DAMONE
2001年、マサチューセッツ州のウォルサムという街で−それはボストンのワーキング・クラスたちのサバーブ(郊外)だが−あるロックン・ロール・バンドが結成された。

 そのバンドの目的は、デイヴ・ピノというソングライター/ギタリストが制作した音楽を、広くパフォーマンスすることであった。デイヴは近年ウォルサムではレジェンド的存在となっていた人物だが、ボストン地区のアンダーグラウンドの外ではまったく無名で、彼の楽曲もこれまでリリースされることはなかったのだ。映画「初体験リッジモント・ハイ」のキャラクターにちなんで、Damoneと名づけられたこのバンドが、ちょっとした戯れで生じたことは偽りではない。デイヴとベーシストのヴァスケスは、この固く団結したスモール・タウンのロッカーたち(彼ら自身の音楽言語を創り出すことで、残りの世界からは孤立していた)のコミュニティの一員であった。

「音楽を始めた理由は、」ヴァスケスは言ったことがあった。

「4年生のときにデイヴがアコースティック・ギターを学校に持ってきて、“ラ・バンバ”をプレイしたんだけど、すると突然女のコたちがデイヴに付き纏い始めたんだよ。だから翌日はおれもギターを抱えて学校に行ったのさ」

 ドラマーのダスティン・ヘンストは、デイブと共に他のバンドでレコーディングすることに1、2年を費やしていた。デイヴとヴァスケスは、友人の妹ということもあってすでにヴォーカルのノエルのことを知っていた。ノエルは兄とハード・コア・バンドでプレイしており、彼女の存在はウォルサムでNo.1のティーンエイジ・パーティ、Prospect Hillのなかでも異彩を放っていた。そんななかDamoneのオリジナル・デモは、(楽曲は早くに書かれていたが)1年以上かかってレコーディングされる。内容はデイヴが96年から97年の間に制作した80曲から選り分けられたもので、当時18歳でウォルサムのカーウォッシュ(洗車場)で働いていた彼が、すでに厄介払いされた元のガールフレンドのために作ったものだった。

 あるクリスマスの日、そんなデイヴは当時のガールフレンドに、CD、カセット、8トラックにおとした彼の80曲を手渡した。彼女は楽曲は気に入ったにもかかわらず、彼とのロマンスを再開することは断った。ソングライティングにかけては完全に実利的なアプローチをするデイヴは、これを楽曲の出来がただ単に良くないのだと受け取り、すべてをゴミ箱行きにしようとしていた。



 まだウォルサム・ハイ・スクールのシニア(最上級生)にもなっていなかったノエルは、背が低く、いたいけなほどシャイな女のコだった。だが彼女の安住の地となるデイヴの地下室に入ってからは、ノエルはみるみる元気になって行く。デイヴの楽曲にはほんの少ししか手を加えなくて良く、彼女はそのマテリアルが自身にぴったりと適合していることを見つけていた。フィル・スペクターがクリスタルズを、シャドー・モートンがシャングリ・ラを、キム・フォーリーがランナウェイズを見つけたように、デイヴ・ピノの楽曲はその理想的なシンガーの姿をノエルに見出したのだった。

「18歳のデイヴは、16歳の女のコの心を持っていたんだわ」

 彼女はデイヴの気に障ることがわかっていながら、そんな言い方を好んでいる。

「だって私はこれらの楽曲をホントに理解できるのよ。ハイ・スクールのことで、そういうヴァイブを発している、わかるでしょ?本物のガーリー・ソングなのよ」

 それらはティーンエイジャーたちのための歌だ。彼らの悲しみをやわらげ、元気づける。それはニュー・ウェーヴの自由な風であり、スケート・パンクの奔放さを持ち、70年代のアリーナ・メタルに通じている。



 そんな彼らのアルバムの猛烈なオープニング・トラック「フラストレイテッド、アンノーティスト(BMX)」で、我々はウィーザー等で養われた新しいサウンドを耳にする。ステージではノエルは誰よりも早く走り、万が一客席に落ちたとしても泣いたりなんかしない。また、最近では不穏な世界情勢も影響してデイブ・ピノがツアーを続行することを突然拒否するという事件が起きたが(ちなみに今後もデイブは曲作りにおいては参加を続けるとの事)、そんな状況にも泣きべそをかいたりせずに、2人分のギタープレイをしなければならないというプレッシャーに小さな身体をフル稼働して答えてみせた。



 そんな男の子顔負けのガッツを持つ彼女であるが、「カーウォッシュ・ロマンス」ではこうそよぐ。“公演で彼が私に会える日に/暗くなるまで1日中BMXに乗っている”最後の1戦のために彼らはハイになり、カーウォッシュまで自転車で行き、ジャンクフードを服用する。「アップ・トゥ・ユー」という楽曲では、彼女は回りくどい言い方で男のコに尋ねようとするが、結局最後には言葉を濁してしまい、そしてとうとう実際にデートするときは(「オン・マイ・マインド」)、父親に「50タイムス・フォー・エヴリー・アワー(1時間に50回)」探されてしまうのだ。



 聴衆たちがDamoneへの愛情を示し始めたころ、そのアンダーグラウンド・ディスクはすぐさま批評家たちに取り囲まれた。ボストン・グローブ紙はバンドのサウンドを「Muffsのメロディックでメタリックな欠けらと、初期のゴーゴーズをルーツとし、10代の少女が10代であることについてのロックを歌うのを聴くことは、言葉では言い表せないほどさわやかなものだ」と評している。まだアルバムを出していないという状況にも関わらず、即座に彼らは地方のラジオ局でのエアプレイと、アンドリューWKやインジェクテッド、Mooney Suzuki、アタリスとのツアーという躍進ぶりで、最近ではSUM41のオープニングアクトとしての初来日も決定している。また、日本でツアーを終えた後も引き続きアメリカでWARPED TOURに参加するという、ニュー・カマーにして驚異的な人気っぷりを見せている。