リー・ライアン
 これまでのトータル・セールス1200万枚、3枚のオリジナル・アルバム全てがUKチャートNo.1、8枚のトップ5シングルのうち3枚がNo.1を獲得し、デビューから5年間に渡ってUK No.1ヴォーカル・グループの座に燦然と輝き続けてきたBLUE。

 現在22歳。BLUEの中で、力強く、すぐにそれとわかるヴォーカルと独特のキャラクターでBLUEの輝かしい歴史の一角を担ってきたリー・ライアン。ルースター、ナタリー・インブルーリアらが所属するBrightside Recordingsとソロ契約を交わし、デビュー・シングル「アーミー・オブ・ラヴァーズ」で、ソロ・アーティストとして、類稀な才能と多くの才能を携えて、さらなる輝かしい未来へと今踏み出した。

 

 ワムから出発したジョージ・マイケルのように、テイク・ザットから誕生したロビーのように、ソロという分野への進出は、天賦の才を持つこの青年にとって、ごく自然な次のステップであり、パフォーマンスに対する彼の欲求は、つつかれたり諭されたりして、教えられたものではないのだ。

 

 2001年、BLUEがシングル「オール・ライズ」でデビューを果たした時、リーは17歳でグループ最年少のメンバーだった。情熱あり茶目っ気ありのパフォーマンスで評判となった彼は、あっという間にファンたちの心を獲得してゆく。BLUEがグループとして成長し、人気も上昇してくると、シンガーとしてもソングライターとしても、リーが本物の才能を持っていることが明らかになり、その結果、BLUEの代表曲を共同制作し、全員がリードをとるヴォーカル・グループ、BLUEの一角を担ってきた。

 

 BLUEでは、彼はタブロイド紙を賑わす少年だった。もしくは本人の言うように、「いつもトラブルに巻き込まれていたんだ。僕に関する記事を売ろうとしていた女の子たちが10人はいたけど、自分にははどうでもよかった。それで彼女達が新しい靴を一足買えるなら、僕が怒ることはないよ」ということだ。5年に渡ってUK No.1ヴォーカル・グループの座に輝き続けてきたBLUEの中で、彼の探究心旺盛な生まれ持った知性、アーティストとしての才能、最高の声を響かせるシンガーという並外れた能力を育ててきた。

 

 デビューから5年、BLUEは世界中で最もビッグなポップ・グループのひとつとなり、多くの賞をその手中に収めた。2002年BRIT AWARDSの「Best Newcomer」、同年SMASH HITS AWARDS の「Best UK Band」と「Best Live Act」、それにCAPITAL FM AWARDSでは、「Best Single」のみならず、「Best Newcomer」と「Best Pop Act」までをも受賞。さらにMTVジャパンでは、「ワン・ラヴ」のビデオが視聴者の投票で「Best Pop Video」に選ばれ、MTVアジアは「Best International Group」と位置づけている。また、オーストラリア、ニュー・ジーランド、ベルギー、スウェーデン、ノルウェイ、デンマーク、香港、マレーシア、タイ、アイルランドといった国々で、ビッグ・ヒットを生みだした彼らは、世界中で800万枚のアルバムと、400万枚のシングルを売り上げた。

 

 BLUEのメンバーとして活動する中で、リーのヴォーカルの才能は、今日の音楽業界に君臨する大物達から、一目置かれるようになった。彼はBLUEで既に世界規模のスーパースター達、例えばエルトン・ジョン(「Sorry Seems to be the Hardest Word/悲しみのバラード」)やスティーヴィー・ワンダー(「Signed, Sealed, Delivered, I'm Yours/涙を届けて」)らとコラボレートも果たしている。それにソロとして歩みながら、多くの偉大な人物達と共演するプランも進行中だ。

 

 リーの新たなソロ作品は、ソウルフルなコンテンポラリー・ポップスだ。これは大勢のBLUEファン達にとっては、彼らのヒーローと親しむ新たな機会となり、初めてリーを知る人達にとっては、聴いたこともないほど素晴らしいヴォーカルを発見するチャンスである。Buleとして5年間活動した後、リーは、いろんなアートに興味を持ち、かつ才能を携えた、経験豊富なパフォーマーとなった。本国UKでは、7月18日にソロ・デビュー・シングル「アーミー・オブ・ラヴァーズ」、8月1日にはアルバム『リー・ライアン』がリリースされる。

 

 デビュー・シングル「アーミー・オブ・ラヴァーズ」は、ファースト・アルバムへの良い道しるべといえる。マーヴィン・ゲイやマックスウェル、ルーサー・ヴァンドロスといった、時代を超えるソウルフルなポップ・ミュージックを求めた彼は、それらをアコースティック楽器の音色と織り交ぜ、強力で唯一無二のサウンドを作り上げた。きっと誰もが、TVやラジオから流れる音に合わせて、口ずさむ自分の姿を想像できるだろう。彼の、エレガントだが、その率直な歌い方は、聴く人の心にストレートに響くに違いない。

 

 BLUEの楽曲もいくつか書いてきたリーだが、全世界でビッグ・ヒットとなった「ブリーズ・イージー」はその1つだ。ソングライティングは、いまだ彼のなかで大きな部分を占めている。タブロイド紙に追いかけられる中でも、腰を落ち着けて夜明けまで楽曲製作をするために、リーがある種の夜遊びからきちんと家に帰ってくることを教えると、驚く者もいるかもしれない。「文字通り、仕事をしてそのままスタジオへ入るんだよ。そういったことから離れた生活をしようとは思わないんだ」

このソングライターとしての才能を養い続けることは、BLUEのヒット曲を、過去のものとして覆い隠そうとする者たちから受ける疑問に対する、必死の行動などではない。彼は技術を学ぶことを手助けしてもらえる人物を、積極的に探してもいる。「僕はマリオのプロデューサーのNeoから、「アーミー・オブ・ラヴァーズ」を書いてくれたNigel Hoyleといった新進気鋭の英国のソングライターまで、幅広い範囲の人々と仕事をしてきた」とリーは語る。「この楽曲を聴いたとたん、これはごくたまにしか世の中に現れない、時代を超えたポップソングのひとつ、って感じがしたよ」

 

 ソロ・デビュー作となる今作では、アルバム全体のプロデュースをMartin HarringtonとAsh Howes、中にはSteve MacやCutfather&Joeも参加。また、リー自らアルバム収録曲の半分以上のソングライトも手がけ、シンガーとしてだけではない、その類まれな才能をいかんなく発揮している。



 キャリアの第二章では、BLUEのメンバーとしての彼を、スターの座に押し上げることに力を貸してくれた人々と、再び結びつくことになった。今、リーはBrightside Recordingsと契約していて、レーベルメイトにはルースターやナタリー・インブルーリアがいるが、これはBLUEを見出したA&R、ヒュー・ゴールドスミスのレーベルだ。また、以前エルトン・ジョンとBLUEのデュエット曲、「悲しみのバラード」で共に仕事をした有名ディレクターのMax と Danyaを、地中海に浮かぶマヨルカ島ソリェルで撮影された「アーミー・オブ・ラヴァーズ」のビデオでも選んでいる。

 

 ソロに移行しながらも、リーにとってエルトン・ジョンは、親しい良き先輩のままだ。これまでリーと一緒に仕事をしたいろんなジャンルのアーティストたちは、つねに彼と過ごした時間を愛情いっぱいに語り、そして皆、リーの意欲と才能と素晴らしいヴォーカルについて触れている。

また、ソロに対する大望を知ったD&Gのデザイナーたちは、次世代のブランド大使のひとりとして彼と契約した。シングル「アーミー・オブ・ラヴァーズ」のビデオ・クリップの中でもD&Gの衣装を身にまとっている。



 目標達成のために、一生懸命働いてきたリーだが、彼は、若者の野心をたやすく打ち砕くような環境のなかで成長した。母親は厳しいロンドンで、たったひとりで彼を育てた。「僕らは何も持ってなかったよ。でも、僕が荒っぽい子供だったんで、母親は、この子は演劇学校に入れよう、って考えたんだ。集中力を高めることができるようになると思ったらしいけど、その通り、たくさんのエネルギーを、そこから掴み取ったよ。」



 Italia Conti、Bright Lights Academy、Sylvia Youngといった、様々な演劇学校での日々も終わりに差し掛かったころ、リーは、別の演劇学校へ転校し、彼は、つねに芸術に没頭していた。「大勢の歌の先生に習ったよ。16歳になるまでに、10人以上の先生についた。だから本当にたくさんのテクニックを学んだんだ。大体みんな、ひとりの先生と、ひとつの訓練を受けるだろうけど、僕は、それぞれ全部取り入れて、そして自分自身のルールを決めたんだ」



 演劇学校であらゆる規則を破っていたとき、彼は映画『バスケットボール・ダイアリーズ』と出会う。この映画はNYに暮らす10代のジャンキーの物語で、原作はジム・キャロルだ。これがきっかけで、リーは脚本を書くようになった。「’Changes’は、子供のころの僕の生活だ。でも僕だけじゃなく、成長期のキッズたちについての物語だよ。 “誰かが僕の口に差し込んだクラックのパイプを、そのまま吸ってしまったらどうなるんだろう?”っていうような内容。僕は’Changes’の監督もしているんだ。警視庁によって推薦された児童養護施設のキッズたちと、撮影の作業をしている。でも、別にいいとこ見せようと思って、そういうキッズたちとやっているわけじゃない。ぼくが伝えたいことにぴったりくる俳優が欲しかっただけなんだ」



 成長期の経験がとても厳しいものだった故、彼は、若いアーティストがよく遭遇する落とし穴の一部を避けられる強さを感じている。ドラッグや犯罪と戦う地域で育ってきたことは、ドラッグ問題に対する親友エルトン・ジョンの懸念が、ストリートに精通し中身も大人になったリーにつきまとうことはなさそうだということを意味している。「エルトンは、僕が業界に滅茶苦茶にされちゃうんじゃないかと、ちょっと心配していると思う。でも僕は、”同年代の仲間よりも先に、全部見ちゃった”って感じだからね」



 リーには世界中の人々をひきつける力がある。その才能、外見、魅力は、彼が今日最も活躍しているセレブのひとりだという証だ。リーの活力やエネルギーと熱意が2005年注目の最高にクリエイティヴで刺激的なアーティストたる所以なのだ。