チャーリー・ウィルソン
オクラホマ州タルサで生まれたチャーリー・ウィルソンは兄弟とともに父親の教会で音楽を演奏するようになり、家庭でも熱心な父親からレッスンを受けて育った。やがて長男のロニーが14歳のときに自分のバンドを結成、同じ頃チャーリーは別のバンドに参加していたが、偶然同じ日にそれぞれのバンドが向かいのライブハウスでパフォーマンスする機会があり、ロニーがバンドでオルガンを弾くチャーリーを目撃し自分のバンドに誘う。こうしてチャーリーはロニーのバンドに加入。やがてバンドのベース・プレイヤーが脱退すると、2人は末っ子のロバートを誘い、Greenwood、Archer And Pine Street Bandという名前で活動するようになる。略してThe G.A.P. Street Bandとしていたが、Gap Bandとミススペルされたのがきっかけで、ギャップ・バンドという名が定着した。



 70年代の半ばになるとチャーリーは自分の可能性をさらに追求するためにLAに移住する。程なくしてチャーリーはロニーとロバートもLAに呼び、LAをベースに活動を開始。やがて友人でありミュージシャンであったD.J.ロジャースの紹介でロニー・シモンズと知り合った彼らはついに契約を獲得する。



 1979年マーキュリーからリリースしたアルバム『The Gap Band』から「Shake」が彼らにとって初のスマッシュ・ヒットを記録。その後は「Steppin’ Out」「Burn Rubber」「Yearning For Your Love」「Early In The Morning」「Outstanding」などのヒット曲をうむ。



 ギャップ・バンドの活動と並行してチャーリーは1992年ソロ・アルバム『You Turn My Life Around』をリリース。2000年にはセカンド・ソロ・アルバム『Bridging The Gap』をリリースした。そして2005年にJIVE第一弾ソロ・アルバム『Charlie, Last Name Wilson』をリリース。R.ケリーがメイン・プロデュ−スを買って出たというこのアルバムは、全米R&B/HIPHOPチャート3位、総合チャートでも10位を獲得し、世代を超え受け入れられるチャーリーの現役ぶりを証明した。若きアーティスト達から敬われ続けるレジェンド的存在であるチャーリーは“アンクル・チャーリー”の愛称で親しまれ、同作品にはジャスティン・ティンバーレイクやウィル・アイ・アム、スヌープ・ドッグら豪華ゲストが参加し、チャーリーの偉大さを若い世代に伝えることに一役を買った。



前作から4年、遂に最新作『Uncle Charlie』が2009年3月(USは2月)にリリース。実力派プロデューサー・デュオ、アンダードッグスをメイン・プロデューサーに従えたこのアルバムは、グラミー常連のベイビーフェイスがソングライティングに加わったトラディショナルなリード・シングル「There Goes My Baby」他、現在全米R&Bチャートの1位を独走している最強コンビ、T-Pain&ジェイミー・フォックスとのアップビートなダンストラック「Supa Sexxy」などの多彩な収録楽曲で全米チャート2位、全米R&B/HIPHOPチャート1位を獲得している。