ロビ・ドラコ・ロサ
ロビ・“ドラコ”・ロサの音楽とそのイメージは、「謎めいた」、「つかみどころがない」、「暗い」、または「陰鬱」と形容されることが多い。音楽的に夜を彷徨うゴスっぽい人物をイメージさせるのだろう。だが音楽界のアイコン的存在であるロビ・ロサの人生を振り返ると、彼はこのようなレッテルや誇張されたイメージや想像をむしろ避けてきていることがわかる。



1973年6月27日、ニューヨーク州、ロングアイランド市に生まれた彼は幅広いジャンルの音楽に包まれて育った。母はビートルズ、レッド・ツェッペリンやザ・フー等のロック、そしてファンクが効いた70年代のR&Bを好み、父はサルサに傾倒していた。それもただのサルサではなく、彼曰く「ダークでアグレッシブなサルサ」。彼は幼い頃に家族とともにプエルト・リコへ移住、そして後に人気上昇中のメヌードの一員となった。ヴォーカリストとしてロビ・ロサをメンバーに加えたメヌードは全世界的に人気絶頂の期を迎えた。だがバンドの曲作りを許されなかった彼は次第に失望を覚えるようになり、87年に脱退を決意。最終的にリオ・デ・ジャネイロに居住を移し、彼の音楽人生に多大な影響を与えることになる現地のミュージシャンとの交流を深めた。



ポルトルガル語のソロ・アルバム2枚を出した後、ロビ・ロサはニューヨークへと渡り、マギーズ・ドリーム(Maggie’s Dream)というバンドを結成した。バンドのエネルギッシュでラウドなサウンドが認められ、フィッシュボーン、ブラック・クロウズやフェース・ノー・モアのツアーに参加。だが一つの音楽的実験でもあったバンドの成功だけに満足することなく、彼はロサンジェルスへと向かった。彼はすぐさま映画、『Salsa, The Motion Picture』の主役の座を射止め、撮影現場で後の妻となるアンジェラ・アルヴァラドと出会った。その他にもクリストファー・ミッチャムと共にドイツ映画、『Gummibarchen kussit man nicht』に出演。彼はこの映画のサントラ用に「Angela」と「Little Woman」の2曲を作曲、プロデュース、そして演奏を手がけた。サントラはRCA Records 傘下であった、彼が当時手がけていたSeiba Tree Musicという音楽出版社より発売された。



俳優業だけでは満たされず、彼は絵を描くため、そして本格的に音楽制作に取り組むためにロサンジェルスへ戻り、新しい自分を祝うために詩的に名づけた「Dräco Cornelius」というペンネームで活動を開始した。そして新しいアイデンティティーの下に、主に写真や映画を手がけるアンジェラ・アルヴァルドのプロダクション会社、Ocean Productionsと手を組み、今後の音楽活動に向けて音楽出版社、Dräco Cornelius Musicを立ち上げた。これらの出来事は彼にとって個人的な成果だけでなく、彼のキャリアの転機となるチャンスの準備期間ともなった。その後1993年にSony Latinとソロ契約を交わし、大絶賛された一連のスペイン語アルバムのうちの一枚目、『Frio』をスペインにてレコーディングした。



ソロ・アルバムのレコーディングの合間、彼はリッキー・マーティンの『リッキー・マーティン(原題:A Medio Vivir)』の制作に参加。大ヒット・シングル、「マリア(Maria)」を含むほとんどの曲の共作、そして共同プロデュースを果たし、アルバムは見事にビルボードのトップ10アルバム内の座を確保。同時に元サークル・ジャークスのサンダー・シュロスと共にバンド、スウィート・アンド・ロウ(Sweet and Low)を結成、市内で何度かライヴを披露した。



『Frio』や『リッキー・マーティン(A Medio Vivir)』が評論家に絶賛され、一般のファンからの支持を得たにも関わらず、彼の作曲家としての稀な才能が認められたのは2枚目のアルバム、『Vagabundo』が1996年に発売されてからである。ロキシー・ミュージックのギタリスト、フィル・マンネゼラのプロデュースの下、イギリスでレコーディングされたこの作品は「内省的で忘れられないメロディ満載の力作」と賞賛され、多くの賞やタイトルを獲得した。制作・監督共にOcean Productionsが手がけた「Madre Tierra」のビデオは1997年のLatin Music Awardsで「Best Rock Video」を受賞、スピン・マガジン誌は「スペイン・ロック史上ベスト10アルバム」の一枚に『Vagabundo』を挙げ、エンターテイメント・ウイークリー誌は「音楽業界最もクリエイティブな人たち100人」に彼を取り上げ、又2000年の夏にオープンしたBanco Popular「Acángana: 100 años de la música puertorriqueña」の展示会に彼は加えられた。



数々の賞賛を得たロビ・ロサの実績を認めたレコード会社は『Frio』の英語盤発売をやっと承知し、もとは低予算、わずか2週間でレコーディングした作品を『Songbirds and Roosters』とタイトルを変え、5年後の1998年にリリースした。制作から5年も経っている作品が頻繁にラジオでかかる中、彼は『Vagabundo』のツアーを行い、イアン・ブレイク(Ian Blake)という名前で、チャートの首位を賑わしたリッキー・マーティンの『ヴェルヴェ(原題:Vuelve)』の楽曲を手がけ、プロデュースに励んだ。『ヴェルヴェ(Vuelve)』は「La copa de la vida (英題:The Cup of Life)」を含む、実に5曲のヒット・シングルを生み出したのである。



次から次へと展開する様々なプロジェクトの成功がきっかけとなり、ロビ・ロサはA Phantom Vox, Corporationというマルチ・メディア制作会社を設立。オリジナル作品のライセンシングを行うPhantom Vox Publishing部門はDräco Cornelius Musicの楽曲や他のアーティスト作品を手がけた。Phantom Vox Publishingはエリック・クラプトンやボブ・ディランなどを扱う大手Warner Chapell Music (BMI)と契約を交わし、歴史を塗り替えるようなヒットを次々と放った。更に別部門である彼のマルチ・メディア・レコーディング・スタジオ、Phantom Vox Studioは1999年、ニューヨークのラテン・フィルム・フェスティバルで最優秀映画賞を受賞したインディーズ映画、『Livin’ the Life』の音楽監修を務めた。その他に同スタジオは、プエルト・リコの地方自治体であるビエカス島の解放(訳者註:アメリカ軍基地撤去)の願いを込めたDräco作曲、「Commitment #4」のビデオ撮影、及び編集を手がけた。



信じがたいことではあるが、ロビ・ロサはこの時点でまだ自身のキャリアの頂点に達していなかった。1998年から1999年にかけて今では伝説的なシングルとも言える「リヴィン・ラ・ヴィダ・ロカ(Livin’ La Vida Loca)」を含む、大絶賛されたリッキー・マーティン初の英語アルバムの作曲とレコーディングに精を出していた。アルバムはビルボード・アルバム・チャートを堂々の1位でデビュー、その後全世界で200万枚という驚異的なセールスを記録した。マーティンの最新作、『サウンド・ローデッド(原題:Sound Loaded)』(2000年)ではヒット・シングル「シー・バングス(She Bangs)」を含む4曲をプロデュース。だがこれらの成功だけでは物足りず、1999年にラテン界のポップ・スター、エドニタ・ナサリオのプラチナ・アルバム、『Corazon』をプロデュース。Dolores del Infanteというペンネームでプロデュース、及び作曲した「Más grande que grande」はラテン・ビルボードのトップ10入りを果たした。その他に、世界的に有名な歌手、フリオ・イグレシアスのアルバム、『Noche de cuatro lunas』(2000年)に3曲提供、及びプロデュースし、Interscope Recordsのプロジェクトにも参加、加えてBanco Popularからリリースされた『Christmas Special Encuentro』(2002)ではフアン・ルイス・ゲラ とルベン・ブラデスと共にヴォーカリスト兼ソングライターとして取り上げられた3人のうちの1人でもある。彼の人生であらゆるジャンル分けを最も超越していた時期かもしれない。彼は思わず腰をふりたくなるような世界が愛するポップ・チューンから、悲しげな雰囲気に浸りたくなるような哀愁漂う曲まで、思いのままに作り出してしまう。正反対にも思える二通りの成功に浸りながら、グラミー賞に3度もノミネートされた彼は、現在アニメーション・プロジェクト用に『Vagabundo』のオーケストラ・バージョンに取り組み、長年に渡り彼のコラボレーション仲間として務めてきたラスティ・アンダーソン(Edna Swap、Animal Logic、Paul McCartney)との共作に励み、Phantom Vox Studioにて2004年3月に発売を予定している5枚目のソロ・アルバム『Mad Love』を完成させた。アルバムの予告編として発売した『Libertad del Alma』(2001年)というコンピレーションは、プエルト・リコのセールス実績だけでラテン・アルバム・ビルボード・チャート初登場11位に輝いた。様々なプロジェクトに携わっている彼だが、2001年10月31日にスタートを切ったA Phantom Vox, Corp.の第3部門であるインターネット・サイト、www.phantomvox.comの発展に力を注いでいる。このサイトはプエルト・リコのアートと文化を世界に向けて発信している。その他に、今後は映画のサントラ制作に取り組む予定である。



数々のプロジェクト、そして妻アンジェラと共に2人の愛息子を育てている彼が、「つかまえどころのない」と言われるのは当然かもしれない。彼は自分の邪魔をするものに「つかまえられない」ようスルリと身をかわす名人なのだ。