ライブでのゲンかつぎグッズ 2006.12.31[13:07]
僕は何気にライブ前はコレをしなければ!とかライブ中はコレが無くちゃダメ!みたいなものが多いです。

ということで今回は、おそらく渋公のライブでも活躍するであろう、ライブには欠かせないアイテムや、ゲンかつぎグッズをちょっとだけ紹介します。
菊住

まずはコレ 2006.12.31[13:05]

ご覧の通りスニーカーです。このドラム靴は現在3代目。
ちなみに初代のドラム靴は高校生の頃に履いていた体育館シューズでした。
(つま先に「菊住」ってちゃんと名前が入ってた)
ちなみにサイズはジャストで24.5センチ。男性にしては相当小さいですね。
菊住

続きましてはコレ 2006.12.31[13:02]

耳栓です。
これを耳に軽ーく詰めておくと、程よく倍音がかき消されて
他の音がクリアに聞こえやすい・・・気がします。
最近のライブでは欠かせないですね。
菊住

そしてコレは 2006.12.31[13:00]

タイコの皮を張ったり、緩めたりする為のチューニングキー。
つーかドラマーはおそらく全員持ってます。
菊住

日記でもたまに書いてますが 2006.12.31[12:56]

ライブ前には絶対にコーラを飲みます。
何でそうなったかはもう忘れてしまいましたが、これはもう儀式ですね。
正直ツアーで毎日ライブが続くと、たまーに辛い時もありますが。
じゃあなんで飲んでんだって話ですが、いいじゃないですか、にんげんだもの。
菊住

ちなみにライブ当日に履くパンツもなんとなくですが決まっています。  2006.12.31[12:52]

・・・と、さすがに僕も恥じらいがあるのでモザイクをかけておきました。


渋公でもこれらのグッズ(?)は活躍すること間違いなし!
菊住

ターメリックに願いを込めて 2006.12.28[01:47]
ロックの殿堂、渋谷公会堂でのライブに向かって進んで行くこの『渋公への道』本番は3月18日だ。
まだ先は長い様だが、毎日の着実な一歩の積み重ねが成功に結びつくはずだ。
そこで、渋公ライブへへ向けて今日から何か願掛けしてみたいと思うのだ。

願掛け。考えてみたらこれまでの人生で願掛けをした事が無かった。
やはりポピュラーなところでは水ごりなどが考えられるところだろうか。寒い中頭から水をかぶるアレである。
水ごりかー。嫌なの思い付いちゃったなあ。季節はこれからいよいよ冬本番である。
まあつらい事をあえてやるからこその願掛けである訳で、そういう意味では今年も待望の水ごりシーズン到来!と言えなくもないが、やっぱりどう考えても寒すぎるから却下。風邪なんかひいたら本末転倒だし。
で、ちょっと今調べたところによると梅田の故郷能代市の報恩院というお寺では毎年冬に水ごり荒行を行っているらしい。という訳で水ごりは梅田にまかせて僕は何か別の願掛けを考える事にしよう。

他には何か好きなものを断つ、というのも考えられる。
好きなもの。ガチャガチャ。でも30にもなって『大事なライブに向けてガチャガチャ断ちしてます!』というのはさすがに迫力不足だろう。
うーん。他に好きなのは妖怪かなー。でも『妖怪断ち』って一体どうやればいいのか分からないなあ。
煙草は2年前にやめたしお酒もそれ程飲まないし、と、ここでハタと願掛けにぴったりの大変なものの存在に気付いてしまった。
カレーだ。カレーこそ、男が何か大きな仕事を成し遂げようと言う時にその思いを託すに相応しい存在では無いか。
『たかがカレーじゃないか』と思うなかれ。この世でいちばん好きな食べ物は何か、と問われれば迷わずカレーと答え、CMでケイン・コスギが『得意科目はカレーです!』と発言するたびに『俺の方が得意じゃい!』と苦々しく思っていたこの私だ。
うん、決めた。今日から渋谷公会堂のライブが終わるその日まで、私永友聖也は一切カレーを口にしません。
つらいなあ。書いてるだけでつらいけどそれぐらいじゃないと願掛けにはならないので頑張ります!
あーでも、カレーパンは許して。
永友

渋公と私 2006.12.24[18:57]
僕が「渋谷公会堂」という名前を初めて知ったのは中学生の頃。当時大ファンだったバンド、ボウイはそこで解散宣言をしたらしいと友人に聞かされ、思いを馳せる。当時、東京の大きなホールはあと武道館とNHKホール(これは紅白歌合戦の会場ということで)くらいしか知らなかった。

実際に初めてライブを観に行ったのは、大学のバンドサークルの後輩とドリームシアター(アメリカのプログレ・メタル・バンド。分かりやすいバカテクを誇る)を観に行った時。実際どうなのかは知らないけれど初めて観に行ったライブが外タレのライブだったからか、渋公は沢山外タレもライブをやる小屋というイメージがある。自分が座ったのは二階席だったのだけれど、意外と(?)ステージが見やすかった(ついでに、ドラムも見やすかった)。音楽のタイプにもよるかもしれないが、自分は割と座って観てました。

そういえば僕の初めてのライブ体験はオジーオズボーン(ヘビーメタル界の帝王)という人のライブで、そこもホール。観に行った小屋は福岡サンパレスというホールで、そこの3階で観ていたのだけれど、隣の(たぶん)高校生2人組が全力でヘッドバンギング(主にメタルやハードコアのライブで見られる、頭を激しく上下に振る動作)をしてたのが激しくバカバカしくて(いい意味でですよ)印象的でよく覚えてます。ホールでも色んな見方があるものだと思った記憶があります。

ホールでのライブはバンドのスケールが問われると思うし、もう古いイメージかもしれないけど渋公はロックバンドをやっている者としての憧れもある。
来年の3月18日、きっといいライブにしてみせます。
菊住

渋公と私 2006.12.21[16:21]
確かに渋公ってすごい略し方だな。先生の事を「センコー」って言ってるみたいだ。あとハチ公とかもそうだ。

実は俺は最近まで渋公にライブを観に言った事がなく、ついこないだスパルタローカルズを観たのが最初だった。なので渋公についてアツく語るのはなんとも申し訳ないが、あのステージは他と何か違うと思った。スパルタローカルズのパフォーマンスも素晴らしいのはもちろん、なんかステージ上の彼らにより夢中にさせてくれる感じが渋公にはある気がした。ステージから会場全体にエネルギーを放射してるような気がした。ロックコンサートにはもってこいな会場だなと思った。

もともとなんとなくロックバンドの聖地と言うイメージを持っていた。それはあのボウイが解散を宣言した場所だということだ。中学の頃「すべての夢見るヤツらに贈るぜ!」と言って『Dreamin』を歌う氷室京介にクラスのロック好き達は心酔していて、当時ボウイをあまり知らなかった俺もライブ盤を通してロックコンサートの熱気を感じていた。なんだかボウイは凄い大きな存在で多くの人達が熱狂してるんだなと感じていた。

いろんな先人達の足跡が刻まれたステージはどんな心地なんだろ?そこに立つからには当時ボウイに熱狂していた俺達みたいなヤツらの期待を裏切らない熱狂的な一夜にしたいと思った。

あと大人になってから知ったのだが、ドリフの「8時だよ全員集合」の公開生放送は渋公でやってたらしく、それを知ったとき改めて「渋公ってすげーんだな」と思った。
梅田

渋公と私 2006.12.19[23:05]
来春、3月18日渋谷公会堂でのライブが決定した。
何と言っても、数々のロックの伝説が生まれたあの渋公である。いやが上にもテンションは上がる。超アガるー。
まずは『渋公』って言葉の響きがいいですね。
建物を表す名前なんだからどっちかって言うと正しくは『渋堂』では無いかとも思うのだが、やはり『渋公』の方がグッと重みを感じる。
人が渋谷公会堂を『渋公』と呼ぶ時、そこには単なる略称を越えた畏敬の年が込められているのだ。そう、勝新太郎を『勝新』と呼ぶ時のように。

初めて渋公で観たライブは、1998年5月19日の奥田民生『股旅ふたたび』ツアーの東京公演だ。
当時僕は大学を卒業したばかりであったが、就職せずに、毎日図書館に通ったり散歩したりたまに思い出したようにバイトをしたりとまあこれと言った目標も無くぼんやりと過ごしていた。
そんな、若干22才にしてセミリタイアな暮らしをしていた当時の僕にとって民生さんのステージは正に鮮烈なものだった。
たしか二階席の、バンド全体の立ち振る舞いや表情がはっきりと見渡せる席だった。
民生(敬称略)が吠える!長田さんのスライドギターがうなる!ネギ坊のベースが、しーたかさんのドラムが、有太さんのオルガンがドライブする!その様が強烈な生々しさを持って迫って来た。
うわー、バンドだなー、と。
何と言うか、ライブハウスで観るライブは体で感じるものだと思うのだが、ホールでのライブはステージ上の男達(女でもいいですが)のやりとりから音楽が生まれる様子を俯瞰から目撃するような体験で、そのカッコよさ、神々しさにノックアウトされたのだ。
と、同時に毎日ふらふらしている自分に対して強烈な焦りを感じた帰り道、東北本線快速ラビット号の夜だった。

それからすぐに僕はキャプテンストライダムを結成した。
永友

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