ニコラウス・アーノンクール


 1929年12月6日 ベルリン生~2016年3月5日 ザルツブルク近郊没。
 オーストリアの指揮者、チェロ奏者。

 グラーツで育ち、ウィーンでチェロを学び、1952 年から1969年までウィーン交響楽団のチェロ奏者をつとめるかたわら、古楽、古楽器の研究・収集にも力を注ぎ、1953 年には妻のアリスとともにオリジナル楽器によって演奏を行うウィーン・コンツェントゥス・ムジクス(CMW)を結成、4 年間の研究を経て1957 年には同団の初コンサートを開催している。

 1970 年代に入ると、チューリヒ歌劇場を中心にオペラの指揮も始め、名演出家のジャン=ピエール・ポネルと組んだモンテヴェルディとモーツァルトのシリーズを上演して注目を集めた。また1970 年代からは、復活祭に演奏されるバッハの受難曲の演奏をきっかけにアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮するようになり、一連のモーツァルトやハイドンのオーケストラ曲演奏で大きな注目を浴びた。1980 年代からはウィーン・フィル、1990 年代からはベルリン・フィルを指揮するようになり、ヨーロッパ室内管弦楽団との緊密な活動も開始。演奏レパートリーもベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ブルックナー、ブラームス、ドヴォルザーク、そしてヨハン・シュトラウス2 世、ヴェルディ、ワーグナー、ベルク、バルトークの作品へと広がっている。1985年には生地グラーツでシュティリアルテ音楽祭を創設。モーツァルト生誕250 年を記念する2006 年には、ザルツブルク・モーツァルト財団の「アーティスト・イン・レジデンス」に任命されている。2007年にはライプツィヒ・バッハ・メダルを受賞。

 1972 年から1993 年まで、ザルツブルク・モーツァルテウムで演奏実践に関する講義を行い、著書も日本語訳が出版された2 冊(邦題『古楽とは何か──言語としての音楽』[1982 年]および『音楽は対話である』[1984 年])のほかに、モーツァルトをめぐる講演、インタヴュー、エッセイをまとめた『MozartDialoge. Gedanken zur Gegenwart der Musik』(Residenz Verlag 2005 )、主にベートーヴェン以降の作曲家をめぐる対話集である『Tonene sindhoehere Worte 』(Residenz Verlag 2007 )などの著書がある。

 CMWとは、1954 年、ヴァンガード・レーベルへのアルフレッド・デラーとの共演になるエリーザベス朝とジェームズ1世時代の音楽によって、その長い録音歴を開始した。1960 年代前半までアマデオ、ドイツ・グラモフォン、ドイツ・エレクトローラ、ミュージック・ヘリテイジ・ソサエティなどのレーベルにいくつかの録音を行った後、1963年からテレフンケンのダス・アルテ・ヴェルク・レーベルで本格的なレコーディング・プロジェクトを開始し、1971 年から1990 年まで20 年がかりでグスタフ・レオンハルトと共同で完成させた

 記念碑的なバッハの教会カンタータ全曲録音をはじめ、バロックから後期ロマン派にいたる幅広いレパートリーの録音を残している。1980 年代からはコンセルトヘボウ管弦楽団とのモーツァルトの後期交響曲の衝撃的な録音が大きな話題となり、次いでハイドン、シューベルトの交響曲、ヨーロッパ室内管弦楽団とベートーヴェン、シューマン、メンデルスゾーン、ウィーン・フィルとのブルックナー、ベルリン・フィルとのブラームスなど、古典派~ロマン派の主要交響曲を次々と録音した。

 2003 年夏からはBMGクラシックス(現ソニー・クラシカル・インターナショナル)と契約を結び、現在進行形のアーノンクールを刻印した、ウィーン・フィル、CMW、ヨーロッパ室内管、それにバイエルン放送響とのさまざまな録音が発売されてきた。

 「時差」を苦手とする彼は、長時間の飛行機旅行を伴う演奏旅行には滅多に出ないことで知られ、日本にも1980年の初来日以来来日が途絶えていたが、2005年秋の第21回京都賞(思想・芸術部門)受賞に際してと、翌2006年10月から11月にかけてのウィーン・フィルおよびCMWとの公演のために来日、さらに、2010 年10 月から11 月にかけては再来日を果たし、日本の音楽ファンに大きな感銘を与えた。
 2015年12月5日、86歳の誕生日の前日に演奏活動からの引退を表明し、2016年3月5日に逝去、享年86歳。