【ディランを追いかけて~菅野ヘッケル】 2023年秋USツアー
【ディランを追いかけて~菅野ヘッケル】 2023年秋USツアー
4月の日本公演が終わって半年、早くもボブを見たくなった。10月1日にカンザスシティをスタートしたアメリカ秋のツアーが東海岸に到達した時点でアメリカに見に来た。
ボストンのオーフューム・シアターで3公演(11月3、4、5日)、ニューヨーク郊外ポートチェスターのキャピトル・シアターで2公演(7、8日)を見たのでとりあえずリポートを書いた。
セットリストは日本公演とほぼ変わりない。(15曲目に日替わりでカヴァー曲を歌うのも同じ)
1. Watching the River Flow
2. Most Likely You Go Your Way (and I’ll Go Mine)
3. I Contain Multitudes
4. False Prophet
5. When I Paint My Masterpiece
6. Black Rider
7. My Own Version of You
8. I’ll Be Your Baby Tonight
9. Crossing the Rubicon
10. To Be Alone with You
11. Key West (Philosopher Pirate)
12. Gotta Serve Somebody
13. I’ve Made Up My Mind to Give Myself to You
14. That Old Black Magic
15. Brokedown Palace(Nov 3), Stella Blue(Nov 4, 8) ,Footlights(nov 5, 7)
16. Mother of Muses
— Band introductions
17. Goodbye Jimmy Reed
18. Every Grain of Sand
秋のツアーではめずらしいカヴァー曲が歌われている。初日、10月1日のカンザスシティではオープニングでKansas Cityを、14曲目にNot Fade Awayを歌った。その後もセントルイスではオープニングでJohnny B. Goodeを最後にNadineを歌った。シカゴではオープニングにBorn In Chicago、最後に Forty Days and Forty NightsやKilling Floorを歌った。ミルウォーキーではTruckin’を、グランドラピッズではNadine、インディアナポリスではLongest Days、シンシナティとアクロンではSouth Of Cincinnati、ロチェスターではStella Blueを、トロントではStella BlueやBrokedown Palaceを、モントリオールではレナード・コーエンのDance Me To The End Of Love、スケネクタディではTruckin’を歌った。こうした選曲を見て、秋のツアーでは公演地に関連する歌や出身アーティストの曲をカヴァーするつもりなんだろうと想像していたが、ボストン、ポートチェスターでは違った。
また、「マイ・オウン・ヴァージョン・オブ・ユー」は日本ツアーと大きく変化している。不気味な恐ろしさは薄まり、今は力強いビートで歌われる。
ボストンのオーフューム・シアターはボブの画集『ビートン・パス』から抜け出した1枚の絵かと思うような劇場だ。かつての華やかな時代を経て、今は細い路地の行き止まりに取り残されたように建っている。といっても内部はそれなりに豪華さが残っている。「ラフ・アンド・ロウディ・ウェイズ・ツアー」にふさわしい会場なんだろう。
1985年にボストン・ミュージック・ホールとしてオープンしたこの劇場は1906年に主に映画を上映するオーフューム・シアターに生まれ変わった。1972年にアクエリアスと名前を変え、再びライヴ・パフォーマンスの劇場となったが、1974年に元のオーフューム・シアターとして名前を戻し現在に至っている。かつては大通りから入れる劇場だったが、その入り口も閉鎖され、今や行き止まりの路地に佇むことになってしまった。ボブはこの劇場が気に入っているようで、過去にも何度もコンサートをおこなっている。
劇場の中に入ってまず気づいたことは、ステージ・セッティングが変わったことだ。ステージ中央にベイビーグランドピアノがやや左向きに設置され、ボブは観客に真正面から向き合って座る。日本公演の縦型ピアノと違って、これならボブが座ってピアノを演奏しても、顔の表情も見える。
照明装置は左右に4台の街灯のようなものと床に置かれた大きな映画用の照明機。当然スポットライトはないのでボブの顔を照らすことはない。相変わらずやや薄暗いが、それでも日本公演よりはやや明るくなった。ステージ背後の黒いカーテンが外され、コールタールで塗ったような黒い壁が設置されている。まるで地下室の一室のように、配管や鉄格子の窓枠なども再現されている。壁の前に楽器や機材を収納していた大小様々な黒い箱がいくつも置かれている。アルバム『地下室』のジャケット写真を連想させる。
バンドの位置は、向かって左からアコースティック・ギターのダグ・ランシオ、ベースのトニー・ガーニエ、ドラムのジェリー・ペンテコスタ、エレクトリック・ギターのボブ・ブリット、ペダルギター、ラップトップ、マンドリン、ヴァイオリンなどマルチプレイヤーのドニー・ヘロンが全員黒いスーツで並ぶ。
ボブは黒のカントリースーツ、ジャケットの胸に派手な刺繍、もちろんサイドラインの入ったパンツだ。ボブはクリーム色の帽子を持って登場し、それをピアノの上に置いて歌い始める。2曲目からは帽子を被り歌った。暑いのだろうか、曲間に時折帽子を脱いで髪の毛を手でかきむしるように整える。
ボストンの3夜は、甲乙つけ難いほどどれも良かったが、4日のコンサートは今年のベストの1日に入るだろう。感激した。また、5日にカヴァーしたマール・ハガードの「フットライツ」に心を打たれた。会場でははっきり聞き取れなかった歌詞をホテルに戻って調べてみると、歌の内容がボブにも当てはまる気がした。ネットのおかげでモヤモヤした気分もすぐに解決される。いい時代になったものだ。
ボブはピアノから離れることなないが、5日の「クロッシング・ザ・ルビコン」を歌い終えると、立ち上がってピアノに手を添えたままステージ中央に出てきて、コンサート最後もポージングと同じように、「どうだ」とキメ顔で客席を見回した。もちろん観客は大歓声で答えた。
キャピトル・シアターでもボブはピアノから離れようとしなかったが、「キー・ウエスト」を歌い終えるとステージ中央に設置された無用のマイクスタンドの位置まで出てきて、決めポーズをとった。ボブは自分が満足したと感じた時、観客に同意を求めたくなるようだ。
一方、1926年にオープンしたポートチェスターのキャピトル・シアターは、ライヴ・ショーや映画館として隆盛を誇ったが60年代終わりには映画の衰退もあり、サイケデリック・ロックのライヴハウスに生まれ変わった。ジャニス・ジョプリン、ピンク・フロイド、中でもグレイトフル・デッドがキャピトル・シアターを東海岸の拠点としてことでロックのメッカの一つになった。しかし郡の条例で午前1時以降のライヴが禁止休館となった。84年に再オープンしたがうまくいかず、貸し会場としても使われるようになった。経営が変わった2012年、キャピトル・シアターはロックの宮殿として三度よみがえった。この時の幕開け公演をおこなったのはボブ・ディランだった。
そんなキャピトル・シアターの2日間、特に初日の7日はぼくにとって感動的なものになった。日本のZeppのように1階はGA(立見席)でバルコニーに椅子席が少しだけある。ぼくはもちろんバルコニー席に座っていた。そしてコンサートの終盤にかかる頃から、胸が熱くなってくるのを感じた。
「ガッタ・サーヴ・サムバディ」で「あなたはだれかに仕えなければならない/仕える相手は悪魔かもしれないし神様かもしれない/でもあなたは誰かに仕えなければならない」。「アイヴ・メイド・アップ・マイ・マインド・トゥ・ギヴ・マイセルフ・トゥ・ユー」で「わたしは絶望の長い旅路を旅してきた・・・わたしは決心したんだ、あなたにこの身を委ねようと」。「ザット・オールド・ブラック・マジック」で「あのお馴染みの黒魔術の魔法にかけられてしまった・・・愛という名のあのお馴染みの黒魔術の魔法にかけられて」。「フットライツ」で「だれもが夢見る人生、歌をつくり、それを歌って生きる人生を歩んできた/でも、41歳になった今、もはや歌える場所はなくなるだろう/だから年齢を隠し、ステージに立ち、かつてのよういフットライトを蹴散らし脚光を浴びようとする/ステージの上で使い古したギターを放り投げると、それをベース奏者が見事に受け取る/観客は歓声をあげて大喜び」。「マザー・オブ・ミューズ」で「詩人たちの母よ、わたしのために歌っておくれ/詩人たちの母よ、あなたがどこにいようとも/わたしは自分の人生よりもすでに長生きしてしまっている/わたしは身軽な旅をしている、ゆっくりとふるさとに向かっている」と続けて歌われる。
この流れを聞いていると、ボブは、ファンのために、自分自身のために、創造性を失うことなく、これからも真剣に生きていうんだろうと感じ、思わず涙ぐんでしまった。こんな経験は久しくなかった。ありがとう、ボブ。
<速報>
11月10日のプロヴィデンスは観客が熱かった。ボブがステージに姿を現すと、観客は総立ちで迎えた。いつもなら歌が始まると着席するのだが、この夜は1曲目を歌い終えるまでスタンディングは続いた。また、この夜はボブのピアノ・ナイトになった。ボブのピアノがバンドをリードし、いつも以上に多彩なフレーズを叩き出した。そのせいかもしれないが、15曲目のカヴァーソングは省略され、全17曲の構成だった。ただ、「一粒の砂のように」でハーモニカを演奏した。ボストンでもボブはハーモニカを取り出したが、そのままピアノの上に置いたまま演奏しなかったのに。最後のポージングもいつもより長かった。観客を見回し、右手の拳を握り締め「どうだ」いいたげにガッツポーズを決め、左手で自分に胸を3回叩いてボブは去っていった。ボブも観客も満足する夜だった。
ぼくは、2021年にニューヨークのビーコン・シアター、2023年春の日本ツアー、そして今秋のアメリカ東海岸を見ているが、毎回違った感激を味わっている。「ラフ・アンド・ロウディ・ウェイズ・ツアー」は2024年まで継続する予定なので、次はどんな気分にさせてくれるのだろうか。楽しみだ。もちろん2025年以降は、ニューアルバムをタイトルにする新しいツアーが始まると信じている。まさに、ネヴァーエンディングだ。クリエイティビティが燃え尽きるまで、ボブはツアーをやめないだろう。
菅野ヘッケル 2023年11月10日、ロードアイランド州プロヴィデンス