タカチャ
1981年10月28日生まれ。27才青森県八戸市出身。


~デビューまで~

 父が吹奏楽部顧問、母が合唱部顧問という音楽一家の家庭に生まれる。4歳の時からピアノを習い、中学の時に友達から誘われたのがきっかけでロックバンドに興味を持つ。当時はやっていたXJapanに憧れ、「Destiny」というメタルバンドを結成(ギターを担当)。そして、当時クラシックしかなかった家庭にコンプレックスを感じていた本人は、その反発からか高校を中退し、メジャーアーティストを目指すため17才でメンバーと共に上京。しかし、バンドはうまく行かず半年で解散してしまう。
 
 他のメンバーが帰郷してしまい、何度も八戸に帰る事を考えた。そんな本人が東京に留まった理由は、上京後に鳶(トビ)に就職した事だった。六本木ヒルズなどの高層建築に数多く携わった本人は、鳶という仕事に誇りを持っていた。

 東京の生活に慣れ、夜はクラブで遊ぶようになっていた本人は、その頃からダンスミュージックにのめり込む。自宅でコツコツ機材を買い込み、一人でDTMによる音楽制作に励んでいた。しかし、その時は音楽は趣味としてであってメジャーアーティストになるという夢はあきらめていた。「音楽の道はあきらめたのか?」そんな本人を変えたのは、あるとき母が電話の向こうで放ったこの一言だという。やがて、クラブで深夜イベントのオーガナイザーを経験し、自らそのステージに立ち始めるようになる。歌ってみて始めて自分の歌声に可能性を覚え、直ちに10社を越えるレコード会社に募集の有無を問わず、一斉にデモを送った。上京して6年、歌い始めて1年デビューを果たす。鳶職はデビューの一週間前までキッチリ勤めた。


~デビュー後~

 2005年3月にインディーズ・リリースした1stミニアルバム「Your heart is...?」が、ほぼノンプロモーションながら、オリコン・インディーズチャートTOP20にいきなりランクイン、ロングセラーを記録。2005年7月のメジャーデビューシングルとなった「ソノサキニ」は、全国25局のFM、CSでパワープレイされヒット。話題は広がりSMAPに楽曲提供するなど、作家としての一面も見せた。

 同年、全国ライブツアーを行いファイナルを地元の八戸に設定。地元初ワンマンにして集客数は1000人を超えた。また、毎年来客数100万人を超す祭り「八戸三社大祭」に4年連続参加。市民の前で「来年はもっと八戸を盛り上げます」と公言。本人の夢は「青森でビッグフェスを実現する事」。

 2006年7月に1stフルアルバム「I (LOVE) 田舎」をリリース。このアルバムのジャケットで使用された「I (LOVE) 八戸」Tシャツがきっかけで,八戸市では最年少の八戸親善大使に選ばれる。

 2007年は6月のリリース以降ライブ活動に力を入れ、全国インストアツアーなど年間100本近くのライブをこなした。11月に配信限定で発売された「Everything」が有線放送を中心に問い合わせが殺到。

 2008年3月ここで、思わぬ壁にぶち当たる。翌月にリリースを控えていたが、その矢先撮影中に骨折というアクシデントに見舞われる。複雑骨折により、手術入院を余儀なくされ、予定していた全国キャンペーンやライブをキャンセルする事となる。しかしこのアクシデントにを乗り越え7月から活動再開。そして怪我後ライブスタイルを一変。シンガーがDJブースの中で機材を操りながら歌う、他にはないひと味違ったSingJayというスタイルを演出。ギターを片手にスローミドルのラブソングから、タオルを振り回しダンスホールアッパーチューンまで、パフォーマンスは多彩でとにかく「熱い」。

 2009年1月「オマエ」は俺の太陽リリース!