ジャマイカと日本を互いに行き来して5年間育んだ関係が、終わりを迎えた。その時、PUSHIMは妊娠中だった。
 「こんなことってほんとうにあるんやなぁって、思いました。"幸せの十ヶ月"みたいなイメージがあるけど、妊娠中って精神的なアップダウンもあるやないですか? そこに、いろんなことが重なって。彼との別れ以外にも、個人的なことが、2つ3つ。ダブル、トリプルパンチみたいな、試練の時やった」。
 なにも、よりによってそんなタイミングで――と思うようなことだが、PUSHIMは言う。
「もちろん、たくさん泣いたけど、お腹に子供がいてる強さ、みたいなもんが、ありました。もし妊娠していない状態だったら、もっと感情的にウワーッてなってたかもしれんけど、ちゃんと働いてこの子を育てていかな、という気持ちがあったから。そういう意味では冷静やった」。
 ドン底まで落ち込んだ時に、実感したんです。これまで私は気性も荒くて、よく人とぶつかってとんでもなくワーワーやってきたのに、家族も仕事仲間もみんな、それでもずっと側にいてくれてるんだなって。
 私はなんて恵まれているんやって、すごく思いました」。

『ひとつの恋の終わり
 Oh 泣いてばかりじゃ 見えないさ
 Sun will shine
 失うものは
 本当は 何も無いんだ
 また訪れる So In Love』

 「試練みたいなもんは、人生のどっかに絶対にあるんです。でも、そのド真ん中にいた時も、これは越えられる試練や、自分さえ負けなければ大丈夫やって、どっかで分かっていた。30(歳を)過ぎてくると、そういうもんも分かるようになってくる」。
 そのヒントのようなものは、経験からくるものだ、と彼女は言う。過去に試練をくぐり抜けた"実績"が、未来の試練を乗り越えるために、必要なものとなる。
 「歌詞を書く行為にも救われました。もう、とことん落ち込んで、グワー泣いていても、あ、私今泣いてる、他にもこういう想いした人たくさんいるはずや、今すぐ書かな! って。そういう"ゲンキン"なとこ、私すごくあるんですよね(笑)。どん底の気持ちも、そこから抜け出た瞬間の気持ちも、ぜんぶ書き留めて曲にせなあかん、みたいなところが」。

『ひとりじゃないんだ
 孤独もあるさ
 掴めないShooting star
 また朝はやってくるさ
 Light up your fire
 Light up your fire』

 34歳の冬、PUSHIMは男の子を産み、母となる。
「自然(分娩)で産むって決めたのは自分やのに、あまりにも痛くて"麻酔打ってくれぇ!"と叫んでました(笑)。でも、産み落とした瞬間、もうひとり産める、と思った。不思議やった」。
 子供を育てるという行為には、自分の子供時代を別の視線からなぞるような不思議な感覚がありませんか、と聞くと、パッと晴れたような笑顔になって、彼女は話す。
「むかし、おばあちゃんが私を寝かしつける時に、リズムに合わせて、パンッ、パンッて、けっこう強く私のお尻を叩きながら、ねんねぇ〜ねんねぇ〜」
 ―――と、PUSHIMは拳を効かせた低い声で歌いながら、抱いている赤ちゃんのお尻を叩く仕草をしてみせる。
「こうやって、やってたなぁおばあちゃん、って思い出しながら私も息子にやるんです。そしたら(息子も)ねんねぇ〜やって、って言ってくるようになって」。
 柔らかい母の顔になった、と思ったら、またころっと表情を変えて彼女が笑う。
「鬼の形相のようなおばあちゃんの、顔もね。喧嘩してるときの顔をパッと鏡でみたらソックリやったことがあるんです。男の人を責めてる時の自分の顔が、おじいちゃんに韓国語でキレてた時のおばあちゃん、そのものやった(笑)」。
 好きなところも嫌なところも何故か良く似てしまうのが、家族の面白さ。中でも特に、働き者だった両親をみて育った影響は大きい、とPUSHIMは言う。
「Light Up Your FireのMVも、割烹料理屋でアルバイトしていた経験がもとになっているんですけど、学生の頃は、服屋と料理屋のバイトを掛け持ちして、夜は歌って。がむしゃらやったけど、働くことが自然なものとして(自分の中に)ある、というのは両親の影響です。朝から晩まで働いているのを見て育ったから」。
 だから息子にも、自分が一生懸命働いている背中を見せることで何かを伝えられたら、と願う。
 「寂しい思いをさすこともあるかもしれんけど、それは私も同じやったから。もちろん、まだ3歳半やから、ほんとうの意味でのお母さん業はこれから始まるんだと思っていますけどね」。
 子供が生まれて母になったことで、なによりも大きく変わったのは、人生の軸。
「すべて自分のためやったものが、人のためになった。そしたら、真剣に、真面目に、きちんと生きていかな、と思いました。ちょっと遅いですけど(笑)。本当の意味での大人に、なっていっているというか」。
 自由で、でも寂しさもあった、約15年間の「ひとり暮らし」から、両親と息子と四人で暮らすようになり、三年半になる。
「今の家の空間は、ほんとうに家族みんなでつくったものやから。妹夫婦も近所に住んでいて、むかし大阪でやっていたことを今、東京の一角でやっています」
 落ち着いた口調でそう話してから、ふっとプライベートな表情になってこう漏らす。
「一緒に住むべき男の人も側にいてっていうの、やっぱりええよなぁとは思いますよ。ひとりの女としては、もちろんそういうものを望んでいるんですけど、なんだかこれも不思議なもんで。みんなの"PUSHIM"のイメージ通りに人生がすすんでいっているというか。シングルマザーとPUSHIMって、イメージ全然ブレてないやん! って(笑)。自らそうしよう思ってやってるわけやないのに、どこまでもPUSHIMっぽくなってしもうてる」。
 アハハと大きく笑って、みんなの笑いを自然と誘う。大きな試練を乗り越えた彼女のどこまでも穏やかな笑顔は、周りをも明るい気持ちにさせてくれる。
「でも、今は、家族みんなで助け合って暮らしていて、ほんと、しあわせやって思います」。
 心のこもった彼女の言葉に、グッとくる。

『Hello another day
 たいくつな毎日が
 あなたを目覚めさせるの
 僕らはまだまだ この手を伸ばして
 指先に触れるFeeling
 行く手を照らす 地上の太陽』

 出産直後に東日本大震災があり、「ほんとうにいろいろなことを、深く考えさせられた」と彼女は話す。
 デビュー当時からずっと、途上国の子供たちの様子や戦争についてなど、音楽の中で社会的なテーマを扱ってきた。正義感から、というよりも「気性の荒い性格を、良く言ってもらえば、感受性が強い、ということになるんやと思います」。
 「たとえば、もし自分が戦争で子供を亡くした母親の立場だったらと想像してみると、もう……そんなのムリや……ってなって、どうにかしていきたいって想いが込み上げてくる」。
 震災が起きた時も、被災された方々のことを思うと言葉に出来ぬほどの痛みに襲われた。自分自身も母として、子どものことが心配で、「このまま東京に残ってええのか、ということも含めて悩みに悩んだ」。その一方で、アーティストとしては、ここで(この話題から)逃げてはいけないと強く思った。
 「そもそも自分のアイデンティティを求めて、何かを表現しているところがあるんです。在日三世として日本に生まれて、私は誰なんやって。存在意義を歌に探しているところがあって。そんな私が、今、歌わなかったら、歌う意味自体がないように思いました」。
 原発問題を含め、日本社会をここから変えていきたいとどんなに強く望んでも、日本国籍ではない自分には選挙権すらない葛藤など、赤裸々な想いも歌詞にした。(「It's A DRAMA」※1など)。
 「レゲエは、庶民の音楽なんです。それは、子供の父親と出会い、ジャマイカに長期滞在するようになって改めて実感したこと。ジャマイカは、お金持ちはとことんお金持ちで、それ以外の人はいつまでも貧しい生活を強いられるような国で。レゲエを支えているのは、そんな庶民たち。歌い手は常に弱者の味方やし、代弁者。生活の苦しさであったり、楽しさであったり、そういうものを歌うんです。
 それを日本に置き換えて歌うのが、自分が日本でレゲエをやる意味やと、改めて強く思いました。内戦があって食べるものもないのに銃を持っている子供がいる世界の中で、何でも持っているのに、何が大切なのか分からずに生きている子供も、大人も、日本にはいっぱいいる。心の貧しさをテーマにした"あすなろ〜Mental Povety〜"(※2)という曲をつくったのもそこから、です。
 そういうものをちゃんと歌っていかなきゃあかんと思っていて。でも、説教臭くなく。音楽として、響きもたのしく。そこを、自分の音楽づくりの美学としています。これまでもそこにはこだわってきたし、これからも、リアリティを歌い続けたい」。
 歌い手としての核となる部分がハッキリしたことで、20代後半から感じてきたスランプからやっと抜け出せそうだ、とPUSHIMは言う。
 「歌詞の説得力であったり、曲の世界観のつくり方であったり、そういうものは自分も楽しんでやっているし、デビュー時代から比べるとだいぶ養われてきた感がある」。
 彼女は常に、こちらが驚かされるくらい、とても謙虚だ。でもそれは、彼女の目指す先にあるものが、私が想像するレベルを遥かに越えているからかもしれない。
 そう感じたら、また改めて思った。
 ここから、4、5、6、7、80代。この人生が終わりに近づく頃も、同じように年齢を重ねたPUSHIMの、その時の想いをうたった歌を聴いていたい。切に思って伝えると、彼女はすこし照れたように「ありがとう」と言って、笑ってくれた。
 「ほんまに、これは、一度きりの人生やから。思い切り生きなもったいないって、最近つくづく思うんです。いつ、終わるかも、誰にも分からないんやから。謳歌せな、もったいない」。

―――だから、"Light up your fire "。

「この曲の"this is my message to you"というメロディは、息子の3歳の誕生日に、ふわっと頭の中に流れてきたものなんです。レコーディングから自宅に戻る途中で、夜道をひとりで歩いていて、あ〜、今日、誕生日なんやな〜って思っていたら"happy birthday to you"という歌詞と共に浮かんで。
 だから、息子に向けた歌でもあって。生きろよ! 大きくなれよ! いっぱいいろんなこと経験しろよ! って。そんな気持ちで書き始めたんやけど、今年は自分の15周年で、自分に打ち勝たないかん年だということもあって、最終的には、自分に言い聞かせるようなメッセージソングになりました」。
 最愛の子供に、伝えたいと願うこと。それは、自分自身に対しても、最もかけてあげたい言葉だったりする。何故ならそれが、心のド真ん中にある、一番のメッセージなわけだから。

『Light up your fire
 Light up your fire
 君という名の炎 』

 我が子への"Happy birthday to you"から生まれた"This is my message to you"というメロディが、曲の終わりに、私たちまで運ばれる。この流れに私は、彼女の愛をより感じる。

『おかえり春の日よ
 真夏のどしゃぶりも
 Light up your fire

 淋しい秋の夜も
 つらい冬でも Hold on
 Light up your fire

―――This is my message to you.』

<Life goes on…♥>



「Light Up Your Fire」
 自分の曲の中で一番好きな曲は? そう質問されたら、PUSHIMは必ず「今の曲」と答える。歌詞の説得力、歌声、サウンドアプローチといった音楽的な部分はもちろん、すべての経験を糧に彼女自身が常に進化しているからだ。この「Light Up Your Fire」は、メジャーデビュー15周年のベスト盤に寄せた最新曲であり、作品の幕開けを飾る曲。「一回きりの人生、おもいきり謳歌しないともったいない。魂を燃やして生きよう!」。東日本大震災があってから、PUSHIMはステージ上でMCをする度にそうメッセージしてきた。この想いを「Light Up Your Fire」というタイトルで括り、これまでも数々の名曲を共に生み出してきたTANCO(HOME GROWN)を共同プロデューサーに迎え、スタンダードなレゲエのリズムにのせて力強く歌い上げた。実はもうひとつの最新曲「ララバイ feat. キヨサク(MONGOL800)」でも、〈できる事は 魂を燃やすことなのさ〉と同様のメッセージを曲に託している。この2曲が作品の最初と最後に収録されているという"仕掛け"も、ベスト盤を聴く楽しみのひとつだ。15周年という節目を迎えたPUSHIMだが、「まだまだ落ち着いてる場合じゃないで」と過去を振り返ることはない。魂を揺さぶる歌を届けるために、これからも「今の曲」を書き続ける。(文/馬渕信彦)

※1
8thアルバム『It's A DRAMA』のタイトルチューンでありオープニング曲。震災、原発、浮き彫りになる様々な問題を前に、改めて今を生き抜く決意表明が綴られている。〈ここで戦うことは 自分で決めたんだ〉という歌詞からも、PUSHIMの人生=ドラマの一片が垣間見れる。
※2
2008年にリリースした通算6枚目のオリジナル・アルバム『RENAISSANCE』収録曲。いろんな経験をして、学び、想像してみることで、人間力は高まっていくとメッセージする。トラックは当時ジャマイカでヒットを連発していたプロデューサーDon Corleon制作の哀愁系ワン・ドロップ。


LiLy
作家/コラムニスト
81年神奈川県生まれ。蠍座。音楽専門誌やファッション誌でのライターを経て、恋愛エッセイ「おとこのつうしんぼ」でデビュー。最新刊は女の自意識をテーマにした小説「ブラックムスク」(小学館)
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