キャシディ
ポップ・ミュージックの世界は、ヒップ・ホップにスキルの向上とストリート・ミュージックとしての真価の復活を、再び強要してきている。そのなかでキャシディ(aka Da Problem)こそ、そのジレンマの解答だと言えるが、しかし未熟なスキルをごまかそうとしているアクトたちにとっては大きな脅威となり得るだろう。キャシディの持つ高いクオリティとアートに対する多大なリスペクトは、スウィズ・ビーツがニュー・レーベルFull Surface Recordsのデビュー・アクトとして、彼に白羽の矢を当てたことでも証明されている。
ラキームやビッグ・ダディ・ケーン、そしてNasらと同様、純粋なリリシストである20歳のキャシディ(バリー・リース)は、故郷のフィラデルフィアとNYの至るところで行われたバトルやサイファーを待ち進むことで、その才能を磨きあげてきた。そして彼はいまだ負け知らずである。
「ずっとライムしながら生きてきたんだ。おれにとってのライムは、みんなが楽しんでバスケをするのと全く同じことだったよ。毎日の日課ってとこ」
スウィズ・ビーツも語る。
「彼は若くてハングリーだよ。何時間でもフリースタイルできるし、ボキャブラリーも沢山ある。バトルや楽曲にぴったりな言葉のブレンドの仕方だってちゃんとわかってるんだ。彼の持つ世界に、おれは完全に信頼を寄せている」
真剣にラップと向き合い始めた1996年ころから、キャシディは信念を持ってそれに取り組んできた。経済的な理由でストリートへと移行する一方、ジュニア・ハイスクールでは遊びでバトルを行っていた彼だったが、ひとりの友人に本気になるよう勧められ、フィラデルフィアのラジオ局103.9FMのショー“ザ・サイファー”のチャンピオンと戦うことを決意する。“サイファー”のホスト、Zuluは、すぐにキャシディに新チャンピオンとしての王冠を授けることになった。
「何週間も勝ち進んだよ。コンペティション自体も素晴らしかったけど、おれにとってはチャレンジされることが刺激的だった。電話をかけてくる人たちにも元気付けられて、これを(ラップをレコーディングすること)真剣にやろうと思い始めたんだ」
“サイファー”でのキャシディの勝利は、ラップ界に進出したいと考えていたデルフォニックスのリード・シンガー、ウィリアム・ハートの目に留まった。
「おれたちはデモのために数曲をレコーディングした。でもそれは契約とかそういうことになるほどのものじゃなかったよ。スタジオの経験にはなったけどね」
そして一年後、フィラデルフィアの理髪店でスウィズの父であるTerrance Dean(ラフ・ライダーズ・レーベルで兄弟のDee、Wahと共に働いていた)と偶然出会い、彼に連れられてラフ・ライダーズ・ファミリーの一員となったのだ。
「おれは16歳だったよ」とキャシディは思い起こす。「彼はラフ・ライダーズで働いてるんだけどって話して、おれのラップを聴きたいと言ったんだ。だから店が終わった後、おれは彼にヴァースを吐き出してみせた。彼はおれの電話番号を書きとめて、連絡すると言ったよ。そして二日後、学校で授業に出ているときママに呼び出されて、ラフ・ライダーズの人に会ったかどうか尋ねられたんだ。なぜなら彼らがおれに今日NYに来て欲しいって言ったっていうんだぜ。おれはまだ11年生だったよ」
キャシディは仲間のShizz LanskyとCal Akbarと共にNYへ行き、Larsinyというグループ名でラフ・ライダーズと契約を結んだ。
そして3人は20曲余りをレコーディングするが、レーベルの持つラッパーたちの数が多すぎて、活動をしばらく棚上げされてしまう。2年間というもの、キャシディはゴーストライトを行ったり、ミックス・テープやコンピレーション「ライド・オア・ダイ」のvol.2とvol.3やNasの「ザ・ジェネラルfeat.ファット・ジョー」のリミックスといった楽曲にゲスト出演するなど、ある意味傍観者の立場から見つめる他なかった。そんななかスウィズ・ビーツがFull Surfaceをスタートさせることになり、彼はキャシディを自分のチームに入れたいと言ったのだ。
「才能があることはわかっていた」とスウィズ。「それを人々に見せつけるために、彼の出番を作りたかったんだ。ヤツはすごいんだぜ」
アルバム製作をしているころ、フィラデルフィア出身の仲間であるFreewayとキャシディがスタジオでバトルを行ったことが知れ渡り、キャシディの名前がアンダーグランドで大きな話題となる。そのバトルはレコーディングされ、彼は勝者としてその姿を現した。
「バトルはおれとFreewayだけのものじゃなく、本物のヒップ・ホップなんだ。バトルっていうのはスキルを磨く上で重要なものだし、MCのカルチャーのひとつなんだよ」
その段階でキャシディとスウィズ・ビーツはまだタイトルのついていないデビュー・アルバムのために、25曲ほどレコーディングしていた。アルバムにはRockwilder、Battlecat、Drop Neoやスウィズが連れてきた新人プロデューサーたちのトラックも含まれることになる。
多くの人はキャシディのことをバトル・ラッパーとかパンチ・ライン・ラッパーなどと呼ぶが、それは彼とスウィズにとって余り好ましいことではない。そう呼ばれる典型的なラッパーたちは、一度アルバムが下降線を辿れば、そのまま埋葬されてしまうからだ。
「おれはバトルで名声を得たけれど、それ以上のものだって持っている」
とキャシディは言う。
「ビートでライムするやり方は知っていたけど、リズムやポケットやコーラスでライムすることにはあまり慣れてなかったおれに、スウィズはいろんなビートやグルーヴに乗ることを教えてくれたよ。おれはベーシックなノッキングやシンプルなドラム・トラックでよくやっていたんだ。だから彼は様々な楽曲で異なったフロウを使うことを教えてくれたのさ。それは例えば、バウンシー・ビートやハード・エッジド・ビートや、ギターやドラムよりもホーンやキーボードを多く含んだビートなんかのことだ。いろんな方法でレコーディングができるよう、彼はおれの耳に磨きをかけることをヘルプしてくれたってわけだ。つまりおれはリリシストだから、いろんなタイプの楽曲のフックを作り出すことやフロウを助けてもらったんだよ。全然ハードじゃなかった。言うなれば調整するって感じだったな」
「またおれはストーリーの必要性とその書き方も理解した。ストーリーを語るときはもっと感情を呼び起こすことができるけど、それは言い回しで表現するんだ。例えば6年生のときに先生に物語を読むように言われたら、単に言葉を読むだけになってしまうけど、スキルが上達するにつれ、感情や句読法を理解するようになり、ちゃんとした読み方ができるようになるだろう。言葉の使い方や表現の仕方や強調っていうのは、キャラクターやプロットを備えたシチュエーションそのものをクリアにするものだから。」
キャシディはMCのカルチャーを描写し、同時に業界にフィットするようそれらの真価を改革している。
「本当に以前よりも考える時間が長くなった。でもスウィズとの作業で音楽についてもっと学んだことで、おれは自分の作るものがさらに良くなったと感じるよ」
ラップが大衆に受け入れられるよう芸術性を放棄し、営利性を追及してきたなかで、キャシディはストリート出身の大胆なラッパーであるというだけで、先人たちの誤りを正し、ムーヴメントをリードして行くことができる。
「スウィズは彼のレーベルでおれのアルバムをデビューさせるほど、おれに多くの信頼を寄せている。だからルーキー・シーズンのプレイヤーたちのように、チームでの地位を獲得しなくちゃならない。おれは得点しながら登場してやる」