サラ・バレリス
【サラ本人によるBIOGRAPHY】

…という訳で、自己紹介をすることになりました。
何かこじゃれた文章を書こうともしたけれど、そういうタイプじゃないから…可愛げのない自己紹介です。

私は物心付いた頃から曲を書いてきた気がします。書いていて楽しくなる曲もあればクズみたいな曲もあるけど、
自分の頭を使ってやることにどんなことがあるか、自分の頭の中に曲を書くこと以外に何があるのかなんて想像もつかない私だからこそ書いた曲なの。曲と、下手くそな詩。おおかたは曲だけかな。

「リトル・ヴォイス」は私の初めてのメジャー・レーベル作です。2005年の確定申告締切日にエピック・レコーズと契約しました。
翌年は大半の時間を、7月3日に発売されるアルバムの曲作りやアイデアの発展に費やしました。ソングライティングは、私にとって一番神聖なもの。
自分の世界を作り上げていく手段です。今のところは、大抵ピアノ(持っていないので借りています)とサシで向き合って、拙い文法と、心がはちきれそうになるような感情で曲を作っています。

レコーディングに入ったのは2006年2月。完成したなと思える境地に達するまでには1年くらいかかりました。
最高の音楽を作るために、プロデューサーのエリック・ロッシと熟考、言い争い、歩み寄りに数え切れないほどの時間を費やしました。
自慢できることじゃないけれど、色んな意味でけんか腰だったかも。最終的にはボロボロで傷だらけになった二人と、二人にとって思い切り誇れるアルバムが残りました。
今までの人生で最も波瀾万丈で、ありがたいことにアーティストとしての自分をより強く良いものにしてくれた年のひとつを代表する作品になっています。心から感謝しているわ。

「リトル・ヴォイス」は、私にとってすべてと言っていいくらいの曲たちを集めた作品です。
私の人生、人間関係、無力さ、そして自分の思いのままを歌にしてシェアするということに対する絶対的な情熱の記録。タイトルの由来はそこにあるのよ。
このアルバムは、何と言っても自分の本能を信じることを学ぶこと、そしてさらには、自分の心の声を聴くことを学ぶことを、どれだけ痛切に自分が必要としていたか、が要になっています。
たとえ自分の経験が浅くて、甘ちゃんだったとしても。陳腐に聞こえるけれど、そういう小さな声が、時として真実を語っている唯一の声だったりするのよ。それってヤバいくらいクールなことだと思うわ。



「どんな音楽かって?」

私がほとんどの作曲にピアノを使っているのと、女の子だからということで、色んな人にノラ・ジョーンズやフィオナ・アップルみたいって言われるの。
それは構わないわ。ノラの繊細さも、フィオナの激しさやリリカルな才能も好きだから。でも私は、エルトン・ジョンやベン・フォールズみたいな、遊び心があってインテリジェントなポップスにも強い魅力を感じるのよね。
それから、必ずしも作風は似ていないけれど、レディオヘッド、ポリス、ビョークなんかも、私の音楽に対する意識を変えたと思うわ。
ベン・ギバード(注:シアトルのインディー・バンド、デス・キャブ・フォー・キューティのヴォーカリスト)は私なんかが想像もつかないほどの素敵な歌詞を書くし、
エッタ・ジェームズやサム・クックを聴いていると50年早く生まれたかったと思うわ。
カウンティング・クロウズのアルバムの中には私が完璧だと思う作品があるし、ボブ・マーリーの作る曲を聴いていると、人間としての向上心をかき立てられるの。
そういうものを吸収してきました。自分の中に。どこかに。以上の情報は好きに解釈してくださいな。漠然とした自己紹介だけど、これで精一杯だから。

「どこ出身で、これまで何をやってきたの?」

育ったのはカリフォルニア州ユーリカ。ほとんど無名の街だから説明するわね。
カリフォルニア州の海岸を、消費税がかからなくなる手前(オレゴン州のことよ)まで北上して行ったところにあるの。
レッドウッド(注:国立公園がある)の森の中で暮らして、林の中で大半の時間を過ごすことによって、想像力がものすごくたくましくなったの。
今でも維持しているって自信を持って言えるわ。高校では合唱団に所属して、地元のミュージカル劇場に出演したり、ソフトボールでライトを守ったり、馬に乗ったり、あと失恋も何回かあったわね。
ぎりぎりノーマルな高校生だったわ。すごくラッキーだったと思う。

UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)に入学するためにLAに移って気づいたのは、世界が自分のふるさとより大きかったってこと。ずっとずっと大きかったわ。
学校ではコミュニケーション専攻だったけど、色んな場面で自分を取り巻く世界をこっそり観察していたの。
バカバカしさ、すばらしさ、ちっぽけさ、自由、新鮮さを味わって、それを全部書き留めなくちゃと思い始めました。それでそうしたの。
そうしたら、書いたものを歌いたくなり始めて。オープンマイク(注:自由参加のステージ)や小規模のショウに出るようになって、ショウの規模が段々大きくなって、そのうちミュージシャンを自称するようにまでなったの。
バンド・ツアー仲間と出会って、ようやく音楽を人とシェアするようになりました。
彼らのおかげで、“ファミリー”の意味を再発見したわ。マネージャーのジョーダン・フェルドスティーンが、小さなチャンスを大きなチャンスに育ててくれたおかげで、
私はウェイトレスを卒業することができました。しりもちをついたことも一度や二度じゃないけれど、他の何よりもこの仕事をやった方がいいって思ったんだから、構いやしないわ。 そんなところ。

「何でこんなに長いバイオを書いたの?」

すごく自分に甘いのは分かっているけれど、自分にとっては全部大切なことだし、
ひどい編集者だから。まあ、読んでくれてありがとう。話を聴いてくれてありがとう。
口の悪さを見逃してくれてありがとう。そして、この音楽に興味を持ってくれてありがとう。
本当に本当に、心から感謝しています。

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