してからは、一気に成功への階段を駆け上った彼女たち。映画に出演する前、一年ほどバンド活動を休んでいたそうだが、その休養期間がバンドの絆を更に強いものにしたそうだ。