リチャード・テイラーとエドワード・ソニー・ビヴィンズの二人が徴兵でドイツに駐留時代に意気投合し、帰国後さらに3人の仲間と共に1963年ニュージャージーでヴォーカル・グループ、ダルシッツDulcetsを結成しましたが、間もなく解散。



ビヴィンズとテイラーは翌'64年に新たにハイスクール時代の仲間を集めてマンハッタンズとして活動をスタート。ソウルの殿堂アポロ・シアターでのコンテスト3位入賞を契機にニューヨークのカーニバルというマイナー・レーベルと契約。2枚のアルバム"Dedicated To You""Manhattans Sing For You"を発表。



'68年キング・レコード傘下のデラックスと契約。ここでも2枚のアルバム"With This Hands""A Million To One"を発表。



'70年ジェラルド・アルストンが加入。同年、オリジナル・メンバーだったジョージ・スミスが脳腫瘍で死亡。



'72年「One Life To Live」がソウル・チャート3位を記録するヒットとなり、その後CBSコロムビアに移籍。移籍第1弾アルバム『ソウル・エクスタシーの神髄There's No Me Without You』発表。「君がすべてThere's No Me Without You」('73)はソウル・チャート3位、ポップ・チャートでも43位を記録するヒットとなりました。『That's How Much I Love You』('74)『The Manhattans』「涙の口づけKiss And Say Goodbye」('76) からは「キス・アンド・セイ・グッドバイ」がソウル・チャート1位、ポップ・チャートでも1位を記録し、200万枚をこえる大ヒットに。以降の彼らはまさにシーンの頂点を極めました。



77年にはホワイトハウスに招待され、ミュージカル・デビューも果たしました。しかしリチャード・テイラーが宗教上の理由から脱退し、マンハッタンズは4人組になりました。



『黄昏のマンハッタンIt Feels So Good』('77)『想い出にグッドバイThere's No Good Inn Goodbye』('78)『ラブ・トークLove Talk』('79)80年アルバム『マンハッタン・ミッドナイトAfter Midnight』(91年CD化)から「シャイニング・スター」がソウル・チャート4位、ポップ・チャート5位を記録して「キス・アンド・セイ・グッドバイ」に次ぐ大ヒットとなりました。『グレテスト・ヒッツGreatest Hits』発売。



81年東京音楽祭のため初来日。同年アルバム『ミッドナイト・ドリームBlack Tie』(91年CD化・廃盤)『Forever By Your Side』('83)『Too Hot To Stop It』('85)『All I Need』('87)リリース。彼らは後にピーボ・ブライソンとのデュエット「ビューティ・アンド・ザ・ビースト」で知られる女性シンガー、レジーナ・ベルを育てたことでも知られています。



88年にマンハッタンズはCBSを離れ、自身のインディ・レーベルを設立。ジェラルド・アルストンはグループを脱退してモータウンと契約しました。