忘れられない涙は、どんな味ですか?あなたの想い出の涙エピソードを大募集!!

  • 2008.04.30 16:23
  • どら息子 ( 鳥取 22歳 )

  • この前55になる母と腕相撲をしたときの話です。
    晩御時で既に酒好きの母は酔っ払っていました。すると急に
    『おい。久しぶりに腕相撲をせんか?昔は負けたけど両手なら勝てると思う』
    って言ってきました。渋々やることになったのですが勝負になると負けず嫌いな自分。
    母と手を合わせた時にびっくりした。
    何年ぶりかに握った母の掌は、細かいシワと手アレでガサガサで。とっても小さくなっていました。
    『よーいどん!』
    と自分のタイミングで始めた母。
    どんな合図だよと笑いそうになったが負けず嫌いのぼくは力を目一杯込めた。
    結果はぼくの負け。
    『ガハハハ!またやろうなぁ。次も母さんが勝つでぇ』
    と笑いながら2階に上がっていった母。

    皿を一人で洗っていた時に母の掌を思い出した。
    シワシワでカサカサになった掌の感触を思い出したら涙が溢れて止まらなくなった。
    ずっと母が年をとることを認めたくなかったのかもしれません。
    22年間の母との記憶が蘇る。
    涙が止まりませんでした。
    腕相撲をしたときぼくは負けたくなかったのもあるけど試してみたんです。
    母がぼくに勝てる力が今でもあることを。
    あの時の涙を忘れることはできません。
  • 2008.04.30 16:23
  • ブッチョ ( 青森 14歳 )

  • 私は今、中学3年生です。
    1年生のときに部活に入って、女の先輩がいませんでした。
    男の先輩しかいなく、少し心配したのですが、どの先輩もとても優しくしてくれて、1つ1つの技を実技指導を元に丁寧に教えてくれて、少しは上達することができました。4月から部活に入り、7月までの間、先輩といろんな交流がありました。「いい後輩だ。」と言ってもらったり、楽しく話をしたり、一緒に掃除をしたり、あっという間に3ヶ月が過ぎ、夏の中体連が来ました。最後の先輩の晴れ舞台。一生懸命応援して、自分も頑張りました。でも、いい結果は残せず、先輩は引退となりました。それからも何回か部室に遊びに来て指導してくれたのですが、顧問の先生が「邪魔だ。」と言い、それ以来顔を見せることはなくなりました。廊下で会うと、挨拶はするのですが、距離があり、どんどん交流がなくなりました。そしてついに卒業。
     先輩達に色紙を贈ることになり、私は「一生尊敬する先輩です。」とメッセージを残し、卒業式当日。色紙を渡すのはほかのメンバーの役目で私は先輩が来たら、「ありがとうございました。」とそれだけでもいいからお礼を言いたいと思っていたのですが、男の先輩だからに言いにくく、笑顔で見送ることしかできませんでした。そうすると涙があふれてきました。本当に最後だから、話をしたかったのに、何も言えなかった自分が悔しくて。
     あれから、先輩を街でみかけます。通学途中の先輩。遊んでいる先輩。でも、先輩というかかわりはもうなく、他人になってしまったようで、涙が出てきます。いつも頭の片隅に先輩の姿があり、その一言が言えなかったことだけが心に残り、涙をさそい、苦しくなります。
     もし、言えるのであれば先輩に「ありがとう。」と言いたいです。
  • 2008.04.30 16:22
  • トモヒロ ( 青森 35歳 )

  • 私は結婚してますが、ある時出逢った人がいました。
    普通じゃない出会いでした。恋するのがダメな状況での恋でした。

    本当に会いたくて。でも会えなくて。いつも携帯電話でメールしてるんですが、メールの文字?言葉?だけではうまく伝わらなくて。

    うまく伝わらずにイライラしたり。変な事を言ってしまったり。

    好きだよ。

    愛してるよ。

    いくらメールで打っても本当に伝わっているのか?
    うまく伝えようと言葉を選んでも、いくら絵文字を使ってみても不安になる。

    本当に大好きなのに。

    たまに会えた時の写メを何度も見る。笑顔の彼女がいる。
    毎日のメールを読み返してみる。好きだよ。愛してるよ。の文字がある。
    大好きで愛されているのも分かる。たまの電話だと笑顔で話せる。すごく楽しい。電話切りたくなくて長電話になる。電話を切った瞬間に寂しくなる。会いたくなる。触れたくなる。

    ただ彼女は隣に居ない。傍にも行ってあげれない。

    自分に腹が立つ。そのたびに涙が出る。

    なにやってんだろ?こんなことしない方がいい。分かってる。普通じゃない。
    でも無理だ。愛しすぎてる。離れる事が考えられない。

    こんな想いを伝えたい。もっと上手に伝えたい。上手な言葉が探せない。もどかしい。馬鹿さ加減に悔しくなる。

    涙って泣きたくて出せる物じゃない。自然に出てくる。

    その涙で本当に好きで愛してる事を実感する。
  • 2008.04.28 13:57
  • 92 ( 青森 17歳 )

  • 今現在の部活の話です。
    去年の4月から先生がたまにしか部活に来なくなり、部長がサボるようになりました。
    私が「ちゃんとやろ」って言っても「えー」と返してくるだけで、私はそれがすごく辛くて、1週間学校のトイレや家で隠れて泣いていました。
    しかし、とうとう我慢できず、みんなの前で号泣。そのとき初めて部員の2人に相談しました。
    後日その2人が話し合いの場を作ってくれて、その時"ちゃんとやろう"
    って約束したんです。

    が、しかし、9月にはいってからまたサボるようになり、無断で休むようにもなりました。
    そしてそれが続き2月。いつものように早く帰りたくて部活時間を短縮する部長に対抗してちゃんとやったら、大声で「むかつくー」と言い、その後他の部員に「なんなんず、早く帰りてーのに」と言ったそうで、それを聞いて私は怒りとか悔しさとかがごちゃ混ぜになって泣いてしまいました。
    そしたらみんなが「92は悪くない!」「わんだぢは92の見方だはんで!」と言ってくれて、その優しさでまた号泣。すっごく嬉しかったです。

    まだ今も解決していませんが、私にはみんながいるからやっていけます。
    あと1年も経たずに卒業して、私たちはばらばらになります。できればその前に恩返ししたいな。
    最後にこの場を借りてみんなに伝えます。

    "みんな色々迷惑かけてごめんね。そしてありがとう。"
  • 2008.04.27 14:02
  • maa ( 埼玉 27歳 )

  • うちわニュースを見ていつも思う。
    耐えない殺人事件。
    その中でも特に許せないのが、おじいちゃん、おばあちゃんを殺す人。

    今まで戦争とかいろんなコト乗り越えて生きてきたのに最後わ見知らぬ人に殺されてしまうって本当に許せないって思う。

    うちわおじいちゃんとおばあちゃんと一緒に住んでる。
    けど、おじいちゃんわ
    5年前に亡くなった。
    その時初めて人わ死ぬとこんなに冷たくなってしまうんだって知った。
    温もりってあんなに暖かかったんだって知ったし大切なんだって分かったんだ。
    でもおじいちゃんわすごく幸せな顔して眠ってた
    今もおばあちゃんわ元気だけどいつかわおじいちゃんのトコにいっちゃう。
    それまで最高に幸せな気持ちでいっぱいにしてあげようって思う。
    寂しい思いわさせないょうちが守るょ。大好きだから。

    もぅあんなヒドイニュースわ見たくない。
  • 2008.04.23 21:22
  • さくら ( 東京 26歳 )

  • 母子家庭の三姉妹の中間子として私は育ちました。
    私が言うのも変だけど母は元モデルをしていてとても美しい人。
    父と離婚して小さい子供を女手ひとつで育て上げ家を建て姉と妹が家庭を持ち仕事も辞め余生を楽しんでいた頃、私は妹の家に遊びに行って帰るのが面倒になり母へ電話をした。
    『夕飯作っちゃった?今日遅くなったから泊まってこうかと思って…』
    「そうなると思ってたわよ、ご飯作ってないからいいわよ。」
    と、いつものように話し電話を切った。
    翌日、一緒に住んでいる姉から妹の家へ電話が…『ちょっと子供が大変なのにママが起きないから帰ってきてよ。』
    ちょっと怒りぎみに言われ『ママに変わって』と私。
    『もしもしママ?』
    「頭痛いの」とか細い声だった…
    おかしいと思って姉救急車を頼み急いで帰るが電車の中で病名を知る…
    『くも膜下出血だって』と妹の声…『うそ…』
    電車の中で走り出したい気持ちだった。
    ようやく最寄り駅に着き病院へ入り姉のもとへ。
    手術が決まり妹も来て10時間近く待つ…これで助かるママ頑張れ…と祈るしかなかった。

    手術は無事終わりあとはどこまで回復するか…

    だけどママは目を開けて意志疎通は出来るが体は回復しなかったのだった。私は意味がわからなかった、だって手術はうまくいったって言ったじゃない?
    何よりママが一番かわいそうに思えた。
    体が動かないだけで頭は正常な事はどれだけつらいだろうと涙がとまらなかった。
    その頃唯一独身だった私はいつもママのそばにいた。
    『ママ、私が結婚して子供が女の子だったら嬉しい?』姉と妹は揃って男の子を産んでいたからだ。
    「うん、嬉しい、きっとかわいいね」と結婚もしてない私に嬉しそうに答えていた。

    ある日病院を転院しなければならなくなり地方の病院になってしまった。これで毎日会えなくなると思うと心配で寂しくて悲しくて仕方なかった。『ママ…毎日会えなくなるけど大丈夫?』「大丈夫よ」大丈夫な訳ないけど何か言わなくちゃ…『ママ…会えなくても空はつながってるから毎日見るからママも空を見てね』ママのベッドは窓際だった。帰りの電車で涙がポロポロ出ていた。
    そして数々の病院を転院し4年の月日が経っていた。
    何年も寝たきりなので体も悪くなってくるようで風邪をひいたら肺炎になったりもした。
    何回かの危篤の知らせがあっても延命措置をしてなんとか助かっていたが…
    ある日先生から三姉妹に決断を迫られた…
    『延命措置を続けますか?』

    姉妹で話し合いこれ以上は延命措置はかわいそうだからやめようと決めた…
    ママを楽にしてあげたかった…

    決断してしばらくしてママは安定していたので姉は旅行に行っていてひとりで家にいたら病院から電話で危ないかもしれないがどうしますか?と…
    この間お話した通りにお願いします。
    私が自分の口で言ったのだ。電話を切ったあと迷い出して姉に連絡したが決めた事だからと言われ、それから数週間後にママは家族の誰もいない夜遅くに亡くなった。
    私はこれでよかったのかずっと悩んでいた。
    骨壺の前でママの写真を見ながら本当によかったのか考えていたら…
    突然心の中に「これでよかったのよ」とママの声が聞こえた。衝撃的だった。
    たぶん私が一生悩み続けるとママは思ったのだろうと思った。
    それ以来ママの声はない。
    今でもママに会いたくて会いたくて会いたくて会いたくて会いたくて…涙が出る日がある。
  • 2008.04.22 15:26
  • みんと ( 青森 25歳 )

  • もう6年も前に別れてしまった彼氏との出来事。
    高校2年の時に彼と付き合い始め、初めてのクリスマス。
    初めて彼の前で涙を見せたのは、帰る頃になった時、途中まで歩いて送ってくれて、交差点でプレゼントを渡された時、嬉しさのあまり涙がながれた。
    その後、結局家まで送ってくれた。
    それからは、遊んだりした後、いつも家まで送ってくれた。


    そんな彼と別れることになったのは、遠距離になったこと。
    自分から別れを告げた。
    自分で決断した事だったのに、すごく後悔した。
    25年生きてきてあんなに後悔して未だに後悔し続けているのは、この自分の決断のみだ。
    慎重に考えだしたはずだったのに、別れた直後、あんなに苦しくなるとは思わなかった。
    「涙が止まらないってこういうことなんだ」と初めて思った。
    あまりに苦しくて、車で、大声で泣いてしまった。

    きっともうあんなに風に涙を流すことはないでしょう。
    もう戻らない…。 もう戻れない…。
    そんな私の「涙」です。
  • 2008.04.21 12:38
  • とょぅ ( 大阪 22歳 )

  • 私が看護学生だった頃の話です。最後の病院実習で、私はある患者様(Aサンとします)を受け持ちました。Aサンはガンを患い余命半年と宣告されていました。効果のある治療法はもうありませんでした。「もういいんや。長くは生きられんのやから。」がAサンの口癖でした。私は2週間という短い実習期間の中で苦しみ、病と戦うAサンに何をしてあげられるのだろうと悩みました。実習も残りわずかとなったある日の午後、Aサンの体調が思わしくありません。急な発熱に顔色も悪くガタガタと震えているのです。学生だった私はAサンの急激な体調の変化に驚き、何も対応することができませんでした。ただそばにいて手を握ったり体をさすったりすることしかできませんでした。何もできない自分の知識の無さや未熟さに憤りを感じ、悔しくてナミダが止まりませんでした。次の日、病院に行くとAサンは笑顔で「おはよう」と私を迎えてくれました。そして「昨日はそばにおってくれてありがとうな。あんたがおってくれるだけでえぇねん。一緒におってくれたら安心できる。」と顔をくしゃくしゃにして笑うのです。Aサンの言葉に嬉しいやら申し訳ないやらでまたナミダが止まりませんでした。私はこの日そばにいることの大切さを教えられました。何もできないではなく何かしてあげたいという思いが大切なのだと気付くことができました。自分の未熟さにナミダした昨日、でもこの日のナミダは自分の進む道に勇気を与えてくれたナミダでした。
  • 2008.04.21 12:37
  • しーたん ( 東京 25歳 )

  • タカチャの「となりにいるから」という曲で私は自分でもびっくりするタイミングで泣いちゃいました。
    その曲は、去年の6月にあった浜松町のインストアライブで初めて聞いて以来タカチャのライブやCDで日常的に聴いていたけど、曲に対して、友達はすごく絶賛していてが私自身にはまだその曲の芯なるものがつかめずにただ聴いていただけだった。
    9月の誕生日に運命の人と出会い、この人と付き合うんだろうなって素直に思うことがあった。自然に恋愛が起こって、その生活の中で、一人で夕飯の準備をしているときに「となりにいるから」を流して聴いていたら、急に色んな歌詞が私の耳に届いてきた。全部が私の感覚に共感した。私が好きな人に伝えたい思いであるともいえるし、好きな人が私に歌ってくれているような感覚になった。
    一人で生きてきていたけど、今ようやく、会うべき人に会えたという感謝の思いがこれでもかとあふれ、神様やすべてのものに対して感謝し、「ありがとう」って言葉にしようとしたとき急に涙がでてきて、抑えられなかった。
    好きな人からは、その数日後に告白されて付き合うことになり、今では彼もタカチャの曲を好んで聴いています。彼が携帯のアドレスを私と付き合って直ぐに変えたんですが、ずっと私の隣にいるから、という意味を込めたらしく、タカチャの「となりにいるから」は私たち二人のテーマソングみたいになっています。
    あのときの涙は、私にとって純粋無垢なまっすぐなものだと思っていて、その気持ちを大事にして、これからも彼を大切にしながら一緒に、誰よりも近い隣で生きて行きたいと思う。
  • 2008.04.21 12:36
  • むぎ ( 栃木 20歳 )

  • 大学生になって、初めて本当に人を好きになりました。高校は違ったけれど、部活動の大会で彼を見て気になっていました。でも、その時はただかっこいいなと見ているだけで終わりました。その後、高校の卒業式の打ち上げでボーリングに行った時に彼も偶然同じボーリング場にいたんです。でも、そのときも見ているだけ。好きという感情まではいきませんでした。
    大学一年の夏休み、教習所に通っていたら、なんと!!彼も教習所に通っていたのです!!教習所で彼を見た瞬間、すごくドキドキして恋に落ちました。勝手に運命感じちゃいました。でも、話しかけることが出来ず、教習が終わってしまいました・・・。
    諦めきれず、友達を通じてアドレスを聞きメールをし始めました。一年近くメールしましたがだんだん返信がこなくなってしまいました。気持ちの整理をつけるためにも、告白しました。フラレました。その後ずるずるとひきずってます。
    去年の11月ごろメールしたら、返事が返ってきて、またメールするねなんて言ってくれていい感じかなと勝手に思っていましたが、また返事が来なくなり、メールはしなくなって・・・。
    で、成人式の日一年ぶりぐらいに彼に会いました。なぜだか、涙が止まりませんでした。友達に泣きながら電話して・・・。まだ好きなんだなって思って、二度目の告白をしました。一度目よりキッパリふられました。で、また泣いて・・・泣いて・・・。学校でも、涙をこらえきれず・・・。今まで生きてきたなかで一番泣いた気がします。本当に彼を好きだったんだなって思いました。
    キッパリふられたのでこれで前に進めると思ったけれど、新しい出会いもないこともあってか、まだ彼にメールしたくなります。アドレスを消そうと思っても、あと一歩のとこで消せません。心のどこかで、彼との運命を信じているのかもしれません。自分、重いなと思いつも・・・。
    これが、あたしの涙エピソードです。長々とスミマセンでした。
  • 2008.04.17 00:50
  • ライオン ( 千葉 21歳 )

  • 中学卒業と同時に付き合ったきみ
    僕に初めて「人を愛すること」を教えてくれたきみ
    自分のだめなところを強くしかってくれたきみ
    誰よりも味方になってくれたきみ
    僕の夢を一番応援してくれたきみ

    数えくれないくらいの思い出をくれたきみ



    昨年の春
    まじめて声を出して泣いた。
    はじめて胸の苦しさをしった。
    そしたら余計くるしくて、くるしくて泣いた。
    いつかまた会えるよって
    言い聞かせる自分の姿の泣き顔がおかしくて
    少し笑って
    また泣いた。



    今はお互い上京し
    お互いの夢に向かって歩いてる

    きっと笑って会えるよね
    二人で夢見た世界にくらべたら
    こんなに小さな街だから


    今だからいえる

    本当に本当にありがとう。
  • 2008.04.14 21:51
  • Lawdy07 ( 東京 30歳 )

  • 悲しい涙です。でも、私を大きくしてくれた強い涙です。

    2年前、仕事中に受けた父の訃報。
    あまりにも突然で信じられない気持だけ。

    東京→八戸を新幹線「はやて」で実家に急戻。
    はやての中の3時間、ずっと涙をこらえて、でも、とめどなく出てくる涙を、周りに気づかれないよう拭い、抑えきれなくなって何度もトイレで流しました。
    その間ずっと父親と過ごした日々、交わした言葉が次々と思いだされました。走馬灯のようにとはこのことでしょう。

    たった3時間。いつも帰省の時は一眠りするとすぐに到着していたのですが、このときはとても長く感じました。

    八戸に着いて、タクシーで実家に移動。
    父の亡骸をみたとたん、ずっとずっと抑えていた涙が全部出ました。
    その晩は父の隣にずっといました。
    涙は一晩止まりませんでした。

    皮肉にもバラバラになっていた家族がこの日だけたった一日、元のように一つの家に集まりました。

    一生分の涙が一晩中流れました。
    厳格で無口だった父。
    母と離婚してすごく落ち込んでいた父。
    家族はバラバラになり、4人それぞれ各地で1人で暮らしていました。

    その家族の最後の集まり。
    それもまた切なくてもうこのまま涙は止まらないなんて思いました。

    しかし、迷い、傷つきやすかった私が強くなりました。
    みんなに少しずつ、愛を与えられたらって目標が決まりました。

    最後の会話は「お父さんもそろそろ孫の顔が見たいな」でした。
    その希望はまだかなえられそうにないよ、お父さん。

    ずっと言えなかったけど、ありがとう、お父さん。
  • 2008.04.14 19:52
  • まっつん ( 埼玉 35歳 )

  • 自分の初めての子供が産まれたトキ!!
  • 2008.04.14 14:16
  • bambi69 ( 東京 23歳 )

  • 1月。シェフがいなくなったバイト先に3ヶ月だけの契約で北海道にある系列のお店から新しいシェフが来ました。
    大きな体に、いつも笑顔の顔。
    見た目から温かさを感じるシェフ。
    人見知りのあたし、特に男の人は苦手なのにすぐにシェフとは打ち解けました。
    北海道においてきた奥さんが大好きで、
    料理を作ることも食べることも大好きで、
    バイトのくせいに酔った勢いお店に対して意見するあたしの話もも真剣に聞いてくれて、
    天邪鬼なあたしの性格も見抜いてくれて、
    あたしを認めてくれて。
    気付いたら、シェフが休みの日がつまらなく感じるくらいシェフといるのが楽しみでした。

    3月。シェフがバイト先にいるのも3月いっぱい。
    ちょうどあたしも3月いっぱいでバイトを辞めることを決めていました。
    3月中シェフと一緒に呑む度に「どぉせうちらは3月いっぱいですしねぇ」なんて冗談でみんなに言っていました。
    多分、寂しいなぁって感じていてもまだあたしはシェフとこぉやって週に何回か会えなくなることが現実味がなかったんだと思います。

    あたしとシェフの送別会の日。
    朝までみんなで飲んで、あたしを含めてバイト組が帰る時にシェフが外まで見送ってくれました。
    最後の会話が終わることが惜しくて惜しくて。
    それでもシェフは笑顔。もちろんあたしも笑顔。
    それなのに「じゃあ」ってシェフとバイバイして歩き出した途端、涙が出てきてとまらなくなってしまいました。
    年下のバイトの子達の中で1人泣きじゃくってしまいました。
    自分でも驚きました。
    こんなにシェフとのさよならが寂しいって思うなんて思ってもいなかったから。

    シェフと働いたのはたったの3ヶ月です。
    バイトのあたしは毎日一緒に働いていたわけじゃありません。
    でも、こんなに誰かとさよならすることが寂しいなんて感じたのは地元から東京に出てきた時以来でした。
    たった3ヶ月でもシェフと一緒に働けたことが嬉しいと感じました。
    出会えて良かったと素直に思えました。
    シェフと出会わしてくれたバイト先にも感謝しました。

    シェフは今北海道に戻っています。
    夏に必ずシェフのお店に会いに行くって決めてます。
  • 2008.04.12 09:13
  • ちぃやん ( 福島 22歳 )

  • 私には全身に火傷を負ってしまった2歳差の姉が居ます。
    姉は2歳の頃に焚き火の中に落ちてしまい、
    重度の火傷を負い、治療中に心臓が止まったコトもあったそぅです。
    何とか一命をとりとめてからの姉の人生は
    苦しく辛いものの方が多かったと思います。
    小学生になってから中学生までイジメにあい、
    買い物に行けば変な視線を感じ、
    恋愛なんて傷つくばかり。
    ある日、『彼氏が出来たこの人は全部分かって私を彼女にしてくれたから大丈夫』
    と姉は私に嬉しそうに言いました。
    私は姉のその言葉を信じ、相手の方に感謝していました。
    でも結局、姉は遊びでした。
    姉は気にしていませんでしたが
    私は悔しくてたまりませんでした。
    今まで傷ついてきたコト、
    全部聞いた上で…
    私の被害妄想かもしれませんが
    悔しくて辛くて涙が止まりませんでした。
    みんなと同じよぅに恋愛をして恋人をつくりたいのにそれが凄く難しい。
    もぅ辛いコトは充分過ぎる程感じてきた姉に
    女としての幸せを感じる日々が早く来て欲しいと願うばかりです。
  • 2008.04.12 09:12
  • ぼよよん ( 兵庫 47歳 )

  • 自分では悲しいなんて思っていなかった子供の自立。親から離れたい、独立したいという気持ちは、かなりまとも。うんうん、よくぞ大きくなった。偉い偉い。そう思いながら、明るく爽やかに転居の手伝いに行った帰り。
    高速を車で走りながら、ふっと気が付くと目から涙が流れていました。自覚していない、涙。止めようとしても止まらない涙。説明のつかない複雑な涙。悲しいという気持ちを持っていないはずなのに流れでる涙。
    涙は正直でした。明るく理解ある母親を気取っていても、涙は正直でした。
    喪失感をしっかりと涙は感じ取っていたのだと思いしらされました。
    今でも、子供の前では平気な顔をして、たまに帰省する子供にサラサラした感じで接しています。だけど、静かに気づかないうちに涙が流れている時があります。
    涙を流さない為に、いろんなことにチャレンジしています。だから、涙は栄養剤。流すから前に進める。
  • 2008.04.11 01:49
  • あ〜ち ( 埼玉 22歳 )

  • 私の母は8年前に亡くなりました。
    それから父と2人、ケンカしながらも暮らしていました。

    そして、先日父が倒れました。救急車の中で「このまま…」と私は恐怖と不安でいっぱいになりました。
    結果は貧血や過労など大したことなく、その日のうちに帰宅できました。

    しかし、普段誰よりも健康でいる父が弱っている所を見て、改めて、
    ケンカして憎くても親は父しか居ないんだな〜。
    私は父を大切に思っているんだ〜。
    と実感させられ、夜、ベッドで泣いてしまいました。

    今ではケンカをする仲に戻ってしまいましたが、今でも父の存在や、倒れた時の事を考えるだけで「ナミダ」しまいます。

    まだまだ健康で長生きしてもらわないと困るんですけどね。
  • 2008.04.10 21:06
  • ゆちは ( 大阪 32歳 )

  • 3年前の11月のある夜、母から電話がかかってきました。
    その内容は幼なじみが亡くなったという知らせの電話でした。
    同い年の幼なじみ。訳あって18才の時から会っていませんでしたが、結婚して4人の子供のママになっていることは知っていました。3人目を妊娠中だった私は虫の知らせか10月の終わりからその娘に「どうしてるかな…会いたいなぁ…」と、思って毎日を過ごしていました。そんな時のこの知らせに「なんで?」と、愕然とし、涙が止まりませんでした。泣いている私の傍らにいた当時1才の娘。「ママ?」と言いながら差し出してくれたタオルに顔をうずめ、なかなか泣き止まない私の頭を撫でて「大丈夫だよ。」の言葉にまた涙が止まりませんでした。
    翌日、お葬式に参列し、久しぶりに見たその娘の顔はとても綺麗でした。その娘の子供達の毅然とした立ち振る舞い。「お母さんはいつも側にいてる。」と言った1番上の子の言葉にまた涙が止まりませんでした。
    3年経った今、このメールを打ちながら思い出して涙が止まりません。
  • 2008.04.08 16:13
  • さーこ ( 大阪 20歳 )

  • 私は二年前に大阪の親戚が経営する会社に就職が決まり、無事に高校も卒業し、二年前の四月九日に地元秋田を離れ大阪に来ました。

    その日の朝、部屋で空港に行く準備をしていたら、お母さんが入ってきていろいろ話した。こんなに話したのは初めてじゃないかと思うくらい話した。

    そして突然お母さんが言った。

    「お母さんは、あなたのことを本当の子供だと思ってる。だから帰りたくなったらいつでも帰っておいで。あなたの家はここだからね。」

    この言葉を聞いた瞬間、涙が出た。止まらない。止めようと思えば思うほど出てくる。

    私は小さい頃に両親が死んでいて、お母さんの弟家族に引き取られました。本当の子供じゃないのにここまで育ててくれて感謝している。

    この家族で育ったことが、こんなにも幸せだったことに気付いた。

    アリガトウの気持ちが溢れて流した四月九日の涙は忘れられません。
  • 2008.04.08 15:14
  • マサミ ( 福岡 28歳 )

  • 学生時代に大失恋をした私。
    夜も眠れずに泣いていたら友達が電話をくれて
    『マサミが泣いてたら私も悲しい。今から会いに行くから』と言い原付で1時間もかけて泣きながら駆けつけてくれました。
    まさか私の為に泣いてくれるなんて!
    悲しくて切なくて孤独を感じてた私の心を友達の涙が優しく癒してくれました。

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