ジョージ・デューク
1946年1月12日、カリフォルニア州サン・ラファエル生まれ。ジャズ・ミュージシャンとして、サンフランシスコをベースに活動。フランスのヴァイオリン奏者、ジャン・リュック・ポンティー、ドン・エリス(トランペット)、キャノンボール・アダレイ(サックス)などと演奏。さらに、ロック・ミュージシャンのフランク・ザッパのバンドにも参加するなど幅広いジャンルで活躍。1970年代初めからドイツのジャズ・レーベルMPSで自身のリーダー作を発表。1977年にエピック(EPIC)に移籍し、ジャズ、フュージョンだけでなく、ソウル/ファンクへ接近していった。ファンク・テイストがもっともよく出たアルバム『リーチ・フォー・イット』(1977)はR&Bチャート4位を記録し、キャリア最大のヒットになった。ジャズ/ソウル/ファンク/ブラック・コンテンポラリー、さらにブラジル音楽などジャンルを縦横無尽にまたいで音楽活動を行った。後にヒップホップ系のアーティストやプロデューサーたちによってサンプリングされた作品も多い。1980年には、女性グループ、ア・テイスト・オブ・ハニーの「スキヤキ」をプロデュース。この大ヒットを皮切りに、シンガーのプロデュース依頼が殺到するようになり、ジェフリー・オズボーン、デニース・ウィリアムス、姪でもあるダイアン・リーヴスなどの作品を手掛けた。また盟友ベースのスタンリー・クラークと「クラーク・デューク・プロジェクト」を結成し、「スイート・ベイビー」(1981)が大ヒット。さらに日本では1982年に「シャイン・オン」がディスコ・ヒットした。1986年、マイルス・デイヴィスの『ツツ』収録曲をプロデュース、さらに、1988年ロンドンで行われたネルソン・マンデラ・トリビュート・コンサートでは音楽監督を担当。2011年夏にはデイヴィッド・サンボーン、マーカス・ミラーとスーパー・ユニット、DMS(デューク・ミラー・サンボーン)を結成しツアーした。これまで来日も多く、2012年12月、クラーク・デューク・プロジェクトとして来日コンサートを行っていた。2013年8月5日、ロサンゼルスの病院で死去した。