本田 竹広


国立音楽大学在学中に、武田和命(たけだかずのり)カルテットに参加しプロ入りし、1969年に初のリーダー作「本田竹広の魅力」を発表。以後精力的にアルバムを発表し続け、日本ジャズ界においてトップ・ピアニストとしての座を築いてきた本田竹広。特に’73年、渡辺貞夫カルテットに参加して以降その人気は益々高まった。そして’78年“ネイティヴ・サン”を結成。日本ジャズ史上に残る爆発的なヒット作を生み出している。その後フュージョン・サウンドを中心に活動を続けていたが、’80年代後半より再びアコースティック・ピアノでの活動に重点を置き、’90年ファンハウスに移籍以降はストレート・アヘッドな快作を次々生み出した。また’92年、峰厚介、向井滋春等と3管編成によるセクステット“EASE”を結成。’93年2月にリリースされた「EASE」はスイングジャーナル誌選定ゴールドディスクを獲得するなど高い評価を受け、注目を集めた。2006年1月12日逝去。享年61歳。