溝口 肇
溝口 肇
Hajime Mizoguchi
チェリスト・作曲家。東京生まれ。

カラヤンをテレビで見て3歳からピアノを始める。最初の先生は日本が誇るバンドネオン奏者、故 池田光男。

その後幾度の引っ越しでピアノ先生が変わり東京に戻ったのをきっかけに、 11歳からチェロを始める。何故チェロを選んだかは実家の近くに先生がいらしたからであるが、その偶然が溝口の人生を決定づけている。

チェロの勉強と共に中学、高校とロックバンドを組みキーボードを担当していた。コピーバンドとしてディープパープル、ビートルズ、クリーム、サディスティックミカバンド、クリムゾン、リターントゥーフォーエバー、ウエザーリポート等、ありとあらゆるものを演奏していた。また中学時代の友人、高校時代のバンド仲間はプロの音楽家として活躍中。学校ではロック音楽を、家ではチェロの練習の為にクラシック音楽という二重生活だった。高校時代は陸上部所属で専門は棒高跳び。東京都新人戦では三位入賞。

東京芸術大学音楽学部器楽科チェロ専攻に入学。この頃はクラシック音楽家としてデビューを夢見ていたが、学生時代から八神純子、上田知華とカリョウビン等のサポートメンバーを始め、ポップミュージックの魅力を改めて知り、大学卒業後、スタジオミュージシャンとなり前田ストリングスにレギュラーメンバーとして所属、5年ほどレコーディングに携わる。

24歳の時に自身が起こした自動車事故によってムチウチ症となり、その苦しみから逃れるため「眠るための音楽」を作曲し始める。

スタジオミュージシャンとしての経験から「眠るための音楽」は自分自身のソロ楽曲として書きためられ、1986年『ハーフインチデザート』(Halfinch Dessert)でソニーからデビュー。以後、クラシック、ポップス、ロックなど幅広いジャンルで演奏・作曲活動を展開している。

その作品には、映画音楽 やテレビ番組の音楽として用いられているものが多い。 20年続いている番組「世界の車窓から」のテーマ曲はあまりにも有名。また、日本たばこピースライト、ギャラクシ−企業イメ−ジのCMにも出演し、多くの人々にその姿と音楽を、印象づけることになった。テレビ関係に出演する機会も多く、特に旅番組には数多く出演している。

コンピューターに関しても造詣が深く特に音楽制作には古くから使用している。またヴィンテージ録音機材にも詳しく特にマイクはこだわっていて、レコーディング時には自身が所有しているものを持ち込み使っている。

所有している楽器は1723年のアレキサンドロ ガリアノ(ナポリ)で「アンジェラ」と命名して愛用している。