エムトゥーメイ

エムトゥーメイの文字通り中心人物であるジェームス・エムトゥーメイは、’60年代末から有名なジャズ・パーカッショニストだった。



ちょうどジャズのクロスオーヴァー化の先端に立っていた巨星マイルス・デイビスのグループに4年半在籍したいわゆるマイルス・スクールの申し子の代表格。そして、ソニー・ロリンズのグループでも活躍した。



もともと、ジャズ・テナー・サックスの名プレイヤーであるジミー・ヒースを父に持ち、モダン・ジャズ・カルテット(MJQ)のベーシスト、パーシー・ヒース、著名ドラマーのアルバート・ヒースを伯父に持つというジャズ界のサラブレッドであった。



’78年あたりからは、プロデューサー/コンポーザー/プレイヤーとして、ニュー・ソウルやブラック・コンテンポラリーに関わることが多くなった。マイルス門下で同僚だったギタリストのレジー・ルーカスとコンビを組み、売れっ子のプロデュース・チームとして大活躍した。ロバータ・フラック、ステファニー・ミルズ、サダーン(Sadane)等を手がけている。しかし、ジェームスとレジーのふたりは、あくまでも、パフォーマーとしての活動を目指し、双頭リーダーのユニットMTUMEとして『In Search Of The Rainbow Seekers』(EPIC:’80年)といった隠れたる名盤も生んでいる。



後に単独で、マドンナのデビュー・アルバムをプロデュースするレジーはもちろんのこと、D-トレイン・ウィリアムズやジェノビア・ジェターを売り出したヒューバード・イーヴスⅢ世、ザ・ストレンジャーズ、ZLook、CHAD、エリック・ゲイブル、キャリン・ジョーンズなどを手がけたハワード・キングというその後の名プロデューサーふたりも輩出していることを考えると、’70年代末から’81、2年にかけてのユニット/グループのMTUMEは凄い才人揃いだったことが今にして解る。