フリオ・イグレシアス

フリオ・イグレシアス(本名フリオ・ホセ・イグレシアス・デ・ラ・クエヴァ、1943年9月23日生)は、1969年のレコードデビューから現在に至るまで、祖国スペインをはじめ全世界でこれまでに1億枚を超えるレコード売上を誇り、世界的なポップ・スーパースターとしてスペイン語圏のみならず全世界で70〜80年代にかけて絶大な人気を誇ったシンガーだ。

 スペインのマドリッドで医師の家庭に生まれ育ったフリオはサッカーのレアル・マドリッドのユースチームのゴールキーパーとしてサッカー選手への道を歩んでいたが、20歳の時交通事故で下半身の大怪我を負ってサッカーの道は断念。治療中にリハビリを兼ねて看護婦からプレゼントされたギターを習ううちに音楽の才能を確信したフリオは、退院後マドリード・コンパルテンセ大学で法律の学位を取得した後、本格的に音楽の道に進んだ。

 まず1968年、地元スペインで開催のベニドルム国際音楽祭において自作曲「La Vida Sigue Igual」で優勝し、スペインのコロンビア・レコードと契約、デビュー・アルバム『Yo Canto』が地元スペインで大ヒット。続いて1970年のユーロヴィジョン・ソング・コンテストにやはり自作曲「Gwendolyne」で出場、大会4位に終わったもののこの曲もヒットし、ここから70年代を通じて地元スペインを中心に、フランス語やイタリア語のアルバムもヒットさせるなど、ヨーロッパ全域で確固たる人気を積み上げていった。なお1970年には大阪万博で初来日を果たしている。

 1979年に拠点をアメリカのマイアミに移し、本格的にグローバル・アーティストとしての活動を加速したフリオは、1981年、コール・ポーターの名曲のカバー「ビギン・ザ・ビギン(Begin The Beguine (Volver A Empezar))」が初の英語での大ヒットとなり全英チャート1位を記録、同年ラテンのスタンダード曲「キエレメ・ムーチョ(Quiéreme Mucho (Yours))」も全英3位のヒットとなり、いよいよ英語圏マーケットでの人気を獲得することになった。この頃日本でも「ビギン・ザ・ビギン」の全英1位が紹介されたのをきっかけにフリオ人気が高まり、翌1982年リリースのアルバム『黒い瞳のナタリー(愛の瞬間)(Momentos)』はオリコン洋楽チャートで13週間1位を記録するなど、一時高い人気を誇っていた。

 そして1984年にはアメリカマーケットにターゲットを据え、プロデュースにヒットメイカーのリチャード・ペリーを、主要楽曲のソングライティングには「カリフォルニアの青い空」で有名なアルバート・ハモンドを迎え、ダイアナ・ロス、ウィリー・ネルソン、ビーチ・ボーイズをゲストに迎えた強力な布陣でのアルバム『ベル・エアー1100(1100 Bel Air Place)』をリリース。このアルバムからは、フリオの声をラジオで聞いて自ら共演を申し入れたというウィリー・ネルソンとのデュエット曲「かつて愛した女性へ(To All The Girls I’ve Loved Before)」が全米5位、カントリー・チャート1位、プラチナ・ディスクの大ヒットとなり、フリオの名前が全米に知れ渡ることになった。この時ラテン系アーティストとして全米ナショナルヒットを放つ数少ないアーティストとなったフリオは、2020年代の現在、全米チャートを席巻しているラテン系アーティストたちの躍進のある意味先駆者となったと言えるかもしれない。

 その後もダイアナ・ロスとのデュエット曲「オール・オブ・ユー(All Of You)」(1984)やスティーヴィー・ワンダーとのデュエット曲「My Love」(1988)のヒットを経て、1990年には英語曲のカバー集『スターリー・ナイト(Starry Night)』、1994年リリースのアルバム『クレイジー〜心の炎(Crazy)』ではスティング、ドリー・パートン、アート・ガーファンクルと共演するなど、80〜90年代を通じて全米でもコンスタントに英語曲を中心としたヒット作品をリリースし続けた。また1990年代後半にはフリオの次男、エンリケがシンガーとしてデビュー、1997年のセカンドアルバム『Vivir』(全米33位)がスペイン語アルバムながら全米でブレイク、1999年には「Bailamo」、2000年「Be With You」と立て続けに全米ナンバーワンヒットを放つなど、フリオに代わって全米でイグレシアス・ファミリーの存在感を見せつける活躍ぶりを見せた。

 一方フリオは1990年代終盤以降、英語作品からスペイン語アルバムへと作品内容をシフト、2001年にはブラジルをテーマにすべてポルトガル語による『Ao Meu Brasil』を発表するなど、ラテンマーケットを中心とした活動に回帰し始めた。そんな中発表した『ディボルシオ〜別れ(Divorcio)』(2003)がスペインを中心にヨーロッパで久々の大ヒットを記録。フリオはヨーロッパ、アジア、南北アメリカを回る10ヶ月のワールド・ツアーを敢行し、各地で多くの観客を集めその人気を改めて見せつけたのだった。

 2006年には12年ぶりに全曲英語のアルバム『今宵もロマンティック(Romantic Classics)』をリリース、フォリナーの「アイ・ウォナ・ノウ(I Want To Know What Love Is)」やワム!の「ケアレス・ウィスパー(Careless Whisper)」など、自ら選んだ1960〜1980年代のポピュラー曲をフリオ一流のスタイルでカバーし、久しぶりに英米でのヒットを飛ばした。しかしその後はほとんど新作を発表することはなく、むしろ2013年にはギネスブックから「最も売上を上げた男性ラテンアーティスト」の認定を受けたり、ソニー・ミュージック・チャイナから「中国で史上初かつ最も人気のある国際アーティスト賞」を受賞したり、ラテン・ソングライターの殿堂入りしたり、更には2015年にはボストンのバークレー音楽院から名誉学位を受けたりと、彼のこれまでのグローバルで高い人気と国際的な実績に対する様々な評価を受けている。

2020年、市場価値が数十億円に上ると言われたマイアミのインディアン・クリークにある豪邸をトランプ元大統領の娘、イヴァンカ・トランプ夫妻に売却したというニュースが入ってきて以降、フリオの活動についての新しいニュースは入って来ていないが、アメリカで成功した世界的ラテン・アーティストとして歴史にその名を深く刻んだことは、決して忘れられることはないだろう。

 

ディスコグラフィ(カッコ内は原盤レーベル、- 以降は英米スペイン(Sp)のチャート実績、USL=USラテンアルバムチャート順位)

1.主なアルバム

1969年 『Yo Canto』 (Columbia) – Sp 3位

1970年 『Gwendolyne』(Decca)

1972年 『Un Canto A Galicia』

1973年 『私自身のモノローゴ(Soy)』(Columbia)

1974年 『哀しい花(A Flor De Piel)』(Columbia)

1975年 『メキシコに捧ぐ(A México)』(Columbia)

『エル・アモール(愛)(El Amor)』(Columbia)

1976年 『黄昏のカミニート(América)』(Columbia)

1977年 『33歳(愛・フィエスタ)(A Mis 33 Años)』(Philips)

1978年 『Aimer La Vie』(CBS)

『キエレメ・ムーチョ(情熱)(Emociones)』(Columbia)

『Sono Un Pirata, Sono Un Signore』(CBS)

1979年 『A Vous Les Femmes』(CBS)

1980年 『HEY!セニョール(Hey!)』(Columbia) – US 179位(ゴールド)、USL 4位(4x ラテンプラチナ)

1981年 『イザベラの瞳(De Niña A Mujer / From A Child To A Woman)』(CBS) – US 181位、UK 43位

『Zartlichkeiten』(CBS)

『ビギン・ザ・ビギン(Begin The Beguine)』(CBS) – UK 5位(ゴールド)

1982年 『黒い瞳のナタリー(愛の瞬間)(Momentos / Moments)』(Columbia) – US 191位、USL 25位(2x ラテンプラチナ)、オリコン洋楽1位(13週)

『Momenti』(CBS)

『Amor』(CBS) – UK 14位(ゴールド)

『Et L’amour Crea La Femme』(CBS)

1983年 『In Concert』(ライブ盤)(Columbia) – US 159位、USL 34位(2x ラテンプラチナ)

『JULIO(Julio)』(ベスト盤)(Columbia) – US 32位(2xプラチナ)、USL 6位、UK 5位(ゴールド)

1984年 『ベル・エアー1100(1100 Bel Air Place)』(Columbia) – US 5位(4x プラチナ)、UK 14位(シルバー)

1985年 『リーブラ/天秤座(Libra)』(Columbia) – US 92位(ゴールド、6x ラテンプラチナ)、UK 61位

1987年 『孤独の男(Un Hombre Solo)』(CBS)

『Tutto L’amore Che Ti Manca』(CBS)

1988年 『ノン・ストップ(Non Stop)』(Columbia) – US 52位(ゴールド)、UK 33位(ゴールド)

1989年 『ライーセス(ルーツ)(Raíces)』(CBS) – USL 45位

1990年 『スターリー・ナイト(Starry Night)』(Columbia) – US 37位(ゴールド)、UK 27位(ゴールド)

1992年 『カロール(Calor)』(Columbia) – US 186位、USL 34位

1994年 『クレイジー〜心の炎(Crazy)』(Columbia) – US 30位(ゴールド)、UK 6位(プラチナ)

1995年 『ラ・カレテーラ(La Carretera)』(Columbia) – USL 3位、UK 6位

1996年 『タンゴ(Tango)』(Columbia) – US 81位(ゴールド)、USL 1位(10週、6x ラテンプラチナ)、UK 56位(シルバー)

1998年 『Mi Vida: Grandes Éxitos』(ベスト盤)(Columbia) – USL 21位

『マイ・ライフ〜グレイテスト・ヒッツ(My Life: The Greatest Hits)』(ベスト盤)(Columbia) – USL 4位(2x ラテンプラチナ)、UK 18位(ゴールド)

2000年 『Noche De Cuatro Lunas』(Sony) – USL 3位(ラテンプラチナ)、UK 32位

2001年 『Ao Meu Brasil』(Columbia)

2003年 『ディボルシオ〜別れ(Divorcio)』(Sony) – USL 9位

『ラヴ・ソングス(Love Songs)』(ベスト盤)(Sony) – UK 64位

2004年 『En Français…』(Columbia)

2005年 『L’Homme Que Je Suis』(Sony)

2006年 『今宵もロマンティック(Romantic Classics)』(Columbia) – US 43位、UK 42位(シルバー)

2007年 『Quelque Chose de France』(Sony)

2011年 『Volume 1(1)』(Sony) – USL 12位、UK 18位

2015年 『México』(Sony) – USL 2位

2017年 『愛しのメキシコwithフレンズ(México & Amigos)』(Sony) – USL 49位

 

2,主なシングル(USAC=USアダルト・コンテンポラリー・チャート)

1968年 「La Vida Sigue Igual」- Sp 15位

「No Ilores, Mi Amor」- Sp 20位

1969年 「Yo Canto」- Sp 10位

1970年 「Chiquilla」- Sp 16位

「Gwendolyne」- Sp 1位

1971年 「Cuando Vuelva An Amanecer」- Sp 29位

「En Un Rincón Del Desván」- Sp 25位

「Un Canto A Galicia」- Sp 14位

1972年 「Por Una Mujer」- Sp 15位

「Río Rebelde」- Sp 5位

1973年 「Así Nacemos」- Sp 24位

「Minueto」- Sp 14位

1974年 「A Flor De Piel」- Sp 9位

「Manuela」- Sp 3位

1975年 「Cu-cu-rru-cu-cú Paloma」- Sp 16位

「Abrázame」- Sp 7位

1977年 「Soy Un Truhán, Soy Un Señor」- Sp 9位

1978年 「Me Olvidé de Vivir」- Sp 20位

1980年 「Hey!」- UK 31位

1981年 「ビギン・ザ・ビギン(Begin The Beguine (Volver A Empezar))」- UK 1位(シルバー)

「キエレメ・ムーチョ(Quiéreme Mucho (Yours))」- UK 3位(シルバー)

1982年 「アモール・アモール(Amor)」- USAC 30位、UK 32位

「黒い瞳のナタリー(Nathalie)」

「So Close To Me」- UK 92位

1983年 「Forever And Ever」- UK 91位

1984年 「オール・オブ・ユー(All Of You)」(ダイアナ・ロスとの共演)- US 19位、USAC 2位、UK 43位

「Moonlight Lady」- USAC 17位

「かつて愛した女性へ(To All The Girls I’ve Loved Before)」(ウィリー・ネルソンとの共演)- US 5位(プラチナ)、USカントリー1位(1週)、USAC 3位、UK 17位

1987年 「Intentando Otra Vez Enamorarme」- USL 49位

「愛しき女性よ(Lo Mejor de Tu Vida)」- USL 1位(13週)

「Que No Se Rompa la Noche」- USL 1位(2週)

「Todo El Amor Que Te Hace Falta」- USL 8位

1988年 「Alguien」- USL 18位

「Love Is On Our Side Again」- UK 81位

「My Love」(スティーヴィー・ワンダーとの共演)- US 80位、USAC 14位、UK 5位

1989年 「Spanish Eyes」(ウィリー・ネルソンとの共演)- USカントリー 8位「Caballo Viejo / Bamboleo」- USL 6位

「Mexico Medley」- USL 37位

1992年 「Esos Amores」- USL 23位

「Milonga Sentimental / Vivo (Medley)」- USL 5位

「Y Anque Te Haga Calor」- USL 8位

1994年 「Crazy」- USL 9位、UK 43位

「Fragile」(スティングとの共演)- UK 53位

1995年 「Agua Dulce, Agua Salá」- USL 3位

「Baila Morena」- USL 12位

「La Carretera」- USL 10位

1996年 「Tango Medley」- USL 27位

1997年 「Volver」- USL 28位

2000年 「Dos Corazones, Dos Historias」(アレハンドロ・フェルナンデスとの共演)- USL 29位

「Gozar La Vida」- USL 8位

2003年 「Corazón de Papel」- USL 35位

2015年 「Fallaste Corazón」- Sp 20位

 

*  USでは、アルバム・シングル共にラテンゴールド=3万枚、ラテンプラチナ=6万枚、ゴールド=50万枚、プラチナ=100万枚(2x=200万枚)の売上によりRIAA(アメリカレコード協会)が認定。UKではアルバムはゴールド=10万枚、プラチナ=30万枚、シングルはシルバー=20万枚、ゴールド=40万枚、プラチナ=60万枚の売上によりBPI(英国レコード産業協会)が認定。いずれも2022年7月現在。