河村尚子、「蜜蜂と遠雷」と、栄伝亜夜を語る ~最新ロング・インタビュー掲載!
河村尚子、「蜜蜂と遠雷」と、栄伝亜夜を語る
「蜜蜂と遠雷」のピアノ演奏にかかわるきっかけ
—映画「蜜蜂と遠雷」をご覧になって、いかがでしたか?
みなさんそれぞれの演技に個性があってすばらしいのはもちろん、ピアノ演奏の姿や舞台上の動きなども自然で見事だと思いました。さすがすばらしい俳優さんたちが携わった映画ですね。そんな演技に音楽が重なって、高揚感や感動がより大きなものになっていると思いました。 松岡茉優さんにお聞きしたのですが、各シーンの撮影に入る前、石川慶監督が音楽を聴かせてくださったことで、その世界に入り込むことができたということでした。そういうさまざまな配慮があって、あの雰囲気が創り出されているのでしょう。 音楽が前面に出ていて、音楽家の一人としてとてもありがたい映画です。これをきっかけに、普通コンサートに足を運ばれない方にも、クラシック音楽に興味をもっていただけたら嬉しいです。
—どのような経緯で栄伝亜夜のピアノ演奏を担当することになったのでしょうか?
2017年に原作に登場する曲を集めたCD(『蜜蜂と遠雷』ピアノ全集[完全盤])が制作されることになったとき、ショパンのバラード第1番の録音として、恩田陸さんが私の演奏を選んでくださいました。そのつながりで、映画化の際、恩田さんが推薦してくださったと聞いています。お話をいただいたときは、こんなことは初めてなので驚きましたが、ものすごく貴重なチャンスなのでやってみようと思いました。
—昨年行われた東京での録音セッションには、恩田さんや亜夜役の松岡さんもいらしていたそうですね。普段の録音とはまた雰囲気が違ったと思いますが、いかがでしたか?
普段、録音というのは空っぽのホールに一人という状態で行いますが、客席にたくさんの方がいらしたので、いつもと違う雰囲気でした。「春と修羅」を録音する時など、舞台には一人しかいないのに客席に30人くらいの方がいたりして(笑)。でも、緊張もなく普段通りに演奏に臨むことができました。
—松岡さんに、ピアノを弾く姿の演技指導のようなことはされたのですか?
私からは直接していないですが、松岡さん、石川監督には、演奏中の精神面や、コンクールの経験などについてお話ししました。録音の様子も撮影されていて、これをもとに、演奏するときの手や腕の動きや雰囲気などを学ばれたようです。
現実の音になった「春と修羅」
—コンクールの新作課題曲として登場する「春と修羅」は、藤倉大さんが原作の世界観を再現する形で作曲されました。今回、演奏されてみていかがでしたか?
最初は、とにかく難しい曲だなぁ、と思いました(笑)。始まりの部分のシンプルなテーマは歌のようで、コアなクラシック音楽ファンでなくてもなじみやすいと思います。そして、そこからどんどん複雑になっていくんですね。左手は4つの音を弾いているけれども、右手は5つの音を弾くというように、両手のリズムが全く違って、それがものすごく複雑に、微妙に変化していきます。こうした部分は、演奏を仕上げていくうえで時間がかかりました。 最初の録音は、昨年7月にドイツのブレーメンで行ったのですが、それがちょうど藤倉さんの「春と修羅」が出来上がった1週間後だったんです。この1度目の録音のときは、曲を練習し学ぶ時間が短かったこともあって、忍び足のテンポというか、ゆっくりめに弾いていたみたいで(笑)。映画に使うにあたって長すぎるから、もう少しテンポをあげて6分半で演奏してほしいという依頼があって、1ヵ月後に東京で録り直しました。こういうところは、映画の世界ならではですね。 カデンツァの部分は、4人のピアニスト用にそれぞれ別のものが用意されたわけですが、藤倉さんがすばらしいのは、それぞれのキャラクターの性格や個性に応じてまったく違う音楽を書いていらっしゃるところ。一人の作曲家が書いたとは思えないくらいです。 恩田陸さんが原作で表現しているカデンツァの雰囲気を、とても大切にしてあります。例えば亜夜のカデンツァは、おおらかでどっしりとした自然を思い浮かべるような音楽で、子供が駆け回るような忙しい部分にはジャズっぽい雰囲気もあります。弾いていて楽しかったです。
—実際のコンクールで現代作品の課題曲にカデンツァが入っていたら、ピアニストは悩むでしょうね。もしそういうケースがあったらどうでしょう?
大変ですよね…。例えば、モーツァルトのピアノ協奏曲でカデンツァがない場合、自分で作って弾くことはありますが、現代曲の課題でカデンツァを自作する、というのは、経験したことがありません。自分だったら一体どんなカデンツァを作ったか・・・。20代前半でそんなに良いカデンツァが作曲できたでしょうかね。 今回は藤倉さんが4人のためにすばらしいカデンツァを作ってくださっていますが、実際のコンクールでたくさんの参加者がいたら、あそこまでのレベルに及ぶカデンツァが書けない人もたくさん出てくるでしょうね。審査の基準もむずかしいでしょうし、それはそれでやっぱり大変です(笑)。
—クラシックのレパートリーを演奏するにあたって、映画のストーリーや亜夜のキャラクターを意識して表現を変える部分はあったのでしょうか?
私はあえて、普段の演奏と全く変えていません。自分自身が考える音楽を演奏して、それを録音していただきました。 でも、そもそも恩田さんが設定なさった、亜夜の弾くプログラミングそのものから、亜夜のキャラクターが感じられますね。例えばバッハの「前奏曲とフーガ第5番」の軽やかさ、はつらつとしたところからは、亜夜の子供っぽさのようなものを感じました。リストの「メフィスト・ワルツ」やショパンのバラード第1番、プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番などには、彼女の情熱や、身体の中に秘めている濃いものが表れていると思いました。
コンクールの内実を細かなところまで再現
—「蜜蜂と遠雷」で描かれるコンクールと、ご自身が経験されてきたコンクールを比べて、どんなことを感じますか?
「蜜蜂と遠雷」では、コンクールの表舞台はもちろん、運営側のこともとてもよく観察して描かれていると思いました。コンテスタントの写真が貼り出されて、次のステージに進むと花をつけるというところなんかも再現されていましたね。コンテスタントの舞台裏での行動や、出番の日まで何をして過ごしているのかということ、コンテスタント同士が仲良くなっていく様子などが凝縮して描かれているのも素敵です。 一方で、実際のコンクールでは、正直にいえばコンテスタント全員が輝かしい才能というわけではありません。1週間、朝から晩まで行われる演奏の中には、つまらないものもあれば上手なものもあります。たくさんの平凡な演奏の中で、突然素晴らしい才能が現れるから、うわっと惹きつけられるんですよね。
—コンクール中のコンテスタントの心理の描写で、河村さんがとくに共感したことはありますか?
ものすごく共感したのが、1次でうまく弾けなかったと思って、もう家に帰ろうか、私はこれ以上ここにいる必要がないと考えるところですね。そういうことは、私にも何度もありました。
—でも、そういう時ってなぜか審査を通ることも多かったり?
そうなんですよね。自分自身で感じていることと、他人が感じることには違いがある、ということですよね。あとは、毎日準備をする中、自分には自分のレベルがどこまでに達しているかがわかるので、コンクールの舞台でそれが全部出せないと、ダメだと感じるんです。
感覚的で自然体の亜夜
—亜夜の役柄やキャラクターに対して、どんなことを感じますか?
まず、すごく自然体で音楽をしているところに共感しています。感覚的な演奏の仕方が、私自身に似ていると感じました。 亜夜は子供の頃から、演奏をするときに意識的なところがあまりないし、ものすごく頭脳派というタイプでもありません。昔から続けてきた、その感覚的で自然体のピアノ奏法が、今、二十歳になって、意識的に音楽を解釈していくということとぶつかり合っている。そこで葛藤を感じているのではないかと思います。 お母さんが亡くなったあと、オーケストラと共演する舞台に出られずに逃げてしまった経験のトラウマがあるのは確かです。でもそのことよりも、意識と感覚が一致していない状態のほうが、彼女にとっては不安だったのではないでしょうか。 そして物語の中では、亜夜はそんなトラウマと不安を乗り越えて、ファイナルでオーケストラと演奏し、一皮向けてステップアップします。これから、感覚と意識をバランスよく取って成長し続けるピアニストではないかなと思いました。
—長く活躍するプロのピアニストは、子供の頃から神童と呼ばれてきた方がほとんどです。一方で実際には、“神童”といわれた多くの人が、亜夜のように20歳前後で迷い、結果的に乗り越えてピアノを続けることもあればやめることもあるのかなと思います。河村さんは、そういう迷いを感じた時代があるのでしょうか?
あります、たくさんありましたよ! それこそ、10代の頃は感覚的に弾いていたものが、作品の解釈はこうあるべきだということを意識するようになって、自分の感覚との間にちぐはぐなものを感じるようになっていきました。筋の通った演奏ができないことに戸惑いを感じるのです。それはまさに迷いの時期でした。10代のときに軽々と弾けていたものが、急に弾けなくなったりするわけですよ。理由はなんだろうと考えると、意識が邪魔しているんです。 それでも舞台に立って、失敗も含む経験を重ねていくうちに、自分の音楽を見つけ出すのだと思います。失敗があってこその成功です。
—そういう迷いを乗り越えたと実感できたのは、おいくつくらいの時ですか?
そんなに昔のことではないですよ(笑)。……いずれにしても、乗り越えるという経験は、これからもきっと、死ぬまであると思います。
—亜夜も最終的には、辛い想いを乗り越えてピアノを弾き続けます。ピアニストは大変な仕事だと思いますが、それぞれに迷いを抱えながらもピアノを続けていく、 その理由はどこにあるのでしょうか。
毎日続けてきたことだからこそ、かけがえのないものになっているのですよね。亜夜の場合は、子供の頃からピアノが大好きで、亡くなったお母さんとの思い出もあるとっても大事なものです。そんなピアノと歩んできたことを、たった一度の悔しい出来事をきっかけに、取り消しにはしたくない。そういう想いもあったのではないでしょうか。
自分が体験した実際のコンクール
—コンクールでの演奏には、ピアニストからいつものコンサートとはまた違った独特のアドレナリンを感じることがあります。河村さんは、コンクールの舞台ならではの演奏の思い出はありますか?
そうですね、やはり普段とは少し違う演奏になります。特別に脈も速くなっていますし……もちろん普段のコンサートでも脈は速くなりますけれど。 私自身の思い出としては、コンクールのファイナルという大舞台で、もうこのあと手がどうなってもいい、身体がどうなってもいい、それでもこれを最後まで弾きたい!という気持ちになったことを覚えています。ゲザ・アンダ国際ピアノ・コンクールで弾いたショパンのピアノ協奏曲第2番、ミュンヘンのARDコンクールで弾いたリストのピアノ協奏曲第2番や、クララ・ハスキル・コンクールで弾いたショパンのピアノ協奏曲第1番もそうでした。まさに全力投球です。 亜夜がファイナルで弾くプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番は、すごく推進力があって、前進あるのみという雰囲気の曲ですから、元気よくリズムを取りながら弾いていきました。とくに第3楽章のコーダの部分になると、本当に鼓動が速くなっていきますよね。録音中は、音楽自体をとても楽しんでいました。
—実際にご自身が参加したコンクールで、実際にプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番を演奏したことはありますか?
用意していたことはあります。2003年に受けたゲザ・アンダ国際ピアノ・コンクールでは、ファイナルのために協奏曲を2曲分、準備しておいて、ファイナリストが決まったところで、審査員がどちらか1曲を課題に指定するというルールでした。その時、プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番とショパンのピアノ協奏曲第2番を用意してあったのですが、審査員に選ばれたのがショパンの方だったので、プロコフィエフは結局弾かなかったんです。 プロコフィエフの第3番は、恩師であるウラディーミル・クライネフ氏の十八番のレパートリーだったので、思い出の曲です。彼は、プロコフィエフならではのコミカルでリズミカルな表現を得意としていました。具体的にこの曲についてレッスンを受けたのは数回でしたが、情緒的な部分を甘くしすぎず、プロコフィエフらしい、すっきりとエレガントで古典的な部分を出して弾くようにと言われたことが記憶に残っています。
—映画の中の音楽的なシーンで、とくに印象に残っているものはありますか?
やっぱり最後の盛り上がりの部分ですね。亜夜が、ファイナルの舞台に立たずに帰ろうとしていたところから、昔のトラウマと壁を乗り越えて、自分の音楽を奏でようとする。プロコフィエフの第3番は、最後すごく盛り上がる曲ですから、それと一緒に観客も元気になり、ハッピーエンドに向かっていきます。その音楽と演技がマッチして、とても感動的な場面となっていると思います。
ベートーヴェンのピアノ・ソナタへの思い
—今回のプロコフィエフもそうですが、最近取り組んでいらっしゃるベートーヴェンのピアノ・ソナタでも、河村さんの演奏にはさっぱりとした爽快感があって、とても魅力的です。どうするとあのような音が鳴らせるのだろうと思いますが、ピアノに触れる上で一番大切にされていることはなんでしょうか。
音色、色彩感、発音を大切にしています。音の立ち上がりがクリアであれば、そのあとの音の鳴りがよく、そして鳴る時間も長くなります。 また、ベートーヴェンのような古典的な作品、ラヴェルやドビュッシーなどの印象主義的な作品で、音の色を分け、色彩に変化をつけることも、音楽の雰囲気を作る上でとても大事なことです。 例えばベートーヴェでは、和声によって求める色も違い、実際に音を聞きながら演奏を組み立てていきます。どんな色彩を出すか、そのためにはこの音を強くすると濃い色がでるとか、暗い色がでるとか、まるでDJのように(笑)、音をミックスしながら探していくのが好きですね。
—今ピアニストとして特に真剣に取り組んでる作品、のめり込んでいる活動はありますか?
やはりベートーヴェンで、最後の三つのピアノ・ソナタですね。多くのピアニストが演奏する曲なので、他の演奏の記憶が脳に焼き付いていますが、やはり楽譜から自分で読み取ったものを音楽にしていかなくてはならないので、今、自分自身のアプローチを模索しているところです。自分の道を見つけるため、楽譜とにらめっこですね。あとは、ベートーヴェンが同じ時期に作曲した弦楽四重奏など他の作品を聴いて、ヒントを得ることもあります。
—ピアニストとしての喜び、または苦労はどんな時に感じますか。
コンクールに出る、コンサートでこの作品を弾くなど、自分で自分に与えた課題を納得のいくレベルでやり遂げるということ、自分自身に挑戦するということは、楽しい時もあれば苦しい時もあります。辛くなるときというのは、自分自身の実力がちゃんとわかっていなかったとか、精神状態があまり良くなかったとか、いろいろな理由が考えられます。もちろん、その挑戦がただひたすらに楽しければ最高なんですけれど、たとえ苦しかったとしても、それを乗り越えると、喜びや安堵感、嬉しさが特別なものになるのです。
聞き手:高坂はる香 (2019年8月、東京にて)