Aqualung

2002年夏、<Volkswagen Beetle>のTV-CMに楽曲が起用され、放映が開始されるやいなや、視聴者からTV局に問い合わせが殺到し、広告代理店、自動車会社、ラジオ局、そして彼の友達や家族までもが、この美しい30秒の音楽の正体はなんなのか、そしてこれ以上の長さを聴けないかと必死になって追い求めた。
そんな神話とともに、Aqualungのファースト・シングル<strange and beautiful>はUKで2002年9月にリリースされることになったのだ。

Aqualungことマット・ヘールズは1972年の1月に英国南部、サウス・ハンプトンでインディー・レコード店を営む両親の下に生まれた。彼の記憶の中では、家の中で一番大きなおもちゃはピアノだった。彼は椅子に座れるようになるやいなやピアノを弾きだし、4歳になる頃には曲を書いていたという。
彼の両親は息子を全面的に応援するタイプで、両親がつけてくれたピアノの先生は、指使いや楽譜の基礎をマットに教え、そして、自分の曲を作るほうが人の音楽を弾くよりも簡単だということも教えてくれた。
11歳で校歌の作詞作曲を任命され、そして14歳のころ彼の弟と共作で「交通安全についての曲」を作詞作曲。16歳でウィンチェスターにて曲作りの勉強をする奨学金の栄誉を与えられ、17歳で彼の最初の交響楽団で60ピースのオーケストラである“Life Cycle”を創立、マット自身が指揮をとった。

しかしそんな優等生な一面とは別に、80年代の初頭からマットは弟のベンと曲を定期的に書いていた。15歳のときにCasio CZ230sを手に入れ、マットが最初に組んだバンド名は<Da Fook Mo a Dib>。ポリスのカバーを演奏したりカセットを2ポンドでカレッジのゲートの外で売ったりした。
最終的には <Mecano Pig>で1990年には4曲入りの最初のアルバム <Mecano Pig>を完成させた。

マット・ヘールズのその同時進行な人生 -クラシックの曲作りが共にロック・フォーマットの散文の規律と寄り添う- 原点はここから始まっているのだ。

1990年秋にロンドンに移転。更に音楽の学位をロンドンのシティ・ユニバーシティーで取得、2年間Guildhallにてコンポジションの勉強をし、BBCのMaida Vale Studiosにてエンジニアとプロダクションの技術の腕を磨いた。そして一方では彼のフォーマルで準クラシカルな作品がThe Royal Albert Hallでの宗教的な集いに優美さを与え響かせた。

そしてその頃、弟ベンとトップに踊りでるような新しいバンドGravel Monstersの計画を練り始めた。
1991年夏に彼らはエイト・トラックを借りレコーディングを行い、ベースに、そして元White NoiseのドラマーMatt Vincent-Brownを向かいいれてバンドを完成。
1992年の夏、Gravel Monstersは24曲構成の最初の作品を完成させ、レコード会社にカセットを送った。小さなインディーの出版会社Waif productionsが彼らに関心を示した。グループは名前を変えGravel Monstersは大文字でRUTHと変わっていった。



WaifはRUTHで靴会社のBritish Knightsの広告キャンペーンを獲得。バンドはCMにも出演、<Fear of flying>の映像は1993年8月中ずっとMTVで放映されたがヒットにはいたらなかった。WaifはRUTHに関心を示すレコード会社を探せず、彼ら自身でthe Artist Record Company, ARCと言うレーベルを興した。

1995年RUTHはアルバム<Harrison>をレコーディング。それから4年ほど無数のシングルとをアルバム<Harrison>を1999年に最終的にリリースしたがヒットしなかった。

このあと間もなくRUTHはARCを離れ、マットは最後のチャンスだと、バンド名を45sと改名。新しいマネージメント会社に移り、2001年にMercury Recordsと契約を結んだ。45sはシングルを2枚とをリリースしたが、2002年3月には契約終了。同時に解散を決めたのだった。

その翌週、マットは代理店より連絡を受けVWの広告に使用できる曲はないかと聞かれた。
そしてその時、彼には良い曲があった。

の反響は速攻で圧倒的であった。マットは彼がどこからきて誰の所属で何者なのかというレコード会社やラジオ局からの電話に追われた。
レコード会社が彼の獲得合戦に乗り出しているとき、マットは家の玄関広間に閉じこもり静かにアルバムにとりかかった。

なぜ、Aqualungか、と疑問に思う人もいるかもしれない。
音楽は彼を遠く宇宙にいる感覚や深海の中にいる感覚をもたらし、いずれの場所も呼吸をするのに助けが必要な場所であるということから、彼はAqualung(アクアラング)と名づけたのだ。

完成して1週間後、彼はB Unique recordsと契約を結んだ。1ヵ月後にStrange and beautifulがUKチャートのトップ10に入り、ファースト・アルバムは2002年9月30日にリリース。12月には10万枚以上の売り上げでGOLDを達成した。

2枚目のアルバムは2003年10月27日にリリース。等のシングルをヒットさせている。

2004年3月にはSXSWにも参加。UKを越えて、世界へ大きく羽ばたこうとしている。
8月中旬にはUKとアイルランドにてDIDOとのツアーが数本予定されている他V Festivalにも参加した。

彼のアーティストとしての評価は非常に高く、Nitin Sawhney, DJ Tiesto, Atomic KittenのMel Blatt等ジャンルを問わず各方面でひっぱりだこである。