ネリー・マッカイ
Critically acclaimed "Nellie McKay"



全米メディア騒然!!──NYが生んだ奇跡のネオ・ノスタルジア、ネリー・マッカイ





10代の神童。ピアノひとつで、ティン・パン・アレイとヒップ・ホップを繋ぐ

--------New York Times



現代に息づく”ホワイト・アルバム*”

--------Time Out New York



ドリス・デイとエミネムという、2つの相対するポップ・カルチャーの柱に類似点を示すことに成功した

--------W Magazine



★★★★!エラ・フィッツジェラルドのように歌い、エミネムのように投げつける       ---------Rolling Stone



ジャジーな作曲やカミソリ刃の様な歌詞がノラ・ジョーンズとエミネムの両方を結びつける、10代の天才シンガー・ソングライター

--------Interview Magazine



とても若く、とても完璧だ― コロンビアはまさに彼らにとっての宝石をみつけたた

--------Daily Variety



奇抜で鋭い感性に満ちた言葉が溢れている                          ---------NY Daily News



光で飾られたキャバレー・シンガー役を演じることからディスコ時代の名作品を大声で歌うことまで、楽々とこなす彼女の誌的な表現は、人並みはずれて鋭く、的を射ているる

--------Billboard Magazine



間違いなく、最近巷で耳にする有毒でうんざりするような音楽の大半に対する、爽やかな解毒剤だ

--------Hollywood Reporter



ビートルズの伝説的なプロデューサー、ジェフ・エメリックに指揮されたこのアルバムは、辛らつな怒りが加わったドリス・デイの声に乗せて歌われる、ジャズ、ダンス・ビート、そして非礼な歌詞の早咲きのミックスだ       

--------Boston Globe



独創的な彼女は自らのジャンルを創り上げた。ネオ・レトロ・メロウ・フューリー(怒れる)・ポップスというジャンルだ

--------Elle Magazine



厳格で機知に富んだ伝統に根付いた彼女の音楽は、コール・ポーターやエルヴィス・コステロ、エミネムを結び付ける

------- USA Today



キャバレーのコメディ/フィオナ・アップル風ピアノ学生のロックによる反逆と、トーリ・エイモスの間を方向転換しながら動いている

--------Spin Magazine



彼女はポップスのヒット曲となるに十分なほどのキャッチーな曲を書く。しかしその楽曲にはたくさんのアイデアがあり、ばかばかしさとまじめさを、個人的なものや政治的なものを、それぞれ融合するものである             

--------Newark Star Ledger



『Get Away From Me』に比較すると今年の残りの音楽はつまらないもののように思えてしまう

--------Atlanta Journal & Constitution



他多数(上記は今年2月全米デビュー時のもの。4月に誕生日を迎えたため、現在Nellieは20歳となっています)。



Who is Nellie McKay?

ネリー・マッカイ



全くの異端児が奏でる、鋭利な刃を備えたネオ・ノスタルジア。



アルバム・タイトル『Get Away From Me』は、2人のロマンティックな女性アーティストのタイトルで遊んだもの:ノラ・ジョーンズの『Come Away With Me』とジェーン・モンハイトの『Come Dream With Me』:だ。マッカイはジョーンズやモンハイトと同様の音楽的影響---ヴォーカル・ジャズ、キャバレー音楽、(プレロック)トラディショナル・ポップス、感傷的な歌い方---を共有しているが、彼女をジョーンズやモンハイトらとひとまとめにするのは大きな間違いだ。彼女の歌詞では、イラクで爆撃が起きているのにのうのうとくらしている人々や、暴力、偽善に対する怒りが火花のように散っている。そうした怒りを、突飛なライムを織り交ぜながら辛辣かつ洒落た詩にして歌ってのけるのがネリー・マッカイだ。更に彼女の独創的な音楽スタイルは、ティンパン・アレイ時代のスタンダード・ポップスと現代のHIPHOPとをいとも自然に結びつけている。それこそが彼女が全く新しい異端児と評される所以だ。



「孤独な変わり者」と「異端の天才」を生んだクラシック嗜好。



幼い頃からマレーネ・ディートリッヒやヘップバーン、グレタ・ガルボの自伝を読み漁り、高校時代にはカーリー・ヘアに肩パッド入りの服を着て過ごした孤独な変わり者は、物心の付いた頃から同年代の人間と相容れない嗜好を持っていた。そんな彼女の嗜好は思いもよらない音楽的影響のコンビネーションを彼女の作品にもたらす。彼女の音楽はポップス/ロックに該当しながら、またキャバレー音楽や従来の(プレロック)ポップス、ヴォーカル・ジャズにも該当する。ティン・パン・アレイ、コール・ポーター、アニー・ロス、ギー・リー、そしてビリー・ホリデイが、彼女の曲作りに影響を与えてきた。しかし、(よく比較される)ランディ・ニューマン、ビートルズ、そしてヒップホップもまたしかりなのだ。素晴らしく賢く機知に富んだ彼女のライムは、ノスタルジーを感じさせるサウンドと裏腹に、現代的な鋭いメッセージを投げかける。



ロンドン生まれのハーレム育ち。



1984年4月13日にロンドンで生まれた彼女は、2歳の時、両親の離婚を機に舞台女優の母親とともにアメリカに渡り、NYのハーレムで育った。身近で強盗殺人事件に遭遇した事と、家賃が払えなくなった事を理由に、親子は9匹の猫と1匹の犬を連れ、ボロボロのバンでワシントン州オリンピアへ移動。その後母の再婚相手と暮らすためにペンシルバニアに越したネリーはそこで中学と高校に通った。16歳で高校を卒業すると、マンハッタン音楽院に通うために再びNYはハーレムへ。2年で学校を中退し、ピアノ・バーやクラブで弾き語りのバイトをしたり、スタンダップコメディアンとしてステージに立ったりした。



アビイ・ロード・スタジオの伝説的エンジニアと。



そんな彼女に転機が訪れたのは、彼女のパフォーマンスを目にしたTIME OUT NEW YORK誌の突出した記事だった。これを機に、いくつものレーベルによる争奪戦が始まった。その中には、あのマックスウェルを世に送り出したコロンビアのA&Rもいた。彼女は結局コロンビアと契約、ビートルズの数々の作品を支えたジェフ・エメリックをプロデューサーとして迎え、レコーディングを始めることとなった。



自らプロデュース/作詞/作曲/編曲/演奏を手掛けた史上初の2枚組デビュー・アルバム。



新人アーティストがダブル・アルバムでデビューした例はない。あれやこれやの手で説得にかかるスタッフに対し、ネリーはスーツで正装し、パワーポイントを駆使してSONYの重役会議に挑み、見事に説得(2枚組の制作費の1部を自己負担する事も条件に)して自らのアイデアを実現させた。抗議活動に参加するときは必ずスーツを着るという、ドリス・デイにあこがれるネリーらしいエピソード。アルバムタイトルは、今の政治に圧迫された状況下における「(政府は)私のコンピューターや図書館貸し出し記録を覗くな、私から離れてよ!!」という彼女の気持ちを表したものだ。



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『僕の元には山のようにデモが送られてくるんだけど、この活気のない今の音楽業界に新風を巻き起こせる程彼女は新鮮だった。曲があまりに洗練されていて、彼女がまだティーンエイジャーだなんて信じられなかったよ。』

(ジェフ・エメリック:プロデューサー)



A to Z about Nellie McKay

ネリー・マッカイ徹底解剖



A



American Idol(アメリカン・アイドル)

アメリカFOXチャンネルの人気オーディション番組。ネリー・マッカイは広告を見て何も知らずにうっかり予選を受けたことがある。(もちろん落選した)後で右翼的なFOXのプログラムであることを知って激怒。



Annie Ross(アニー・ロス)

ネリー・マッカイのアイドルの一人。イギリス出身のジャズ・シンガー。50~60年代にはアメリカのジャズ・コーラス・グループ、ランバート、ヘンドリックス&ロスの一員として活躍。ジャズの名演奏に歌詞をつけてコーラスで再現する洒脱なボーカリーズで有名となった。ジョニ・ミッチェルもカバーした「ツイステッド」は彼女の代表曲。「私は狂っているってお医者様は言うの」という突飛な歌詞がネリー・マッカイを思わせる。ネリー自身もこの曲が好きで、ランバート、ヘンドリックス&ロスのようにスキャットすることを目標としている。



B 



Beatles(ビートルズ)

『ゲット・アウェイ・フロム・ミー』のプロデューサー、ジェフ・エメリックはビートルズの数々の名盤・・『リボルバー』、『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』、『ザ・ビートルズ』(ホワイト・アルバムとして知られる)、『アビイ・ロード』を手がけた伝説的エンジニア。ネリーはビートルズが大好きで、彼らのように革新的なサウンドを作りつつ、スタンスとしてはアイドルであるというポジションに憧れている。



C 



Cole Porter(コール・ポーター)

ネリー・マッカイが大きな影響を受けたティン・パン・アレイ時代の偉大な作曲家の一人。「エニシング・ゴーズ」や「昼も夜も」等、数え切れないほどの曲がスタンダードとして歌い継がれている。ウィットに富んだ歌詞も有名で、ネリーの皮肉を含んだライムは彼の系譜にあると言われている。余談だが、彼の生涯を描いた、ケビン・クライン、アシュレイ・ジャッド主演によるミュージカル映画『五譜線のラブレター:DE LOVELY』が近日日本公開予定。



D



Double Album(ダブル・アルバム)

ネリー・マッカイのデビュー盤『ゲット・アウェイ・フロム・ミー』は、新人アーティストとしては異例(女性アーティストとしては史上初)の2枚組アルバム。レコードのA面とB面のように曲を分けるというアイデアは最初理解されなかった。ネリーは3万ドルを自分で負担してアルバムに5曲追加し、コロンビア・レーベルの首脳陣と直接ミーティングを設けて構想を実現させた。



Dora-emon(ドラえもん)

藤子不二夫(F)が生み出した猫型ロボット。アメリカではハロー・キティのようなサブカル・アイコンとして有名である。ネリー・マッカイには「どこでもドア」というタイトルのでたらめな日本語を歌詞に並べたナンバーがある。



Doris Day(ドリス・デイ)

ネリー最大のアイドル。「二人でお茶を」「センチメンタル・ジャーニー」「ケ・セラセラ」等のヒット曲でお馴染みの歌手。女優としても有名で、『夜を楽しく』や『スリルのすべて』といったミュージカルやラブ・コメディで60年代はハリウッドのマネー・メイキング・スターでもあった。そばかすが浮かぶ明るい笑顔で、いかにもアメリカの理想のワイフといった風情の女性だが、実生活ではパートナーに恵まれず、暴力や搾取が原因で四度の離婚を経験している。息子はチャールズ・マンソンとの関係が問題になった音楽プロデューサー、テリー・メルチャー。ネリー・マッカイは彼女が主宰する動物愛護団体に参加している。



E 



EMINEM(エミネム)

ネリー・マッカイのアメリカでのキャッチ・フレーズは「エミネムとドリス・デイの融合」。ネリーは女性蔑視的な面もあるエミネムを全面肯定する気はないが、「ブラック・アメリカの勢いの中で、白人の子供たちにも共感出来るような声を与えた存在」として評価はしているそうだ。彼の曲の中では「Insane in the brain」が好きとか。また、デビュー・アルバムのタイトルには当初、エミネムの「White America」と対をなすような『Black America』という案があった。



F



Film Forum(フィルム・フォーラム)

ニューヨークのヴィレッジにある、マニアックな特集上映で知られるムーヴィ・シアター。かなりのクラシック映画フリーク、ネリー・マッカイお気に入りの映画館である。



G



Get Away From Me (ゲット・アウェイ・フロム・ミー)

記念すべきネリーの2枚組デビュー・アルバムのタイトル。今の政治による圧迫された状況下で、「私のことは放っておいて!」

という気持ちを表したものだそうだ。ちなみに、アルバムタイトル決定にはいくつかの逸話がある。N、P、Zの項参照。



Greta Garbo(グレタ・ガルボ)

スウェーデン出身。神秘的なルックスと演技、そして謎に満ちた私生活で知られる、ハリウッド黄金期の名女優。「どうせセックス・シンボルになるなら」、露出度の強いブリトニー・スピアーズのようにではなく「彼女のようになりたい」とはネリーの弁。



H



Harlem(ハーレム)

ロンドンで生まれたネリー・マッカイは2才の時に母と2人でここに移り住み、10才まで過ごした。ペンシルバニアで高校時代をおくった後、16才でマンハッタン音楽院に進学するためにここに戻ってきて、それからずっと住んでいる。「リアルで、密接で、スパイシーなところ。セーフ・ゾーンには住みたくないの」とネリーは言う。



I 



I'll STRING ALONG WITH YOU(アイル・ストリング・アロング・ウィズ・ユー)

ネリー・マッカイが挙げるスタンダード・ナンバーのオールタイム・ベスト3の一曲。ディック・パウエルとジンジャー・ロジャース主演のミュージカル映画『Twenty million sweet hearts』のナンバーで、最近ではダイアナ・クラールが『When I look in your eyes』でカバーしている。他の二曲は「ドーヴァーの白い崖」と「ペントハウス・セレナーデ」。渋い!



J



Jo Stafford(ジョー・スタフォード)

ネリー・マッカイのアイドルの一人。コーラス・グループのサンド・パイパーズ、フランク・シナトラも在籍したトミー・ドーシー楽団を経てソロになり、「トランペット・ボイス」と謳われたエモーショナルなスタイルで50年代にスターになった。ネリーは高校時代、彼女の「Laughing on the Outsaide(Crying on the inside)」を聞きながら登下校していた。他に彼女が好きなスタンダード歌手はペギー・リー、アニタ・オデイ、ビリー・ホリデイ…。枚挙にいとまがない。



K



Kanye West(カニエ・ウェスト)

シカゴ出身のラッパー/プロデューサー。ソウルの名曲の回転数を変えてトラックを作ることで知られる。アリシア・キーズ、ブランディ等を手がけてナンバー1プロデューサーになった彼の曲作りには、ネリー・マッカイも注目しているという。意外とヒットチャート好き?



L 



LIfe Story(伝記)

読む本は圧倒的にノンフィクションが多いというネリー。特に伝記物が好きでジュディ・ガーランドやグレタ・ガルボ、リタ・ヘイワーズといった女優やミュージシャンの伝記の他にも、『ディープ・スロート』のポルノ女優リンダ・ラブレイスの伝記や動物学者ダイアン・フォッシーの『霧の中のゴリラ』等を愛読している。



M



Mitchell Cohen(ミッチェル・コーエン)

あのマックスウェルを世に送り出した米コロンビアのA&R。マンハッタンの“サイドウォーク”という小さなクラブで演奏するネリーを観て即座に本人からデモを入手。ただちに重役会議を召集して契約を訴えたという。満場一致で契約に動き始め、Virgin Records や Blue Note Labelらとの争奪戦の後、契約にこぎ着けた。現担当A&R。



MLA

モダン・ランゲージ・アソシエーションの略。言語学、文学等学術関係のデータベース。ネリーは「Inner Peace」の歌詞の中でここからの丸写しで小論文を書くインテリ学生を非難している。



The Music man(ミュージック・マン)

モートン・ダコスタ監督による62年制作のネリーお気に入りのミュージカル映画。楽器セールスマン騙る詐欺師が、美しい図書館司書と子供達に心を動かされて街の人々と共に音楽を奏でるようになるという筋立て。アメリカにはこの映画のファンが多いのか、ドラマ『アリーmyラブ』でも何度も言及されている。



N



Norah Jones(ノラ・ジョーンズ)

ネリー・マッカイのデビュー・アルバムのタイトル『ゲット・アウェイ・フロム・ミー』が彼女の『カム・アウェイ・ウィズ・ミー』のパロディであることは周知の事実。でも他にも意味があるのに、彼女のことばっかり言われるので最近少しイヤになっているとか。ネリー自身はノラ・ジョーンズにライバル意識はなく、自分のスタイルを持った素敵なミュージシャンだと思っているとか。



O



Olsen Twins(オルセン姉妹)

アシュレー・オルセンとメアリー・ケイト・オルセンのこと。「クロニー」の歌詞に登場。ドラマ「フルハウス」に末っ子として二人一役で登場して以来、アメリカのアイドルになった二卵性双生児。彼女たちの名前を冠した服や小物はローティーンにすごい人気で、彼女たちは18才にして億万長者に。今年、メアリー・ケイトが拒食症で入院してスキャンダルになった。



P



Paul Wellstone(ウェルストーン上院議員)

2002年の中間選挙の時、飛行機事故で死亡したミネソタの民主党議員。イラク戦争反対派で「ブッシュ第一の敵」と呼ばれた彼の死は陰謀によるものだという説が絶えない。「Sari」の歌詞に登場。



Penis Envy (ペニス・エンヴィ)

精神分析学用語で、"Penisが無いことを自覚した女子が男子に対して無意識裡に抱く羨望"の事を指す。「私みたいに生意気だと"Penisが欲しいんだ"って言われるからね」という理由で、デビュー・アルバムタイトルの第1候補としてネリー本人は気に入っていたようだが、過激すぎてお店に置いてもらえないという理由で没となった。





PETA(PETA)

Peaple for the Etical treatment of Animalsの略。ネリー・マッカイが所属している世界最大の動物権利保護団体。ポール・マッカートニーをはじめとする様々な著名人の参加で知られる。



Phil Spector(フィル・スペクター)

60年代に「ビー・マイ・ベビー」をはじめ幾多のヒットソングを手がけたことで知られる天才プロデューサー。多数の楽器を用いて作り出す彼の"ウォール・オブ・サウンド"はネリーの目指すものの一つで、彼の自伝を読み込んだネリーは生のオーケストラをバックに入れることにこだわった。





Q 



R



Rickee lee Jones(リッキー・リー・ジョーンズ)

ジャジーでノスタルジックなサウンドと少女のようなファニー・ボイスで、79年にセンセーショナルなデビューを果たしたシンガー・ソング・ライター。マイ・ペースで活動を続け、昨年『ザ・イヴニング・オブ・マイ・ベスト・デイ』を発表。洗練された曲と政治的な歌詞で話題を集める。ネリー・マッカイもこのアルバムに非常に感銘を受けたとか。



Rosalind Russel(ロザリンド・ラッセル)

ハリウッドのスクリューボール・コメディで人気を博した女優で、ネリー・マッカイのアイドルの一人。代表作は『ヒズ・ガール・フライデー』と『メイム叔母さん』。ネリーは小さい頃、テレビで見た彼女の映画『Take a letter, Darling』の真似をして遊んでいたという。



S



Stand up comedian(スタンダップ・コメディアン)

ミュージシャン以外でネリー・マッカイがなりたかった職業。マンハッタン音楽院を中退した後、実際にスタンダップ・コメディアンとしてステージに立ったこともあるという。彼女のお気に入りのコメディアンは「南部の女性版レニー・ブルース」と謳われるブレット・バトラー、ポーラ・パルストーン、『ファインディング・ニモ』の声優で日本でも知られるエレン・デジェネレス。レズビアンとして早くからカミングアウトしているデジェネレスをはじめ、みんな主張のある女性コメディアンである。



T



Tin Pan Alley(ティン・パン・アレイ)

もともとは20世紀初め、ニューヨークの劇場街のすぐそばの音楽出版社が固まっていた地域のこと。ミュージシャンたちが楽器を鳴らす様子から名前がとられ、やがてアーウィング・バーリンやガーシュイン、コール・ポーターといった20世紀初頭のポピュラー音楽そのものの名称となった。ネリー・マッカイの音楽の根底になるのはこうしたプレ・ポップス期のポピュラー音楽であり、彼女は祖母からその楽譜を受け継いで小さいときからピアノで弾いていたという。



U



V



VERVE(ヴァーヴ)

56年に創設された老舗のジャズ・レーベル。エラ・フィッツジェラルド等の在籍や、『ゲッツ/ジルベルト』でアメリカにボサノヴァを紹介したことで知られる。「クローニー」の歌詞には「ソニーではなくヴァーヴと契約するべきだったかしら」という歌詞があるが、実際にヴァーヴもネリー・マッカイを獲得しようとかなり熱心に働きかけていたらしい。その他にも、Blue Note LabelやVirgin Label も彼女の獲得にむけ動いていたようだ。



Vegetarian(ヴェジタリアン)

動物を愛するネリー・マッカイはもちろんヴェジタリアン。マクドナルドで食べるのはヴェジ・バーガー。他にデリで好きなのはニューヨークの「Zen Palate」の野菜餃子と「Vegetarian's paradice 2」のヴェジタリアン・ソウル・チキン。



W  



Wagen(ワーゲン)

身近で強盗殺人事件が起こって危険を感じたのと、家賃が払えなくなったという理由でハーレムから引っ越しす時、ネリーとママのロビン・パパスは9匹の猫と1匹の犬と共にフォルクス・ワーゲンのヴァンで旅をした。



X



Y



Z



ZZZ…(ZZZ・・・)

ネリー・マッカイはかなりな夜型のようだ。インタビュアーが昼の時間に彼女を訪ねていくと、まだ寝ていて出直してくれと頼まれたという記事が複数ある。ちなみに、アルバムタイトルの候補の一つに、自分の遅刻癖を表現した『Late Again』というものもあったそうだ。





(A to Z 作成 :山崎まどか)