ライアン・アダムス

1974年11月5日生まれ。故郷ノース・カロライナのローカル・パンク・バンドを経て結成したウィスキータウンで97年にメジャー・デビュー。作品は好評を得て将来を嘱望されるも、バンドは自然消滅。00年にソロ第1作『Heartbreaker』を発表。以降、2014年までソロとして14枚のアルバムを発表(正式にパッケージとしてリリースされたものだけに限る)。かつて、自らを「気まぐれな多産家」と呼んだシンガー・ソングライター/ロックン・ローラー/恋多き男は、ハードコア・パンクからニュー・ウェイヴ、カントリー、ヘヴィ・メタルまでを、本能のままに行き来しながら名曲を産み落とす。09年初頭に一時的な音楽活動休止を宣言するが、翌年には徐々に復活の兆しを見せ始め自主レーベルからのリリースも。私生活では2015年1月に女優で歌手のマンディー・ムーアとの離婚を発表。約6年間の結婚生活に終止符を打った。様々な想いを胸に秘め、『1989』の制作を開始した。

 

[PAX-AM スタジオ]

ロサンゼルスに設立。同スタジオはライアン自身が所有/運営するPAX-AMレーベルのレコーディング・スタジオを含む様々な活動のホームベースとして機能するもの。オーナー/運営者として、ジェニー・ルイスやフォール・アウト・ボーイ等、他アーティストのレコード・プロデュースも行っている。

 

[趣味] 

ピンボール、猫、コミック、詩、メタル、アメリカン・ハードコア

 

音楽的ルーツ

ボブ・ディランやニール・ヤング、ストーンズといった当然のルーツは書くに及ばず。青春期はスケボーとハードコア・パンク(ブラック・フラッグ、ハスカー・ドゥ、X、バッド・ブレインズ…等々)に夢中だったというが、実はかなりのメタル・マニアでもあった。それが証拠にfacebookではお気に入りのメタル・アルバムを1枚ずつ紹介、そのラインナップは80年代の流行りものにとどまらない。10代の終わり、パンク・バンドをやめた頃、祖父が遺したレコード・コレクションがきっかけで、幼少期に親しんだハンク・ウィリアムスやジョニー・キャッシュ、ウィリー・ネルソンを聴くようになり、カントリー探求の道が開けた。かと思えば、ザ・スミスやザ・キュアーなどの英国バンドや、ピクシーズやリプレイスメンツ、ソニック・ユースなどの米カレッジ系音楽の知識も豊富。さらにはグレイフル・デッドも大好きで、フィル・レッシュ&フレンズに参加した時には、喜々としてデッド曲を演奏した。