リアナ
 ジェームス・ボンドが美人スパイに誘惑されそうになる様な超クールなパーティを想像して欲しい。しかも今週末にも開催されるパーティー。まるでファンキーなファッション誌の撮影から抜け出してきたエキストラばりの客層。ステージ上のバンドは60sのサウンドトラック・ジャズに、滑らかな21世紀風のファンクと弾けたアーバン・ポップを掛け合わせたサウンドを放っている。一際目立っている元気なシンガーは髪の毛の多い、切ったスイカのように大きな口で笑う笑顔の持ち主。会場中が音楽に合わせて飛び跳ねる。そしていつしか自分も飛び跳ねていることに気づき、思わず笑ってしまうのである。

 それがリアナ。フューチャー・レトロ・シックな独自のスタイルを持つ驚異的な歌声のモダン・ポップスター。ショアディッチを彷徨うシャーデーの様にクールなリアナはケイト・ブッシュ、ネリー・ファータド、パティ・スミス等のアーティストに影響を受けたと言う。重要なのはリアナがそれらのアーティストと肩を並べられるほどのテクニックと想像力の持ち主であること。彼女の曲は全て自作、もしくは共作によるものである。ウルトラ・グルーヴィな”Word Love”や活きの良い、映画的な”Oh Baby”等の曲は、彼女を大スターへの座へと押し上げることだろう。それは例えば「Smash Hits」や「Later With Jools Holland」のような対極なテレビ番組でも取り扱われるような極めて珍しいほどの大スターに。リアナのデビュー・アルバムは、彼女が控えめに「クールなポップ」と表現する独特で鮮やかなサウンドに満ちている。

「レコード・コレクションにあっても恥ずかしいと思うことなく、お兄さんから妹まで楽しめるようなアルバムよ」とリアナは言う。

エネルギーと才能溢れる、非常に個性的な19歳の彼女は、成功に強い意欲を燃やしている。単純に有名になりたいからという何万人といるテレビ・オーディション系のなりたがりやとは違う。彼女には歌の才能があり、パフォーマンスをすることによって空高く舞い上がっていけるのだ。「(歌っているときの)ハイな気持ちって恐くなるぐらいよ」と彼女はにやっと笑う。お腹の中で蝶々がパタパタと飛んでいるような落ち着かない気分。それでもやり遂げるの。その後の充実した気持ちって応えられないな」。

 リーズ生まれのリーズ育ち。美人だけれど地に足が着いていて、思いやりに溢れたインテリジェンスとウイットに富んでいるリアナは才能とルックスに恵まれているだけでなく、人格者でもあるのだ。そして彼女の音楽は彼女と同じぐらいクールなのである。

 ファースト・シングルの”Oh Baby”はヨットが沈むぐらいの重いベースと未来的なファンクのセンス、そして自由に空を舞う鷲のような歌声にのった、切れのいい60s調の快活なグルーヴ・ナンバー。「つまらないことで落ち込むほど小さな人間じゃないんだから、何事にもへこたれずに突き進んでいこう、という曲」と彼女は明かす。”Word Love"での彼女の歌声は高く舞い上がりながらゆれるファルセット。ホンキー・トンク・ピアノとノリのいい、ブルージーなコーラスに弾力性のあるグルーヴが被さっている。これらの曲には喜びが満ちている。「音楽を聴くとインスピレーションを感じるでしょう?特にポジティヴなメッセージに溢れている曲。それはとてもいいことだと思うの」と彼女は言う。

 他の曲ではいとも簡単にムードをがらりと変えている。”Runaway”は悲しげな歌詞にすり抜けるような宇宙的なリズム、そしてジャジーなメロディが歌詞の暗いエモーションにグルーヴをかける。”The Moon Is Blue”は小刻みに動き、シャッフルするジャズ・ビートと暖かなテクノ・サウンドが瑞々しいハーモニーと掛け合う。

 フィル・スペクターやモータウン調のポップスでありながら、その感性は完全に現代風である。リアナは徹底して現代的な女性だ。ただ、多くのポップス歌手とは違い、彼女には真の歌の才能がある。「実際の職業を忘れられがちよね」と彼女は微笑む。「でも私にはちゃんとできる。最近の傾向は衣装やビデオ、写真などに重点を置きすぎ」。

 多文化的な両親の元、リーズで育ったリアナ・ケニーは友だちにからかわれることが多かったにもかかわらず、学校生活を十分楽しんでいた。彼女らしい、前向きな姿勢である。「髪型も名前も変わっていたし、ルックスも変わっていた。私は混血児なんだけど、近所には黒人や他の混血児は一人もいなかった」と彼女は語る。「小さい身体に大量の髪の毛。学校では常に歌っていた。『変な名前の、すごい髪の毛でいつも歌っている子』なんて言われていたわ」。

しかし最後に笑ったのは彼女である。16歳にして、兄であるリーのグループ、LSKのシェファーズ・ブッシュ・エンパイアでのライヴでバック・ヴォーカルをつとめた。ツアーに参加するために5つのA Level(上級過程科目中の合格科目)を放棄してまでである。そしてツアー終了後はJoseph and the Technicolor Dreamcoatのナレーション・リハーサルのためにリーズへとんぼ返り。週末は電気技師の父親とポーグスやソードクターズのライヴでダイヴィングを楽しんでいる。「ベストを着込んで、ビールでずぶ濡れになり、靴を無くしたり」と笑う。父親に連れられて始めて行ったのはスクイーズのライヴだった。9歳のときだった。「クールな父親なの」と彼女は笑う。今度は父親をストロークスのコンサートに連れて行くらしい。

 31歳のリーは典型的な妹思いのお兄さんである。アルバムは兄妹二人で書き上げた。「彼は中身のない、空っぽの曲は書かない。彼の曲は深いわ」と断言する。早くも2枚目のアルバムに取り掛かりたくてウズウズしているリアナは変わった曲作りのコツを掴んでいる。歌詞を綴るペンが見つからなければ自分宛にメールを送ったり、メロディが浮かんだら自分の留守電に吹き込んだりしている。「それが秘訣」と彼女は笑う。

 歩くことを始める前に歌いだしたリアナ。初のバック・ヴォーカルはわずか14歳で、兄リーのセッションだった。報酬は£100。数年後にリアナは自分の手でデモテープを制作した。その出来の良さにリーのマネージャーは動かされ、いくつかのレコード会社に送りつけた結果、20社ほどのレコード会社が即行で連絡してきたのである。リアナはまず、マネージャーの経営するレコード店で仕事を始めた。「まるで映画”High Fidelity”の世界そのものだった」と彼女は笑う。高いヒールを履いていたリアナは常にガタガタいう階段を転げ落ちていたという。「リアナのデモの件でスティーヴと話したい」というレコード会社からの連絡が殺到し始めた頃には、マネージャーのオフィスで彼の秘書をつとめていた。「今お繋ぎします」と言って、電話を回していたそうだ。

 次第にこの並外れた才能を持つ17歳の少女と会うために、各レコード会社のA&Rが列をなすようになった。「メジャーのレコード会社の人たちが挙ってリーズにやってきては夕食などの接待に連れて行ってくれたの。信じられなかったわ。夜は豪華なディナー、でも朝になるとカレッジに通う現実。接待が終わってから宿題に明け暮れていた」。

 そして19歳になったリアナは素晴らしいアルバムを引下げ、やる気十分である。彼女は自分自身をいかに表現したいか知り尽くしている。抜群なルックスだからといって男性誌で水着姿のグラビアを飾るつもりはない。「そういうのには興味ない。若さとか、女性らしさ意外にも自分をアピールできるところはあると思うから。」とリアナは言う。「見せないほうがセクシーだと思うな。リスペクトされるし。『彼女はシェイプされた身体だけれど、歌も上手い』って言われたい」。

 リアナは代わりに自分の敬愛するポップ・アイコンを見習っている。「ケイト・ブッシュはポピュラーでチャートでもヒットを飛ばしていたけれど、クールなアーティスト。彼女には個性がある。それに彼女には自由な雰囲気があった」と力説。「ネリー・ファータドは真のパフォーマー。ポップだけれどクール。自分で曲を手がけていることも嬉しい。そのことによって彼女のことをさらに尊敬するわ」。

 リアナに対する心の準備をしておいたほうが賢明だろう。今後何かと話題になるアーティストだから。