ジョージ・マイケル
1982 – 1986 ワム!誕生~解散

  1963年6月25日ロンドン郊外に生まれる。 学生時代に知り合ったジョージ・マイケルとアンドリュー・リッジリーのふたりは81年から活動を始め、ワム!と名乗ったのが82年。当初はクラブ・アクトといったタイプのデュオだったが、のちにオーヴァーグラウンドな人気を獲得してゆくこととなる。特に彼らの強みだったのが、バブルガムなサウンドでアイドル的人気を掴む一方で、同時に大人たちにもアピールする佳曲やバラードを生み出せてしまえたことだろう。オリジナル・アルバムは83年の『Fantastic』と84年の『Make It Big』の2枚。コンピレーションは86年のラスト・アルバム『The Final』(北米では『The Music From The Edge Of Heaven』)と、97年の『The Best Of Wham!: If You Were There』がリリースされている。シングル・ヒットは「Young Guns(Go For It!)」、「Bad Boys」、「Club Tropicana」、「Wake Me Up Before You Go-Go」、「Freedom」、「Everything She Wants / Last Christmas」、「I’m Your Man」、「The Edge Of Heaven」と挙げていけばキリがないほど。またジョージ名義で発表された「Careless Whisper」、「A Different Corner」といったヒットも、その後のソロ活動を予言するものだった。86年に行なわれたウェンブリー・スタジアムでの解散コンサートでは、正しくピークにおける解散を見せ付けた。


1987 – 1995 ソロ~活動停止

 ワム!解散後、ソロとなったジョージは、そのピークの目盛りをさらに振り切って驀進する。87年のアレサ・フランクリンとのデュエット「I Know You Were Waiting」を皮切りに、「I Want You Sex」、「Faith」、「Father Figure」、「One More Try」、「Monkey」、「Praying For Time」、「Kissing A Fool」と立て続けにヒットを放っては記録を塗り替えてゆく。特にこの時期はアメリカでの勢いが凄まじく、もはや歯止めの利かない状態。セックス・シンボルとしてのアピールもその人気に拍車を掛けていた。87年のファースト・ソロ・アルバム『Faith』は、最終的にアメリカで1,000万枚、全世界では1,500万枚のセールスを突破。グラミー賞のベスト・アルバムを始め数々の賞を受賞した。

だが90年のアルバム『Listen Without Prejudice Volume1』では、もっと内面世界を探求し、ジャジーで大人のムードを打ち出す方向性へとシフトする。「Praying For Time」や、スーパーモデルを起用したビデオで話題を撒いた「Freedom‘90」が大ヒット。その後はエルトン・ジョンと共演した「Don’t Let The Sun Go Down On Me」や、チャリティ・アルバム『Red Hot + Dance』に提供した「Too Funky」、クィーンと共演した「Somebody To Love」を含む『Five Live EP』といった変則的な作品が増えてゆくのは、この頃からレコード会社との確執が肥大化していったことを物語っている。ソニーから充分なサポートを受けていないと感じていたジョージは、レコード契約を破棄したいと要求して裁判で争うが、その間には、思うような音楽活動を行えない状況を強いられることとなった。


1996 – 1999 復帰~事件

 結局レコード契約を解消したいというジョージの求めは裁判で却下されるが、その後ソニーとは和解が成立。96年のアルバム『Older』は、北米ではドリームワークスが、日本を含むその他の地域ではヴァージン・レコードが権利を握った。『Older』というタイトルからも窺える通り、アダルトで洗練された魅力が開花。「Jesus To A Child」、「Fastlove」、「Spinning The Wheel」、「Older」、「Star People ‘97」、「You Have Been Loved」などがUKを中心にヒットした。後に『Older and Upper』という2枚組の限定盤もリリースになっているが、本作の“For The Loyal”に収録の「You Know That I Want To」や「Safe」はそこからのナンバー。

 そして事件が勃発した。例のL.A.の公衆トイレでの猥褻行為による逮捕と、それに続いた強制的カミングアウト。ああ、これでジョージの歌手生命も終わったか…と思えば、それを逆手に取って「Outside」で自らをネタにする。こういうユーモアのセンスや事件を通して、ジョージに対するパブリック・イメージもかなり変化したのでは?という気がする。98年にはこの曲やメアリー・J・ブライジとのデュエット「As」を含む、初の2枚組ベスト・アルバム『Ladies and Gentleman: The Best Of George Michael』が発表された。

99年末にリリースの『Songs From The Last Century』は、ジョージにとって初のカバー・アルバム。本作の“For The Loyal”に収録の「Roxanne」や「My Baby Just Cares For Me」「Brother Can You Spare A Dime?」は、ここからのナンバー。その選曲からは彼のパーソナルな音楽テイストというのが窺える。

2000 – 2006 再起~現在

 00年のホイットニー・ヒューストンとのデュエット「If I Told You That」を挟んで、04年には5作目(オリジナルとしては4作目)にあたる新作『Patience』でポップ街道へと再び戻ってくる。先行して02年にリリースされた「Freeek!」、「Shoot The Dog」、そしてアルバムからのシングルカットとして「Amazing」、「Flawless」、「Round Here」、「John And Elvis Are Dead」といったヒットが続出。熟成されたまろやかなサウンドと、歯に衣着せぬ物言いが痛快に響き渡った。カミングアウトを機にすっかり肩の荷が下りた、といったところだろうか。05年に日本で公開されたドキュメント映画『ジョージ・マイケル~素顔の告白』からも、現在の吹っ切れた心境というのが伝わってきた。

 そして2006年、デビュー25周年に向けて一大プロジェクトがスタート。6月にシングル「An Easier Affair」をリリースし、なんと15年ぶりとなるヨーロッパ・ツアー“25 Live”を行うことを発表。それと合わせた形でワム!時代の音源を含むグレイテスト・ヒッツの発売も決定する。現在は、9/23バルセロナを皮切りに3ヶ月近くにわたるツアーがスタート、全会場でチケット売り出しと同時に完売しヨーロッパ中を熱狂の渦に巻き込んでいる。