ブリス・バンド

ポール・ブリスを中心とするグループ:ブリス・バンド1978年のデビュー作「Dinner With Raoul:ブリス・バンド・デビュー!」がジェフ・バクスターのプロデュースだったことから英国のドゥービー・ブラザーズのような見方をされていたことがあるし、また、スティーリー・ダンの影響が随所に出たアーティストとして、ウルサ型のファンを多数獲得していたグループだ。



バンドというか、実際は主人公:ポール・ブリスの経歴に終始するのだが..。生まれは1953年6月25日英国バーミンガム。ティーンエイジャーの頃にザ・ビートルズ、スモール・フェイセス、トラフィックといったイギリスのバンドに惹かれ、自身でもギターをプレイするようになる。その後ベースへとスイッチし、本格的にプロのミュージシャンを目指した彼はコリン・ブランストーン(元ゾンビーズ)のバンドでギターを弾いていたデレク・グリフィスのローディーを始める。そして、そのデレクがあるバンドに参加する時、彼はポール・ブリスにそこでベースを弾いてみないか、と声を掛けられる。それが、ドッグ・ソルジャーだった。



ドッグ・ソルジャーはポールが初めて参加したプロフェッショナルなバンドで、1975年にUA/Libertyから1枚セルフ・タイトル・アルバムをリリースしている。そこでポールはベースに加えて部分部分でヴォーカルも担当。さらに曲も1曲提供しているが、音の方は全然AORではないのでチェックの必要はない。なにしろ、その当時の国内盤LPにはこんなコピーが書かれていたのだから。『ジョン・メイオール、ピーター・グリーン、ミック・テイラー、ジョン・ロード等のビッグ・アーティストとのセッションで活躍し、ブリティッシュ・ロック・シーンを常にリードしてきた名ドラマー、キーフ・ハートレー率いる本格派ハード・ロック・グループ、ドッグ・ソルジャー登場!』ハード・ロックか否かはともかくとして、AORフリーク必聴の1枚でないことはこのコピーからもお解りいただけるであろう。彼らはそのアルバムを出した後、ジョン・メイオールのアメリカ・ツアーに3カ月間同行するが、イギリスに戻って来た途端にバンドは解散。



ポール・ブリス自身ではグループ解散後の1981年に英国のEMIから<Tear It Up>というソロ・シングルを発表。



また、1997年には自主レーベルから初のアルバム「The Edge Of Coincidence」を発表。これが2年後に日本でもクール・サウンドからリリースされている。



そして、ここ数年は英国の老舗グループ:ムーディー・ブルースのキーボーディストとして活躍。これが一年のうちの大半を占めるようで、なかなかソロ第2作の準備に取り掛かれない、と本人は語っている。



他のメンバーについてはギターのフィル・パーマーが最も精力的な活動を続けている。作曲家として、また、ギタリストとして、シーナ・イーストン、セリーヌ・ディオンからエリック・クラプトンまで、数々のアクトをサポート。また、1993年にはスピン・ワン・ツーというグループでアルバムを発表しているが、これはポール・キャラック(vo,key)、スティーヴ・フェローニ(ds)、ルパート・ハイン(prod,key)、トニー・レヴィン(b)と組んだ5人組スーパー・グループで、ボブ・ディランからレッド・ツェッペリンまで彼らが影響されたロック・クラシックスをポップにカヴァーしている。

 その他のメンバーについてはベース&ヴォーカルのアンディ・ブラウンは10ヶ月の闘病生活の後、昨年8月に癌でなくなっている。ドラムスのナイジェル・エリオットはアメリカ:シアトルの大学でMidi及び音楽を教えている。そして、キーボードのアラン・パークはクリフ・リチャードのキーボーディストとして今も活躍中だ。