チェロ
Chelo (チェロ)、25歳
プエルトリコ出身

デビュー・シングルは『Cha Cha(チャチャ)』。
プロデューサーにジーヴ(サンタナ、ザ・ゲーム、エデンズ・クラッシュなど)を迎え、この超ダンサブル・トラックは一度聴いたら頭を離れることがない。英語詩の中に存在するラテン・フレイバー。確実にパワー溢れるメロディ、リズム、そして楽しさを盛り込んだ曲作りというチェロの才能を確実に証明している。

プエルトリコ生まれのチェロはまだ20代前半だが既に2つのグループでのキャリア経験を持つ。プエルト・リコのアイドル・グループJyve V、そしてテキサスをベースにアーバンXメキシカンを題材にしたグループ ATM。両グループにてチェロはクリエイティブ面で中心人物を務め、共作した2曲は米ビルボード・ラテン・ポップ・エアプレイ・チャートにて共にトップ40入りしている。彼の持ち揃えたカリスマ性とエネルギーがやがてソロ・キャリアへと導いてくれるのは必然だった。

幼い頃から、アーティストとして全てをこなす大切さをチェロは理解していた、「ダンスと歌の両方に魅了されていた。だからマイケル・ジャクソンやジャネット・ジャクソンのCDを買っていた。僕にとって最高の演出が全てだった。」

小学生にして、チェロは友達や先生の間でエンタテイナーとして知られていた。音楽溢れる家庭で育ち、独自のダンスをミックスに加える。思春期の頃はいつかは有名スターの振付師に、という夢を抱いていた。高校3年生のとき、チェロは後にレゲトン・スーパースターとなるダディ・ヤンキーに振り付けを依頼される。実はチェロの最初のブレイクのきっかけはダンスだった。Jyve(もともとはダンス・グループだったのが後にアイドル・グループJyve Vになった)の一員だった際に、マイアミ・ビーチで行われたダンス・コンペで優勝し、レコード会社からの契約オファーが殺到した。

好きなことに没頭しているときが絶頂だと気が付いたチェロは、学生としては優等生になれないと早くから気が付いた。先生達も教科書に頭を突っ込んでるよりも、音楽作りに時間を費やした方がいいと言ってくれだ。「スタジオに行くたびになかなか出れなくて、宿題をやる時間がなくてよく母親に怒られたよ」。宿題は大嫌いだったチェロだが、今は母校を誇りに思っている。いまや最も芸術的に優れた卒業生を賞するアワードは彼の名前にちなんで付けられたからだ。

そしてチェロの両親も、息子がスタジオで過ごした途方もない時間がようやく形になってきていることを理解している。「僕の家族は最大限のサポートをしてくれている。家族はこの業界がどんなもので、たどり着くまでの苦労を知っているだけに、今回のプロジェクトはすごく喜んでくれているんだ。」

現在はニューヨーク、ロス、そしてプエルト・リコを行き来し、アルバムの最終作業を楽しんでいる。「ただスタジオで楽しい時間を過ごしているだけさ、だから出来も最高になったんだと思う。」